夢の痩身術

あべせい

夢の痩身術



 

「先生。おめでとうございます。ついに完成ですか」

「朝から、いきなりなんだ。ドアを閉めろ。風が入るだろうが」

「風って、先生。この暑い季節に、家の中を閉め切きってどうするんですか。風を入れましょうよ」

「バカもん。おまえは、弟子の分際で、わしの研究の邪魔をするつもりか」

「しかし、先生。暑いですよ。だったら、エアコンを入れましょうよ。先月、ようやく買ったとうれしそうにおっしゃっておられたじゃないですか」

「だから、おまえはバカだというんだ。研究の邪魔だといっているだろうが」

「いったい何の研究ですか。お嬢さんのお話ですと、先生は地球上から食糧危機をなくす研究に没頭して、ついに食糧危機が克服できる夢の新薬を完成させたとうかがいました」

「あのサチがそんなことを言ったか」

「そこで先生の一番弟子、不肖螺子屋孫右衛門(ねじやまごえもん)、通称エジソンが、こうしてお祝いに駆けつけた次第です」

「おまえはいつからエジソンになった。名前を略すなら、おまえの場合ネジマゴだろうが」

「孫という漢字はソンとも読むでしょう。ですから、螺子屋孫右衛門は、エジソンでいいんです」

「なにいうか。おまえの家は薬屋なのに螺子屋なんてわけのわからぬ屋号だ。先祖にいろいろ不都合があったのだろうが、螺子屋なら、ネジソンだろうが」

「うちのネジはなんにでも捻じ込めるから、ネェジソン、ネエジソン、ネージソン、エージソン、エジソンになるじゃないですか」

「わけがわからん」

「先生だって、略せば、野口英世でしょう」

「わしの名前は、野口ヒデヨシだ」

「ヒデヨシからシをとれば、ヒデヨになるでしょう。野口ヒデヨシじゃ、だれも振り向かない」

「ナニィ。ヒデヨシは親が豊臣秀吉にあやかれとつけてくれた立派な名前だ。そりゃ、わしはまだ世には出ていない。無名の発明家だ。しかし、弟子のおまえがエジソンで、師匠のわしが旧千円札というのはどういうわけだ」

「先生、千円札だなんて。『金額の問題ではない。発明家は、何をなしとげたかだ!』って、いつもおっしゃっておられるでしょう」

「まァ、そうだ。発明家に求められるのは、発明の中身だ」

「それで、先生。今度は何を発明されたのですか」

「当ててみろ」

「クイズですか。クイズは得意ですからね。ヒントはこの閉め切った室内。クーラーも入れず、扇風機もつけず、手に団扇すらない。じっとしているだけで、汗がしたたり落ちるこの暑さと湿気……。お待たせしました。お答えします。クイズの答えは、エアコンがなくても快適に過ごせる清涼剤」

「清涼剤? 外れ。当っているのは薬という点だけだな」

「清涼剤でない薬ですか。薬は商売ですから、いろいろ扱っていますが、この暑さでどんな薬が必要だというんですか。香りで凉を呼ぶ芳香剤、夢をみて暑さを忘れさせてくれる睡眠導入剤、いや暑さをふっ飛ばす精力剤、これはないか。アー、ノドが乾く。先生、お水を一杯、いただけませんか」

「これくらいのことでノドが乾くのか。仕方ない」

 奥に向かって、

「サチは、いるか」

「お嬢さん、お帰りですか」

「螺子屋のドラ息子に、例の麦茶を持ってきてやんなさい」

「先生。ドラ息子はないでしょう」

「おまえの家は、先代が薬局をドラッグストアに衣替えしたろう。ドラッグストアの跡取り息子を略して、ドラ息子だ」

「先生、ドラッグストアの息子がドラ息子なら、スーパーの店員はスーパーマン、看板屋の娘はどんなに年をとっても看板娘でしょうが」

「いらっしゃい。はい、冷たい麦茶をどうぞ」

「お嬢さん、ありがとうございます。遠慮なくいただきます」

 飲んで、

「あァ、おいしい。お嬢さんの麦茶は本当にうまい」

「そんなに一気に飲んで大丈夫かしら。ドラえもんさん」

「なに、ドラえもん!?」

「お嬢さん。お父さんの前でドラえもんはないですよ」

「だって、螺子屋さんは明治元年から続く老舗で、代々跡取りは孫右衛門という名前なんでしょう。それを孫右衛門なんて古臭くていやだから、これからはドラえもんと呼んで欲しいといったじゃない。だから」

「ドラッグストアの孫右衛門で、ドラえもんか。発明を志す者には上等すぎる名前だ。ドラえもんは、発明家がハッとさせられるようなアイデアを次々に出すから、あやかるつもりだろうが、そうはさせん。おまえはドラ息子のほうが似合いだ」

「ドラ息子でもドラネコでもいいです。それで先生はいったいどんな薬を発明なさったのですか」

「サチ、おまえから、このドラ息子に教えてやりなさい」

「はい。父はね。痩せる薬を研究しているの。ダイエットに苦しむ現代人を救おうということらしいわ。みんなが肥満からスリムな体を取り戻せば、食糧だって無駄にとることもなくなるから、食糧危機の克服にも貢献できるって考えらしいわ」

「なるほど。しかし、ダイエットは……」

「ダイエットじゃない。痩身術だ」

「先生。痩身術だろうがダイエットだろうが、痩せる研究だけはやめてください。時間の無駄です。この世にダイエット方法っていくらあるかご存知ですか。世に出回っているものだけでも、ざっと300。日に日に新手のダイエット方法が生まれていますから、なにをやってもダイエットができるといってもいいくらいです。うちの店でも、ダイエット効果があるというサプリメントをたくさん扱っていますが、これがなぜか売れます。バカみたいに売れます」

「わしが研究しているのは、おまえの店にあるようなインチキぐすりではない。痩身をかなえる薬剤だ」

「先生! お言葉ですが、インチキはひどい。うちは厚生労働省から認可された、安全安心の薬しか販売していません」

「安全安心はいいが、全ての薬が効能書き通り効いているか」

「それは、くすりの効き目には個人差がありますから。効きやすい人もいれば、なかなか効かない人もいます」

「それみろ。使ってみなければ効き目がわからないでは、インチキといわれても仕方あるまい。わしが研究しているのは、だれがいつ、どこで使っても、確実に痩せられる。かといって、下剤ではない。健康はしっかり維持し、しかも苦しまずに痩せられる」

「そんな夢のようなダイエットのくすりがあるのですか。信じられない」

「ある。完成した。名付けて、夢の痩身術だ」

「ドリームダイエット!? それこそインチキくさい名前ですね」

「なにをいうか、バカモン! 楽しい夢を見ながら、痩せられるという意味だ」

「孫右衛門さん、本当よ。父はもう実験したの。わたしを使って……」

「お嬢さんが実験台になられたのですか。許せない! 第一、お嬢さんはスリムで、着物を着ると、ほっそりと見える着やせ美人だって近所中の評判でしょう。その点、ぼくなんか、着物を着るとデブ、デブとからかわれるほど着ぶとりするから、ダイエットは必要だけれど。お嬢さん、実験はどんな具合だったのですか」

「わたし、見てはいけない夢を見ちゃった。うふふ」

「うふふ、ってお嬢さん。どんな夢なんですか」

「あのね。山の中の一軒宿の温泉って、テレビでよくとりあげるじゃない」

「ありますね。山深い、鄙びた温泉宿。ぼくも一度お嬢さんと一緒に行けたらなァと思っているんです」

「そこの露天風呂にひとりでつかって、のんびりしていると、殿方が入って来られたの。わたし、びっくりして……」

「エッー! それはダメです。ルール違反だ。ぼくをさしおいて、お嬢さんの入浴シーンをナマで見るなんて」

「その温泉、混浴なんですって。その殿方に教えられて、わたし、恥ずかしくて……」

「お嬢さん、すぐに出てください。いけません。ぼく以外の男の裸を見るのは、百害あって一利なしです」

「ぼく以外の男って、おまえ、サチに裸を見せたことがあるというのじゃないだろうな」。

「イィッー!? そ、それは、エー……と、それはこどもの頃のスイミングスクールでの話です。先生、ぼくのことを話している場合じゃないでしょう。お嬢さんの貞操が危険にさらされているんですよ。お嬢さん、それで、どうされたんです」

「わたし、恥ずかしくて、顔は真っ赤、心臓はドキドキするし、タオルで体を覆って、俯いたまま出ていこうとしたの。そうしたら……」

「そうしたら?」

「その殿方、突然湯船の中で立ちあがったものだから、わたしが驚いて振りかえったら、まともに……」

「アッ、アーッ! お嬢さん、すぐに眼医者に行きましょう。目を洗うんです」

「わたし、もう立ちくらみするくらい恥ずかしくなって」

「それは当然です」

「気がついたら、体中、汗びっしょり。寝汗だったのね」

「寝汗!?」

「夢から醒めたら、寝汗をかいていたの。それも、まるで頭から水をかぶったような大量の汗。父にいわれてすぐに体重をはかったら、2キやせていたわ」

「なんですか、それ。夢をみてダイエットしたというのですか。信じられない」

「どうだ。これが文字通り、夢の痩身術だ。わしはこれから2度目の実験をやる」

「この閉め切った室内で、ですか。むちゃですよ。エアコンを入れてもっと快適にしてからにしたほうが、お体のためです。先生はお年なんですから」

「なにをいうか。汗をかくために、サウナに入るだろうが。この蒸し暑い室内のほうが、痩身術の効果が倍化するとは思わンか」

「それはそうでしょうが。先生、自らしなくても、お金を出せばほかにいくらでもやる人はいるでしょうに」

「よくぞいった。それでこそ、わが弟子。わしが見込んだ一番弟子だ」

 つぶやくように、

「なにが一番弟子だ。弟子は後にも先にもぼくだけだ。これでお嬢さんがいなかったら、とっくに弟子なんかやめている」

「何だ。何をやめるのだ」

「い、いいえ。お体にさわる実験はおやめになったほうがと思いまして」

「わからぬか。わしが実験をやるといっても、わしが実験台になるわけにはいかん。わしは実験を見届けなければならん。おまえがやるのだ」

「エッー!? ぼくは螺子屋の跡取りです。万一のことがあったら、螺子屋は5代で絶えてしまいます。先生、薬局なのに螺子屋がどうして螺子屋なんて屋号になったか、ご存知でしょう。初代孫右衛門が当時まだ珍しかった螺子を薬瓶の蓋に応用することを思いついて大もうけし、屋号を螺子屋にした」

「3代目孫右衛門が薬瓶の中身、すなわち漢方薬の製造を始め、螺子屋発展の基礎を築いたというのだろうが、そいつ大ウソだ」

「エッ!?」

「3代目が漢方薬の製造を始めたのは事実だが、彼は食事をしないでも生きていける薬の研究に没頭して、財産を食いつぶした。それでも螺子屋が残ったのは、おまえの親父の4代目が、漢方に見切りをつけ早々とドラッグストアにしたおかげだ」

「待ってください。するとぼくのお祖父さんはいまでいうダイエットの薬を研究していたんですか。知らなかった」

「わしがその研究を引き継ぎ、完成させたわけだ」

「ぼくには発明家の血が流れているんですね。先生の研究は祖父のもの、孫の孫右衛門が実験台になるのは当然か」

「ものわかりがよくなったな。この前は娘のサチがやったのだ。女の次は男で実験するのは順序というものだ」

「しかし、……私はお嬢さんと違って、度胸がありません」

「この実験に度胸などは不要だ。この丸薬を飲んで、静かに横になるだけだ」

「それ、直径1センチはあるじゃないですか。そんな大きな薬、ノドを通らないですよ」

「そのまま飲むわけではない。水に溶かして飲むんだ」

「それはいいですが、私にはやはりその度胸が……」

「でも、孫右衛門さん。もうお薬を飲んだじゃないの」

「エッ? ぼくは、まだ飲んじゃいないですよ。ぼくがこちらにきて飲んだのは、お嬢さんが持ってきてくださった、冷たい……!」

「もうそろそろ、効いてくる頃だ。そのベッドに寝たほうがいい。サチ、手を貸してあげなさい」

「どうぞ、こちらへ、孫右衛門さん」

「は、はい。あァ、なんだか、頭がボーッとして……」

「悪い夢を見るんじゃない。楽しい夢だ」

「お嬢さん。私の手を離さないで。お嬢さんの柔らかな手をこうして握っていると、気持ちがスーッとして落ち着くんです。ねエ、立ってないで、お嬢さんも横になってください。このベッドはぼくひとりには広すぎます。そう、そうです。こうしてお嬢さんと並んで静かに横になると、とってもいい気持ちです。もうだめです。睡魔が襲ってきた……」

「それじゃ、孫右衛門さんはゆっくり休んでいて。わたしはその間にお風呂に入ってくるから。じゃ、ねェ」

 ガバッと目を覚まし、

「お風呂!? お嬢さん、どこです。いったい、ここはどこだ。いつの間に、温泉宿に来たんだ。こんなことをしてはいられない。お嬢さんが危ない! 待ってください。私も行きます……ここだな。お湯は。のれんを分けて脱衣場に入り、服を脱いで、タオルを持って、浴場の扉を開ける……アーッ、夢にまで見た山の中の温泉宿の露天風呂だ。だれもいない……はて、お嬢さんは、どこに……あの岩の陰か……イタッ! 恥ずかしいのか、むこうを向いている。お嬢さん、ダメですよ。隠れても、見えていま……」

 くるりと振りかえった女性は、孫右衛門が思わず身震いしたほどのたいへんな美女です。その瞬間、孫右衛門の頭の中からはお嬢さんのことが消え失せてしまいました。

「これは失礼しました。知り合いの女性によく似ておられたものですから。しかし、お嬢さん、ここは混浴ですよ。いいんですか。……そうですか。では失礼して、もそっとおそばのほうに……。おきれいなお肌をなさっておられますね。それに艶やかなおぐし……でもどうして、こんな山の中の温泉に、おひとりで……」

「オイ、貴様!」

「エッ、な、なんですか!?」

 振り返って、

「アッ、先生! どうしてこんなところに」

「ここはわしの定宿だ」

「こちらの女性は……」

「わしの弟子に決まっているだろうが」

「お弟子さん? だったら、ぼくたちは兄妹弟子でしょう。一緒にお風呂に入ってもおかしくはない」

「バカいえ。おまえはたったいまからわしの弟子ではない。破門だ!」

「破門だなんて。先生、それはむちゃだ」

「破門ぐらいなによ」

 振り向いて、

「お嬢さん。そこにいらしたんですか。びっくりした。でも、お嬢さん。破門になったら、お嬢さんと会えなくなります」

「わたしが父の家を出るわ。そうすれば、いつでも会えるでしょう。父は不潔だわ。弟子だなんてウソをついて、こんなところに愛人と混浴しにくるなんて。大嫌い!」

「サチ。それは誤解だ。この女性は本当にわしの弟子だ。愛弟子だ」

「だったら、破門にしなさいよ。学生時代、物理や数学がいつも落第点だった彼女に、発明家の弟子が務まるわけないでしょう」

「サチ。おまえ、どうしてそれを知っているんだ」

「お嬢さん。どうして、そんなことまでご存知なんですか」

「当たり前でしょう。その女性をよくご覧ななさい。わたしが鏡に映っているだけじゃない」

「本当だ。これは姿見だ。じゃ、先生が弟子だといったのは……」

「父の愛人は私の学生時代の友人よ。ここに来る前に、宿の廊下で見つけたから、追い返してやったわ。お父さまは、娘と愛人の区別もつかないの!」

「孫右衛門が、このドラ息子が、見ず知らずの女のように話しかけていたからだ。それに彼女とは、この露天風呂で会う約束をしていたからな、てっきり彼女だと思い込んでしまった」

「孫右衛門さん。あなたがいちばんいけないわ。鏡に映ったわたしをどうして別の女性と思ったの」

「そ、それは……お嬢さんのような美女がこんな山の中の露天風呂にいるなんて、想像もできませんでした。だから、よく似ている女性とは思いましたが、まさかお嬢さんだったとは」

「孫右衛門さん! いい加減、目を覚ましなさい!」

 平手で孫右衛門を叩く。

「イタッ! なにをする。アッ、ここは、旅館の部屋の中……それにお嬢さんもここに……ということは。いつの間にか、眠ったのか。温泉につかっていたのは、夢か。夢だったのか。夢だったら覚めないで欲しかった」

「どうして? これは実験でしょう」

「そうだ、実験だ。おまえはその実験台だ」

 眠くて仕方がない。

「先生もおられたんですか。実験だったら、実験でいいです。もう少し寝かせてください。いいところだったんだから……」

 目を閉じる。

「バカもん。起きろ!」

「孫右衛門さん。寝ている場合じゃないわ。地震よ。早く逃げて」

「地震がなんですか。わたしはいまお嬢さんと一緒に温泉にいる夢を見ているのです。いま逃げたら、私はお嬢さんに一生嫌われます」

「何をいっているの。わたしが早く逃げなさいといっているのよ。あなたは、夢の中のわたしと、ここにいるわたしのどっちが大切なの」

「お嬢さん、私にはわかっいるのです。これも夢でしょう。夢の中の出来事なのに、私と混浴するのが恥ずかしいから、これ以上夢を見させないように、私を起こそうとしている。そうはいきません」

「バカバカバカ、バカッ!」

「イタイタイタッ、イタイッ! あっ、お嬢さん。何をなさるんです」

「どうやら、こんどは本当に目が覚めたようね。周りをよくご覧なさい。ここはどこ」

「先生の家の実験室。しかも、ベッドの上だ」

「どうだ。夢の中は楽しかっただろう。実験は成功のようだな」

「とんでもない。ぼくは、まだちっとも痩せていません。見てください。むしろ少し太ったくらいです。Yシャツの手首のボタンがこんなにきつくなっている。お嬢さん。よく見てください」

「そんなことないわ。ずいぶん痩せたわ。シャツのボタンがきついのは、寒そうにみえたから、わたしが一枚重ね着させたせいよ」

「着ぶとりか」

                (了)

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夢の痩身術 あべせい @abesei

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