【土曜境界線劇場】ー 短編集

ルウト・カ・ワタ

誰も拒まないのに、入れない

誰もが感じる見えない境界線。その線を超えることは簡単にできるけど、踏み込まない。


ーーー


秋祭りの季節になると、賑やかな声、焼きそばの匂い、太鼓の音が響く。どれも「歓迎」のはずなのに、なぜか足が動かない。誰も拒んでいないのに、輪の中に入れない。


このショートショートは、そんな「誰にも拒まれていないのに、居場所がない」感覚——その気持ち悪さについて書いたものです。


境界線は、誰が引いているのか。それとも、引いているふりをしているだけなのか。


ーーー


境界線


秋祭りの太鼓が、窓の隙間からじわじわと染み込んでくる。


部屋の空気が、少しだけ外の匂いに侵される。


私は自治会費の領収書を眺めながら、くじ引きの時間を待っていた。年に一度、この時だけ参加する。払っているのだから、受け取るだけの権利はある。それ以上のものは、求めていない。


会場に着くと、知らない顔ばかりだった。子どもたちは走り回り、若い母親たちは笑い合い、老人たちは縁台に座って昔話に花を咲かせている。みんな、自然に輪の中にいる。


私は、輪の外に立っていた。


「くじ引きは向こうですよ」


誰かが教えてくれた。親切だった。けれど、あの声には「案内」ではなく「誘導」の響きがあった。まるで、異物を所定の位置に収めるような。


くじを引く。ティッシュが当たった。「おめでとうございます」と言われる。列を離れると、また一人だ。


焼きそばを買って、隅のベンチに座る。目の前では盆踊りが始まっている。輪が広がり、手拍子が響く。入ればいいのだ。誰も拒まない。でも、足が動かない。


動けないのか、動かないのか。


それとも、動かないふりをしているのか。


隣町から引っ越してきて、もう三年になる。三年間、自治会費を払い続けている。くじは毎年引いている。

でも、祭りの輪には一度も入っていない。




「来年こそは」




毎年そう思う。そして毎年、ベンチに座ったまま祭りを眺めている。


楽しんでいる人たちは、私のことを見ていない。排除しているわけでもない。ただ、気づいていないだけだ。


境界線があるとすれば、それは私の足元に、誰にも見えない線として引かれている。踏み越えようとすると、足が冷たくなる。


太鼓の音が鳴り止む。祭りは終わりに近づいている。


私はティッシュを握りしめた。柔らかくて、無意味で、すぐに潰れるもの。


それでも、何かを持ち帰るふりをして、アパートへ戻った。


来年の自治会費の振込用紙が、そろそろ届く頃だ。


ーーー


読んでくださって、ありがとうございました。


このショートショートに描いた感覚、もし少しでも「わかる」と思っていただけたなら、それだけで救われる気がします。


誰も悪意を持っていないのに、なぜか居場所がない。そんな場面は、祭りに限らず、日常のあちこちに潜んでいる気がします。


境界線は、誰かが引いたものではなく、自分の足元にあるのかもしれませんね。

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