第31話 #夜の美術室と絵の秘密
放課後のチャイムが鳴り終わっても、
美術室にはまだ夕陽の残り香が漂っていた。
昨日の“リハーサル”から一日。
今日も、俺はなぜか自然とこの部屋に足が向いていた。
机の上には、昨日ひよりが描いたキャンバス。
白布がかけられていて、中身は見えない。
――たぶん、まだ乾いてない。
そう思って、何となくその前に立つ。
窓の外では、部活の声が少しずつ遠のいていく。
廊下に響く足音。
教室から聞こえる笑い声。
そして、少し遅れて、あの声。
「蒼汰くん」
振り返ると、ドアの向こうにひよりが立っていた。
少し息を弾ませていて、制服の袖口が夕陽で光っている。
「まだ、いたんですね」
「いや……なんとなく。絵、気になって」
「リハーサルの成果ですか?」
「まあ、そんなとこ」
ひよりはそっと近づいてきて、キャンバスの前に立つ。
白布をめくるその手が、ほんの少しだけ震えていた。
布の下から現れたのは、昨日見た構図と同じ――
けれど、どこか違っていた。
夕焼けの背景。
二人並んだ影。
その間に、光の帯のような線が一本。
「……修正した?」
「はい。昨日の夜、少しだけ」
「どこを?」
「ここです」
ひよりが指先で示したのは、
二人の影の間――その光の帯の中。
よく見ると、小さな文字が浮かび上がっていた。
淡い金色の絵の具で、薄く、でも確かに。
――「好き」
息が詰まった。
「……これ、わざと?」
「はい。隠すように描きました」
「なんで隠すんだよ」
「言葉にしたら、消えちゃいそうだったので」
ひよりはそう言って、少しだけ笑った。
その笑顔は、どこか泣きそうにも見えた。
「昨日の“リハーサル”のあと、
本番って、なんだろうって考えてたんです」
「……本番?」
「“言う”ことだけが告白じゃないかもしれないなって」
「……そうかもな」
「だから、絵の中でだけ、ちゃんと伝えようと思いました」
「……ずるいな、それ」
「はい。少しだけ」
沈黙が落ちる。
でも、その沈黙は重くなかった。
静かで、やさしい空気が美術室を包んでいた。
ひよりはスケッチブックを取り出して、ページを開く。
昨日の“誤解ノート”の続き。
その最終ページには、新しいタイトルが書かれていた。
『誤解の終わり=本音の始まり』
「先生の授業レポート、これで提出しようと思ってます」
「真面目だな」
「誤解の構造、少しわかった気がします」
「どういうこと?」
「“誤解”って、人を離すものじゃなくて、
近づこうとする“努力”なんだと思います」
「……らしいな」
「だから、私たちの誤解は――」
「“努力の跡”か」
「はい」
ひよりが微笑む。
それだけで、胸の奥が少し熱くなる。
そのとき、ガラッとドアが開いた。
「おーい、まだ残ってんのかー?」
悠真だった。
「うわ、空気読めねぇ登場だな」
「おっと、甘酸っぱいとこ邪魔したか?」
「お前、センサーついてんのか」
「StarChatトレンドで“#美術室の秘密”上がってたから来たんだよ」
「また誰か見てたのかよ……」
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StarChat #美術室の秘密
【校内ウォッチ】
「真嶋&ひより、美術室で密会再び」
コメント:
・「#沈黙の第三幕」
・「#絵の中の好き」
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「……おい、これ、マジでどうやってバレてんだ」
「“誤解研究”の成果ですね」ひよりが笑う。
「もう研究者やめろ」
「でも、こうして誰かが見てくれるのも、
少しだけ嬉しいです」
「……やっぱお前、強ぇな」
悠真が苦笑して肩をすくめる。
「お前ら、もうタイトル“誤解の美術館”に変えたほうがいいんじゃね?」
「展示会すんな」
「でも、その絵……いいな」
「……見るな」
「見せんなよ」
「もう見た」
「帰れ」
「おう、青春してんな。ごちそうさま」
ドアが閉まり、再び静寂が戻る。
沈黙の中で、ひよりがぽつりとつぶやいた。
「“好き”って、隠しても見つかるんですね」
「……見つける奴がいるからな」
「蒼汰くん?」
「……うるさい」
「ふふっ」
夜、家に帰ってから。
もう一度StarChatを開く。
トレンドは、また俺たちで埋まっていた。
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StarChat #夜の美術室と絵の秘密
【桜井先生@担任】
「“好き”という言葉は、
紙に書かれても、心に残っても、
いつか必ず光を放つ。
それが青春の証拠である。」
コメント:
・「#先生、もう詩人」
・「#光る好き」
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先生の言葉を見て、思わず笑った。
確かに――
あの絵の中の“好き”は、たぶんもう誰にも消せない。
机の上に、ひよりのスケッチブックが一冊。
今日借りたままだ。
何となく開いてみると、最後のページにもう一文あった。
『“誤解”は、恋のはじまりを照らすランプ』
……やられた。
俺のツッコミが追いつかないくらい、
ひよりの言葉はいつもまっすぐだ。
「……ほんと、参ったな」
夜風がカーテンを揺らす音がした。
それがまるで、彼女の笑い声みたいに聞こえた。
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