第34話 #すれ違いの廊下と小さな手紙

 “噂”が落ち着くには、だいたい三日かかる。

 けど、“沈黙”が落ち着くには、もっと時間がかかる。


 俺とひよりの間にある今の空気は、まさにそれだった。

 気まずいとか、嫌とか、そういうんじゃない。

 言葉にできない“間”が増えた。

 少しだけ、怖い沈黙。


 昼休み。

 いつもなら隣の席からひよりの「蒼汰くん、これ見てください」って声が飛んでくる。

 でも今日は、それがない。

 代わりに机の上には、小さな封筒。

 名前の代わりに、星のシールが貼られていた。


 ――手紙。

 今どき、紙のやりとりとか新鮮すぎる。


 中を開くと、淡いインクの文字が並んでいた。


蒼汰くんへ


今日の放課後、少しお話できますか。

 ――ひより


 たった一文。でも、その一文が心臓を掴んで離さなかった。


 放課後。

 指定場所は廊下の一番奥、光が傾いて差し込む場所。

 誰も通らない、放課後の空気が好きな人間しか知らない静かな通路だ。


 ひよりは窓辺に立っていた。

 風で髪が揺れて、制服のリボンが夕方の光を受けてきらめいていた。


「来てくれて、ありがとうございます」

「呼び出したのお前だろ」

「はい。でも、来てくれるか不安でした」

「……来るよ、そりゃ」


 ひよりがスケッチブックを胸に抱えていた。

 その表紙には、見覚えのあるタイトル。


 『誤解ノートⅡ』


「……続編かよ」

「はい。前回、完結しませんでしたので」

「誤解にシーズン制導入すんな」


 ひよりが少し笑って、それから真面目な顔に戻った。


「あの……この前のこと、ちゃんとお礼を言いたくて」

「この前?」

「噂のときです。

 あの言葉、すごく勇気が出ました」

「別に勇気なんか――」

「ありました。

 だって、“そうなってもいいと思ってる”って、

 本音がちゃんと聞こえたから」


 俺は一瞬、息を飲んだ。

 あのときは勢いだった。

 でも、彼女には“本音”として届いていたらしい。


 ひよりはスケッチブックを開く。

 そこには、新しいページ。

 “噂”と“声”をモチーフにした絵。

 群衆の中、たった一人の女の子が小さなランプを持って立っている。


「これ、私です」

「だろうな」

「周りの“声”がどんなに騒がしくても、

 この灯だけは、消したくないと思いました」

「……灯、か」

「はい。夏祭りで見つけた“秘密の灯”。

 あの夜からずっと、胸の中で灯ってる気がします」

「……お前、ほんと詩人みたいだな」

「先生の影響です」

「先生、罪深いな」


 ひよりが照れ笑いをして、続けた。

「でも、その灯、少しだけ揺れてます」

「どうして?」

「誤解が怖くて」

「……それは、俺も同じかも」


 沈黙。

 でも、前みたいな重さはなかった。

 お互いに“怖い”を共有できる分、むしろ少しだけ温かい沈黙だった。


 突然、廊下の向こうから声が飛んできた。

「おーい、真嶋ー!」

 悠真の声だ。

「……このタイミングでくるなよ」

「ん? 何してんだ、二人で。廊下でシリアスな空気出して」

「出してねぇ!」

「#廊下の二人現象、発生中~」

「タグ立てんな!」


 ひよりがくすっと笑う。

「悠真くん、元気ですね」

「元気すぎるんだよ」

「でも、ああいう人がいてくれると安心します」

「まあ、確かに。バランス取れてんのかもな」


 悠真はピースサインをして去っていった。

 その背中に向かって俺が小さく呟く。

「お前、空気読めてるようで読めてねぇぞ」


 再び二人きり。

 夕焼けが廊下の床を真っ赤に染める。

 その中で、ひよりが小さな封筒を差し出した。


「これ、今日の“手紙”の本当の意味です」

「本当の意味?」

「読んでください」


 封筒を受け取って開くと、

 中には、昨日の手紙と同じインクで、

 たった一文だけ。


“言葉にできないときは、目を見てください。

 それだけで伝わるから。”


 顔を上げると、ひよりがこちらを見ていた。

 まっすぐ、逃げ場のないほど真剣に。


「……お前、ずるいよ」

「先生にもよく言われます」

「褒められてねぇぞ」


 ふたりで笑った。

 光がゆっくりと傾いて、影が長くなる。

 沈黙が、初めて“心地いい”って思えた。


 夜。

 StarChatの通知が光る。


───────────────────────

StarChat #すれ違いの廊下と小さな手紙

【七瀬ひより@2-B】

「伝えたい言葉が見つからないときは、

 目を見て、心で話します。」

コメント:

・「#沈黙の会話」

・「#言葉より灯」

───────────────────────


 画面を見ながら、俺は思った。

 この“沈黙”は、きっともう誤解じゃない。

 言葉よりも確かな、“理解”の始まりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る