「お前などいらん!」と婚約破棄された悪役令嬢ですが、辺境で助けたもふもふが実は最強騎士団長様で、私の料理に胃袋を掴まれ過保護な溺愛が始まる
藤宮かすみ
第1話「悪役令嬢、壇上で笑う」
「エレノア・フォン・クライフォルト! 貴様との婚約を、本日この場をもって破棄する!」
キンと澄んだ声が、きらびやかなシャンデリアの輝く王立学園の卒業記念夜会ホールに響き渡った。
演奏は止み、談笑の声は消え、全ての視線が一人の男へと注がれる。
壇上に立つのは、このアークライト王国の第一王子にして私の婚約者であるライオネル殿下。その金色の髪は照明を浴びて輝き、整った顔立ちは怒りで紅潮していた。
そしてその腕の中には、か弱い小動物のように寄り添う一人の少女。潤んだ瞳でこちらを見上げる彼女はリリアナ・スチュアート嬢。この乙女ゲーム『光の聖女と七人の騎士』の正ヒロイン様だ。
『うわ、出た。テンプレート通りの断罪イベント』
頭の中に、まるで他人事のような冷静な声が響く。
そうだ、思い出した。私、エレノア・フォン・クライフォルトは、この乙女ゲームの悪役令嬢。ヒロインをいじめ抜き、最後はこうして王子に婚約破棄され破滅する運命にあるキャラクターだった。
そして私の中には、ついさっきまでこの体の主だった『エレノア』とは別に、平和な日本で生きていたOLの記憶がある。ああなるほど、これが転生ってやつか。よりにもよって、エンディング直前の悪役令嬢とは。ご愁傷様、私。
「エレノア! 貴様はその高貴な身分を笠に着て、心優しきリリアナを虐げ続けた! 彼女が階段から落ちたのも、教科書が破られていたのも、全て貴様の差し金なのだろう! その嫉妬深さ、もはや王太子妃に相応しくない!」
ライオネル殿下が、ビシッと私を指差して糾弾する。周囲の貴族たちは蜘蛛の子を散らすように私から距離を取り、ヒソヒソと囁き合っていた。
『悪役令嬢の定番コース、ご案内~』なんて、どこか呑気なことを考えてしまう。
だって、身に覚えがないのだ。
確かに、生粋のお嬢様だった今までの『エレノア』は、平民上がりのリリアナ嬢を快く思っていなかったかもしれない。でも階段から突き落とすなんて、そんな危険な真似をするほど馬鹿じゃない。だいたい、この私、クライフォルト公爵家の人間がそんなはしたない真似をするとでも?
私はゆっくりと背筋を伸ばし、扇で口元を隠しながら優雅に微笑んでみせた。
「まあ、殿下。そのような濡れ衣を私に着せるとは、ご冗談がお上手ですこと」
「なっ、冗談などではない! リリアナがそう証言しているのだ!」
「ほう。その方の『証言』だけで、長年連れ添った婚約者の言葉よりも事実を確かめる手間すら惜しむと。それが、次期国王となる方のなさるご判断ですのね」
私の言葉に、ライオネル殿下はぐっと息を詰まらせる。彼の隣でリリアナ嬢が「ひっ」と肩を震わせ、さらに殿下の腕にしがみついた。わざとらしいにも程がある。
ああ、もう面倒くさい。
王太子妃教育は厳しかったし、ライオネル殿下は顔はいいけど中身は空っぽ。こんな茶番に付き合っている時間こそ無駄というものだ。
『よし、決めた。この婚約、こっちから捨ててやろう』
私は扇を閉じると、パチンと小気味よい音を立てた。
「ライオネル殿下。よく分かりましたわ。殿下がそこまで仰るのでしたら、私に否やはございません。その婚約破棄、謹んでお受けいたします」
「な……なんだと?」
予想外の返答だったのか、殿下も周りの貴族たちも、そしてリリアナ嬢までもが目を丸くしている。悲しみに打ちひしがれ、泣きながら許しを乞うとでも思ったのだろうか。残念でした。今の私は前世の記憶を持つ、酸いも甘いも噛み分けた(つもりの)社会人なのだ。
「ただし、条件がございます」
私はすっと指を一本立てる。
「婚約は、アークライト王家とクライフォルト公爵家の間で正式に結ばれたもの。王家側からの一方的な破棄となりますれば、それ相応の慰謝料を頂かなければ我が家の名が汚れますわ」
「金か! やはり貴様は強欲な女だな! いいだろう、望むだけの金品をやろう!」
『あ、ちょろい』
心の中でガッツポーズを取る。この瞬間のために、私はゲームの知識をフル回転させていた。
「いいえ、お金や宝石など、そのような野暮なものは頂きませんわ。ただ一つ。王家が所有されております北の辺境にある『忘れられた土地』。あそこを私に譲っていただきたいのです」
「……あの土地だと? 魔物の森に隣接した、何の価値もない痩せた土地ではないか。そんなものでいいのか?」
ライオネル殿下は、怪訝な顔で私を見つめる。
そう、表向きは、何の価値もない土地。
でも私は知っている。ゲームのサブイベントで、あの土地には良質な温泉が湧き、薬草の宝庫で、鉱物資源も眠っていることが明かされるのを。開発すれば一大リゾート地になる可能性を秘めた、宝の山なのだ。
「ええ。王都の喧騒から離れ、静かに暮らしたいのです。それ以上は望みません」
私がしおらしくそう言うと、ライオネル殿下は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「ふん、よかろう! そんな土地で朽ち果てるがいい! リリアナ、もう大丈夫だ。これからは私が君を守る」
「ライオネル様……!」
うっとりとした表情で二人が見つめ合う。周りからは、そんな二人を賞賛する声が上がり始めた。まるで私が本当に悪であったかのように。
私はそんな光景を冷めた目で見つめながら、静かに踵を返した。
もう、ここに私の居場所はない。
けれど不思議と心は晴れやかだった。
これから始まる、自由で気ままで美味しいものにあふれたスローライフ。そう思うと、笑みさえこぼれてきそうだ。
ざまぁみなさい、なんて思わない。だってあなた達に構っている時間なんて、これからの私にはないのだから。
さようなら、窮屈な王宮。さようなら、愚かな元婚約者。
こんにちは、私の新しい人生!
私は誰にも気づかれないよう、小さく、しかし確かに勝利の笑みを浮かべたのだった。
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