幸せそうで、ちょっとヘンな僕達 番外編
玉木木木
2人のハロウィン🎃͙
夜。
玄関のドアが開く音がして、恭弥が「ただいま」と短く声を落とした。
スーツのままの彼は、一日の仕事を終えた疲れをわずかに滲ませながらも、視線を上げた瞬間に、ぴたりと動きを止めた。
リビングの真ん中に立っていた蒼が、もじもじと両手を胸の前で組んでいる。
いつもと違う
黒とオレンジを基調にした、控えめだけど可愛らしいハロウィンのコスチューム。
小さなかぼちゃがゆらゆら揺れて上に乗ってるおかしなカチューシャに、小さなマント。
何の仮装なのか全く検討つかない
頬が少し赤く、視線は床に落ちたままだ。
「……どうした、それは」
低い声に、蒼が小さく肩を跳ねさせた。
「えっと……今日は、ハロウィンなので……その……初めて、着てみました」
ぎこちない笑顔とともに、彼は小さく深呼吸をしてから言った。
「……トリック・オア・トリート」
その一言に、恭弥の眉がわずかに動く。
「……は?」
「お菓子をくれないと、いたずらしますよ、って……やつ、です」
声が震えているのは、緊張か照れか。
蒼が言い終えると同時に、恭弥はほんの一瞬、視線を逸らした。
「……そういう行事だったな」
「用意……してないですよね?」
「…あぁ…してないな」
「やっぱりっ」
蒼の唇に、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
「じゃあ、いたずら決定です」
そう言って、後ろの棚から何かを取り出した。
黒いマントと、小さなプラスチックの牙。
「……なんだ、それは」
「恭弥さんの分です」
「……俺が?」
「はい。コスプレですよっ逃げられませんからね」
困惑したように眉を下げる恭弥を見て、蒼は少しだけ笑う。
恭弥が「どうせ似合わない」と呟きながら諦めたように蒼の前まで行くと蒼が嬉しそうにマントを肩にかけてやる。
そのまま牙も渡して歯に付ける。口が動かしづらい。
マントをかける仕草は、まるで子どもがプレゼントを渡すように慎重で、優しかった。
「……似合ってます」
「冗談だろ」
「ほんとです」
スーツの上に黒いマントを纏った恭弥は、想像以上に雰囲気が出ていた。
整った顔立ちに影が差し、少し笑うだけで妙に妖しい。
蒼は思わず目を逸らして、頬を押さえる。
「……どうした」
「い、いえ……なんでもないです」
「……そうか」
マントの裾が音もなく揺れる。
その姿をもう一度見てしまって、蒼の胸はまた跳ねた。
(イタズラのつもりが、逆にやられたかもしれない)
そんなことを思いながら、彼は小さく笑った。
その夜、ふたりのハロウィンはそれだけで終わった。
けれど、マントの男とおかしなカチューシャの男が並ぶ光景は、どこかおかしくて、甘くて、忘れられない夜だった。
「ほんとに、似合ってますよ…なんかリアルで、今にも首を噛まれそうな……」
ほんの、軽口のつもりだった。
それが目の前の男がさっきの言葉を冗談として受け取れなかったのに気づいたのは彼の顔が目の前にいきなり近づいてきた時だった。
蒼を見るその目に、一瞬、何かが走った、底の深い熱。
「……噛んでほしいのか?」
低く、静かに。
笑っていない声だった。
蒼は息を詰めた。冗談、とすぐに言えばよかったのに、喉がひりついて出てこない。
その間に、恭弥が一歩近づく。
マントの裾が、床をすべって音を立てた。
黒のマントを羽織った恭弥が突然、蒼の首元に顔を寄せる。
冗談のはずが、空気がゆっくり変わっていく。
蒼が息を呑んだまま動けず、恭弥は耳元で低く囁く
「逃げないのか?」
蒼は息を詰めたまま、視線を逸らせなかった。
ほんの冗談のはずだったのに、恭弥の瞳の奥にある何かが、それを許さない空気をつくる。
これ以上は耐えられないと思った蒼は小さく深呼吸をしてやっと声を出した
「…んっ……冗談、ですよっ」
かすれた声で言うと、恭弥がゆっくりと身を離した。
彼の表情は変わらないのに、その沈黙がやけに重く感じられる。
「……わかってる。けどな」
小さく息を吐く。
「お前がそうやって目の前で笑ってると、冗談の線がすぐ曖昧になる」
蒼は言葉を失ったまま、指先をぎゅっと握りしめた。その指を恭弥が見つめて、ふっと小さく笑う。
「怖がらせるつもりじゃない。ただ、……油断するな」
「え?」
「誰にでも、こうやって懐くなってことだ」
言い終えて、恭弥は立ち上がった。
マントの裾が静かに揺れる。
正直あまり意味は伝わらなかった。
「ハロウィンの冗談は、ここまでだ。………着替えてこい」
蒼は小さく頷きながら、胸の奥に残る熱をどう扱えばいいかわからなかった。
用意した衣装をすぐに着替えさせられて寂しい気持ちだけが深く残った。
恭弥はゆっくり息を整え、マントの留め具を外した。衣装を片付けた蒼が戻ってくる。
さっきまでの張りつめた空気が、少しだけ和らぐ。
「……で、夕飯は?」
「えっと、かぼちゃのグラタンと、スープも作りました」
蒼がおずおずと答える。
テーブルの上には、オレンジ色が優しく灯るような料理が並んでいた。
グラタンの表面は香ばしく焼けて、スープからはバターとミルクの匂いが漂っている。
「……ほう」
恭弥は椅子を引き、蒼の向かいのいつもの席に座った。
静かに手を合わせてからフォークを手に取って、グラタンをひと口。
「うまいな」
短く言ったその声が、思いのほか柔らかくて、蒼はほっと息を漏らした。
「よかった……失敗してたらどうしようかと思いましたっ」
「焦げてない、味も悪くない、傑作だな。」
「ほんとですかっ!」
「あぁ」
恭弥は淡々と答えながら、もうひと口運ぶ。
その仕草がいつもより穏やかで、蒼は思わずふふっと小さく笑った。
「……蒼」
「はい?」
「……来年は、もう少しまともな仮装を考えよう」
「え、またやってくれるんですか?」
「……お前がどうしてもって言うなら、だ」
「えっ?」
「ただし、誘うのはお前だ。気が向けば、考えてやる」
そう言って、恭弥はかぼちゃのスープを口に運ぶ。
その曖昧な言い方に、蒼の胸が少し弾む。
「じゃ、じゃあ……ちゃんと誘いますっ」
「楽しみにしてる。」
恭弥は口元にかすかな笑みを浮かべ、残ったグラタンを更に口に運ぶ。
蒼はそんな恭弥を見て、嬉しさを隠すようにスプーンを握りしめながら、来年のハロウィンを思い浮かべて小さく頬を緩めた。
その優しいかぼちゃの香りが、静かな夜に溶けていった。
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