第37話 #再会の放課後と小さな約束
翌日。
空は青いくせに、胸の中だけ曇っていた。
音声メッセージの余韻がまだ耳に残っている。
“もう少しだけ、整理させてください。また、話したいです。”
たったそれだけの言葉を、何度も再生しては止める。止めては再生する。
昼休み、ひよりの席は静かだった。
スケッチブックの縁に、白い紙片が一枚。
近づくと、星のシールが小さく貼られている。既視感のある印。
――俺宛だ。
でも、今ここで開くのは違う気がした。
胸ポケットにそっとしまって、授業に戻る。
黒板の数式が、しばらく意味を持たない模様に見え続けた。
放課後。
校舎の隅に風が溜まる場所がある。
図書室と美術室の間の、細い渡り廊下。
夕方になると、窓のガラスにオレンジ色の川が流れるみたいに光が走る。
俺はそこに立って、ポケットの紙を開いた。
蒼汰くんへ
今日、放課後に少しだけ歩きませんか。
いつもの校庭の桜の下で待っています。
――ひより
“歩く”。
それだけで、救われる言葉だった。
走るのも、止まるのも違う。今日はたぶん、歩く日だ。
中庭に出ると、夏の終わりの陽射しが角度を変えていた。
蝉の声は細く、遠く。
桜の木の下に、ひよりがいた。
制服のリボンを指先で整え、いつものように背筋はまっすぐ。
「来てくれて、ありがとうございます」
「呼ばれたし」
「はい。……あの、少し、歩きませんか」
「歩こう」
並んだ。
足音が砂利を踏む音に溶ける。
沈黙は、昨日より軽い。
言葉を探す時間じゃなく、気持ちの温度を合わせる時間に近い。
「昨日のメッセージ、ありがとう」
「いえ……言葉にしないと、伝わらないと思って」
「伝わったよ」
「よかったです」
会話が短い。けど、足並みはそろっている。
校舎の影が長く伸びて、俺たちの影がその上に重なった。
「なあ、ひより」
「はい」
「“まだ、そうじゃない”って言った時の俺さ……ちょっと、逃げてたと思う」
「……ううん。あれは、誠実でした」
「誠実って、便利な言い方だな」
「便利です。だけど、正直でもあります」
「……ありがとな」
ひよりは小さく頷き、視線を前に戻した。
風で前髪が揺れて、目元の影が少し動く。
「私、考えました。
“練習”と“本番”の境目って、きっと、誰が決めるでもなくて、
二人で決めるものだと思います」
「二人で」
「はい。だから、焦ってどちらかを選ばなくてもいいのかなって」
「……そうだな」
「ただ、ひとつだけお願いがあります」
「なんだ」
ひよりは立ち止まり、俺の方を向く。
目の奥に、昨日より少し強い光。
「嘘は、つかないでください」
「つかねぇよ」
「“優しい嘘”も、いりません」
「……わかった。約束する」
「ありがとうございます」
“約束”。
それは、恋の手前に置ける、いちばん確かな言葉だ。
グラウンド沿いをゆっくり回って、図書館の裏手に出た。
倉庫の影になって、風が少しひんやりしている。
フェンス越しに見える空が、さっきより深い色に変わっていた。
「蒼汰くん」
「ん」
「昨日の“すれ違い”、私のせいで、苦しかったですよね」
「……苦しかったぞ」
「ごめんなさい」
「謝るなよ。俺も、怖かったから」
「怖い?」
「嫌われるのが、いちばん怖い」
「嫌いになりません」
「即答すんな。照れるだろ」
「ふふ……ほんとうのことなので」
笑ったあと、ひよりは深呼吸をひとつ。
袖口をつまんで、言葉を整えるみたいにしてから続けた。
「私……“好き”って言葉を、きっと大切にしすぎてしまうんです。
だから、軽く言えません。
でも、昨日の音声で“また話したい”って言えたのは、
その手前の“好き”が、もう心の中にあったからです」
胸の内側で、静かに火がついた。
大きく燃え上がるんじゃなく、じわりと温度が上がる種類の火。
「じゃあ、俺も言う。
“また話したい”って思うのは、俺も同じだ」
「……嬉しいです」
「それからもうひとつ。
“逃げずに向き合う”って、約束に混ぜてもいいか」
「もちろんです」
「ありがとう」
歩幅が同じになっている。
さっきまでの“すれ違い”が、砂に書いた足跡みたいに風で消えていく。
中庭のベンチに腰を下ろした。
夕焼けの色が街の色に変わる、その境目。
ひよりが鞄から小さな包みを出す。
星柄の折り紙で包んだ、手のひらサイズの箱。
「これ、渡したくて」
「なんだ?」
「“秘密の灯”です」
「灯?」
「はい。夏祭りで見た、あの火のミニチュアみたいなものを、作ってみました」
開けると、小さなガラスのボトルに、
砂金みたいな細いラメと、極小のLED。
スイッチを入れると、弱い光がふっと灯る。
「……すげぇな」
「少しだけ、授業で習った電気工作を応用しました。
“誤解の火”は燃えるから怖いけれど、“秘密の灯”は守ればあたたかい――
蒼汰くんが、そう言ってくれたので」
「俺、そんなこと言ったか?」
「言ってません。雰囲気です」
「雰囲気かよ」
「でも、そう聞こえました」
ボトルの光が、指先に柔らかく反射する。
光は弱い。けれど、この弱さがいい。
強すぎる光は、真実も冗談も同じ色に焼いてしまうから。
「ありがとう。大事にする」
「よかったです」
「……これ、名前つけていいか」
「はい」
「“また話そうライト”」
「ふふ。かわいいです」
「バカにしただろ」
「いえ、誠実でした」
校舎に戻る途中、昇降口の前が少しざわついていた。
悪い予感がして、スマホを覗く。
そして、予感はだいたい当たる。
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StarChat #再会の放課後と小さな約束
【校内ウォッチ】
「桜の下で、二人が並んで歩いていた」
コメント:
・「#歩く距離=心の距離」
・「#手には小瓶?」
・「#灯を受け取った説」
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「……遠目で見てても、よくもまあ拾うな」
「観察、上手です」
「褒めるな」
「はい。では、感謝します」
「感謝も違う」
そこへ、うちわを片手にした桜井先生が現れた。
風鈴みたいな声で、穏やかに言う。
「二人とも、歩く速さがそろっているのは良い兆候だ」
「先生、見てたんですか」
「廊下の角は風の通り道でね。人の気配も通る」
「便利な表現だな」
「ところで真嶋」
「はい」
「“また話そうライト”――良い名だ」
「盗聴してました?」
「君の顔に書いてあった」
「どんな顔だよ」
「“ひどく誠実な顔”だ」
先生はそこでスマホを掲げかけ、ひよりの視線に気づいて手を下ろした。
「今日は投稿を控えよう。約束を守る灯は、今夜は観察よりも静けさが似合う」
「先生、ありがとうございます」
「礼など要らんよ。青春は、時に黙って見守るのがよい」
先生が去る。
俺とひよりは顔を見合わせ、同時に笑った。
帰り道。
駅前で立ち止まる。
人の波の音に、夕焼けの名残が混ざっている。
「ここで」
「うん」
「今日は、さよならです」
「また、話そう」
「はい。……次に会うまで、“灯”は、持っていてください」
「当たり前だ」
ひよりが一歩下がり、改札に向かう。
振り返って、小さく手を振る。
“また”。
その一言だけで、夜の始まりが急に優しくなる。
家に着いて、机の上に小瓶を置く。
部屋の灯りを消し、スイッチを入れる。
弱い光が、壁に丸い輪郭を作った。
手のひらで風よけを作る。
夏祭りの夜と同じ仕草。
光は、ちゃんと守れる。
スマホが震えた。
新しい投稿が一つ。
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StarChat #再会の放課後と小さな約束
【七瀬ひより@2-B】
「“また話そう”という約束は、
言葉の形をした灯でした。」
コメント:
・「#言葉で守る灯」
・「#歩幅がそろう日」
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画面を見て、ゆっくり息を吐く。
“また話そうライト”が、静かに瞬きをするように光った。
「……また、話そう」
声に出して言ってみる。
家の空気が少しだけあたたかくなる。
たぶん、気のせいじゃない。
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