第2話 夜のコーヒーと既読の沈黙



倉庫街の夜は、昼よりも広く感じる。

海風がビルの隙間を抜け、コーヒーの自販機の前で紙カップを揺らした。


佐藤悠は、背広のポケットから小銭を取り出しながら、

ふと振り返った。

そこに、水野紗希が立っていた。

彼女は、社のロゴ入りパーカーを羽織り、少しだけ息を切らしている。


「まだ、残ってたんですね」

「うん、もう少しだけ。……水野さんも?」

「同じく、です。明日の見積もりをまとめてて」


自販機のライトが二人の影を路面に落とす。

夜風が吹き抜け、紙カップの中のコーヒーが揺れた。


「こういう時間、けっこう好きなんです」

「え?」

「みんなが帰って、静かになったオフィス。

 ちょっとだけ、自分が役に立ってる気がして」


その言葉に、佐藤は言い返せなかった。

胸の奥で何かが温かくなり、同時に少し痛んだ。

彼もまた、誰かのために残っているはずだった。

けれど、その“誰か”が今、隣にいるとは思っていなかった。


沈黙が、潮風と一緒に流れた。

やがて、紙カップの底から最後の一滴が落ちる。

「じゃ、私、戻りますね」

「うん……気をつけて」


それだけ。

彼女はオフィスの方へと歩いていった。

小さな足音が、やがてドアの開閉音に変わる。


佐藤はその場に立ち尽くしたまま、

スマホを取り出した。

Slackを開くと、未読がひとつ。


「自販機のコーヒー、美味しかったですね☕」


送信時刻は、たった今。

画面の光が彼の手を照らす。

既読マークがついた瞬間、

潮風が再び吹き抜けた。


彼は返信を打とうとして、

数秒だけ、親指を止めた。

そして――


「ですね。」

その一言を送った。


画面に映る彼の言葉は、

どこか遠くの誰かが書いたように見えた。


倉庫街の空は曇っていて、

月の光はまだ、届かない。


次回(第3話)は、

「雨音の会議室」。

小さな打ち合わせの中で、

お互いの“気づき”が初めて重なる一話になります。

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