新・クトゥルフ神話 短編集

NOFKI&NOFU

01「星の並ぶ夜、ハイウェイ・ダイナーで」

第1話 深夜二時、赤いネオンの下で

・赤い光の孤島


ハイビームが濡れたアスファルトを照らし、白く滲んだ。

窓の外は闇。街灯も、民家の灯りもない。


深夜二時を過ぎた県道沿いを、俺――

相川真司は、ひたすらハンドルを握っていた。


(あと三時間で実家……だけど、もう限界だな)


眠気と孤独が、エンジンの唸りに混じって耳の奥をくすぐる。


ナビは「次の信号を右」と言うが、

そんなものは見当たらない。ただ、

闇の中に浮かぶ赤い点滅が、遠くに小さく見えた。


近づくと、それはネオンだった。

古びたロードサイド・レストランの看板。

夜霧の中でゆらめきながら、赤い文字が光っている。


《Family Diner YOTSUBA》


……その古めかしいフォントと店名には、

なぜか子供の頃に見た夢のような、言いようのない懐かしさがあった。


ただ、文字の一部が逆さに見えるのは、

気のせいだろうか。


車を駐車スペースに停める。

辺りには他の車が一台もない。

それでも店の窓には灯りがあり、店内には人影があった。


(こんな時間に営業してるなんて、奇跡だな)


俺は、ふらつく足でドアを開けた。




・レストランへ入店


カラン――。


ドアベルが鳴った瞬間、

空気が冷たく変わった気がした。


中は、古いアメリカンダイナー風。

チェック柄の床、ポスター、薄いブルーの壁紙。

レジ奥の棚には、やたらと星や月の置物が並んでいる。


客は四人。


カウンターに無精髭のトラック運転手、

奥のテーブルには老夫婦、そして隅に若い女。

みな静かに、それぞれの飲み物を見つめていた。


「いらっしゃいませぇ。おひとりですか?」


声をかけてきたのは若い店員。

白いシャツに赤いエプロン。


笑顔――のはずなのに、

その表情が「ワンテンポ遅れて動く」。


まるで口の形と声が合っていないように見えた。


「え、あ……はい。一人です。

 コーヒーと、ハンバーグ、お願いします」


「ハンバーグですねぇ。はい。

 ……星が、もうすぐ並びますから」


「え?」聞き返したが、

店員はにっこり笑ってレジの奥へ消えた。


背筋に、じわりと寒気が這い上がる。

(今、「星が並ぶ」って言った? 販促のコピーか?

いや、それにしては妙に真顔だった。)




・会話にならない会話


しばらく待っていると、

カウンターの男がぼそぼそと呟いた。


「二時二十三分だ……北の空……星が合うんだ……」


「……何が、です?」


声をかけたが、男は俺を見ようともしない。

目の焦点が定まっていない。

まるで、どこか遠くの映像を見ているみたいだった。


テーブルの老夫婦が、同時に笑った。


「きれいに並ぶんですよ、今夜は」

「ええ、ほんとうに、よい並びになります」


二人の声が妙に重なっていた。

まるで、同じ音声を二重に再生しているみたいに。


笑い声が耳に残る。

いや、残るというより――貼りつく。


スピーカーから流れる古いジャズ。


針のノイズが混じるたび、

世界がほんの少しずつ歪むような錯覚がする。


(……外、車は俺の一台だけだったよな)

(この人たちは、どこから来た?)


ハンバーグの皿が届く。

店員は相変わらず笑顔で、手の甲が異様に白い。


皿から立ち上る湯気が、どこか重い。

油の匂いに、金属の味が混ざっていた。


「……ここ、いつも営業してるんですか?」


「ええ。ずっと、ここで。

 ――星が並ぶ日まで。」


また、それだ。

俺は軽く笑ってごまかそうとしたが、

喉が乾いて声にならなかった。




・静止する空間


ハンバーグを食べ始めようとした瞬間、

ノイズが響き、歪みが一気に世界全体に広がったように感じた。


体が妙に重い。まるで、

水深の深いところに沈んでいるような圧迫感。


――その時、照明が、一瞬だけ『消えた』。


赤いネオンが外でぱちんと音を立てて消えた瞬間、

世界のすべてが、止まった。


客たちはピタリと動かず、店員も笑顔のまま。

コーヒーの蒸気だけが、空中で静止している。


「……は?」


口に出た声がやけに響いた。床が柔らかい。ぐに、と沈む。

振り返ると、外の闇が――窓ガラスに溶けている。


世界と店の境界がなくなっていた。



厨房の奥から、低い音がした。

最初は機械音かと思った。だが違う。

呼吸だ。


何か巨大な生き物が、壁の向こうで息をしている。


圧がある。

耳の中が圧迫され、血の音が響く。


視界の端で、テーブルのナイフがゆっくり浮かび――

逆さまに落ちた。


(重力……が、反転?)


呼吸の音が止む。

代わりに、頭の中で声がした。


「君も、待っているんだろ?」

「星の並ぶ夜を。」


否定しようとしたが、口が勝手に動いた。


「……ああ。もうすぐ、だ。」


自分の声なのに、自分のものじゃない。

言葉のあとに、微かな嗤いが重なった。




・再起動、動き出す世界


赤いネオンが再び灯る。

同時に、時間が動き出した。


客たちは何事もなかったように食事を続け、

店員が厨房から戻ってきた。


「お待たせしましたぁ。

 追加で、デザートいかがですか?」


笑顔。だがその目は、もう俺を見ていなかった。

瞳の中に――星座のような光が瞬いている。


カウンターの男が立ち上がる。

老夫婦が手を合わせる。

全員の動きが、まるで指揮されたように同調していた。


「おかえりなさい。――鍵の方。」


空気が凍る。

厨房のドアが、ギィ……と軋んだ。


そこから、湿った風とともに、

『何かの匂い』が漂ってくる。


鉄と、潮と、腐った藻の匂い。

海なんて何十キロも離れているのに。

ほんとうに、これは一体どういうことだ。


そして床が微かに波打った。

まるで、巨大な心臓の上に立っているみたいに。


自分の車は外に一台だけ。ということは、

この人たちは乗って来たんじゃない。最初からここにいた?


(やばい、ここ……生きてる。)


その瞬間、俺は看板を思い出した。

外のネオン――

YOTSUBAの文字、あれ……逆さじゃなかったか?



――次回、第2話『星を待つ者たち』へ続く。

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