第六話『PM5:30』

 あわあわとしている。そりゃあ、あわあわとしている。愛しの彼女を心待ちにしているが、それを凌駕りょうがする数々の不安と妄想。彼女との約束の時間は刻々と近づいていた。



 雪が舞う寒空の中、周りにいたはずの恋人の片割れたちが一組、また一組と出会い、夕暮れの繁華街へと溶けていった。



 そんな僕、ロレンスもそんな片割れだったはずなのに。



 愛しのナタリーさんを想えば想うほど、雑念と邪念が湧いてくる。ある時はスパイ、ある時は邪教集団の教祖、ちなみに今、彼女は僕の中で独裁国家の首領になっている。



 自分のユニークさとチープさが、驚きと幻滅さが哀れというか、愚かというか。誰だ、三時間前から待っているのは。うん、僕だ。やはり舞い上がっていたのだな。



 同僚には決して悟られないように、密かに密かに準備を整えてきた。そんなもの今の心労に比べれば些末さまつなもの。



 世の男性女性は、こんな荒波の如き困難を乗り越えて来たのか。人とはかくも罪深きものなのか。



 ……固い。固くなっている。僕はいつもはこんなカタブツじゃないんだ。こんな知的なようで中身のない思考はしないんだ。



 顔は青ざめ、この寒さの中で文字通り冷や汗をかき、震えを覚えている。こんな僕を見て彼女は一体、どう思うんだろう。



 ……ん?



 そもそも……彼女は本当に来てくれるのか?



 食事の約束を取り付けただけで勝手に満足して、ドタキャンされることは考えてなかった。



 彼女のためなら、このまま一時間でも二時間でも、更には一日でも一週間でも一カ月でも待てる自信はある。



 そしてその待ち時間の心労で体を壊して、天に召される自信もある。それ程、今年の年末は僕にとって特別なのだ。



 いつもは自然な態度で応対……出来てないよな。周りはどうか知らないが、ナタリーさんと話す時はいつも心臓はバクバクだ。かえって彼女はいつも平静なイメージがある。



 周りから僕の悪い印象を吹き込まれていないだろうか?彼女は傷ついていないだろうか?そこを突いて、悪漢にたぶらかされてはいないだろうか?



 悪い妄想が堂々巡り、そこはもはや無間地獄。正に阿鼻叫喚あびきょうかん。本当に視界がゆがんで見える様だ。



 ……ちなみに今、僕の中のナタリーさんは金融街を裏で牛耳る裏社会の顔役になっている。近いうちにその頂点に立ち、この国のありとあらゆる富を得るだろう。



 ああー……不安が不安を呼んで、思考が一向に定まらないではないか……来る。きっと来る!!彼女を信じるんだ!!たとえ世界が滅んで人類皆、死に絶えても彼女は来る!!



 ん?何か言葉がおかしいか?この冷や汗だけで体重が2kgくらい落ちているのではなかろうか。



 こうして悶絶している僕の様を見て、通行人が若干避けて歩いているが、そんなことは今の僕は気づいていない。



 そもそも彼女は律儀な人なのだろうか?約束の時間は必ず守る人なのだろうか?そんなことをリサーチしていなかっただなんて。浅はかだ、僕はなんて間が抜けているんだ。



 しっかり者の彼女。しかし、約束の時間に遅れまいと急いでしまって、転んだりしてケガなどしていないだろうか。果ては事故に巻き込まれていたり……あああああ……。



 雪はそんな僕の内心とは裏腹にちらちらと舞っている……全く僕の心配など考えないで。気付けば足元には薄く雪が積もっていた。空を見上げれば、もう暗がりであるのをようやく気付いた。



 気付けば周りの同志たちは一人、また一人、恋人と合流して夜の街へと繰り出していった。



 ……いいなぁ。何というか、僕……こんなちっぽけだったっけ?涙がうっすらと浮かんでいる。もちろん無意識だ。



 ナタリーさん……。ようやく気付いたよ。もし貴女が来なくても、今日というクリスマス・イヴを有意義に過ごしてくれればそれでいい……そうだよ、それでいいんだ。



 貴女の幸せこそが……僕の幸せなんだ。



 ぼー……ん……ぼー……ん……ぼー……ん……ぼー……ん……ぼー……ん……ぼー……ん……。



 ……ついに時計台が約束の時間、午後六時を知らせる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る