春の訪れに桜舞う

花織楓麻

春の訪れに桜舞う 上

下では年に一度の春祭りを皆が楽しんでいる。境内には僕ひとり。誰もいない神社の境内は薄気味悪い雰囲気を持っていただろう。


きっと、そこで舞う 誰か が居なければ。


その誰かは薄紅色の甚平を身に纏い、短めの髪には桜の蕾のようなデザインのかんざしをつけていた。

神社にある木々から舞い落ちる桜の花びらに身を包みただただ無心に舞うその姿は美しく、幻想的だ。

歳は僕とそう違いない。


それは、とても可憐な少女であった。


どれぐらい時間が経ったのだろう。あたりにはチラホラと人が集まり、やがて皆が集まった。

皆が彼女の純真で無垢な姿に魅入った。

最後まで見逃してしまわないように。

舞が終わると僕は一番に彼女の元へ駆け出した。


「あのっ、キレイだったよ。すごく。」


辿々しい口調でそう伝えた。彼女はただ一言 "そう" と答えた。


「君は誰なの?どこから来たの?…」


僕はただただ初めてのことに興味深々で、捲し立てた。

けれど、彼女はどの質問にも無表情を貫き、答えることはなかった。

だんだん僕も聞く気が無くなった。

でも、せめて何か繋がりを持ちたくて、「これが最後だから…」と眉を八の字にさせて彼女に問いかけた。


「あの、君の名前…教えて。」


"名前?"


彼女は初めて僕の問いに反応した。

聞き逃してしまいそうなほどに小さく、か細い声だった。

その時、遠くからお母さんの呼ぶ声が聞こえた。


「ここに居たのね。そろそろ帰りましょう。…あら、何か嬉しそうね。」


「うん。あのね、この子の舞すごく綺麗だったんだよ。」


「この子?」


「僕の後ろにいる…あれ?」


振り返ると、そこにあの無口で可愛らしい少女は居らず、僕の背よりちょっと大きな木が一本、花を咲かせて立っていた。

それは、先ほどまで舞っていた彼女のような綺麗な桜だった。


「帰っちゃったのかしらね。」


お母さんは僕に手を握り、桜を背に歩き始めた。


「あの桜の木ね。あなたが産まれた頃に植えられたそうよ。確か名前はね…」


"卯月の桜姫…みんなにはそう呼ばれている"


「え?」


不意に彼女の声がした気がして振り向くけれど、誰もいない。


「どうかした?」


「なんでもない。」


咄嗟に答えてまた歩き出す。


「また、見れるかなぁ。」


「ええ、きっと。」


"会える"


そう、聞こえた気がした。



「ねぇ、ねぇ。お父さん。」


「どうしたんだい?」


膝の上には一人の女の子が乗っている。


「お父さん、神様っているのかな。」


まだ、七歳になって間もない一人娘がクリクリっとした目を興味津々に開いて問いかけてきた。

「あのねあのね…」両手を広げ一生懸命に説明する姿は可愛らしい。

どうやら友達に聞いたらしい。

僕の頭にはあの桜姫の姿がよぎっていた。

娘の頭を優しく撫でる。


「いるよ。きっと、お前が産まれたのも彼女のおかげだ。」


娘は不思議そうに目をパチクリさせた。



もうすぐ誕生する。

最愛の女性から新たな命が。

彼女と手を繋ぎ、僕らはあの神社に来ていた。

小さかった桜の木はもう他の桜と変わらないくらい大きい。


「この子が産まれる前にもう一度会いに来ました。妻とともに。」


その言葉に答えるように背中を風で撫でられ、振り返ると、


 誰か が舞を舞っていた。


その誰かは桜色の着物を身に纏い、長い髪は桜を模したようなデザインのかんざしで留めていた。

舞い落ちる桜の花びらに混じるように軽やかに、けれど不思議な怪しさを持ち舞う姿は僕らの心を掴んで放さない。

終わりを告げるその一瞬まで。


それは、とても妖艶な美女であった。


「きれい。」と、横で思い人がため息に混じるように感嘆の声を上げた。

それを分かち合うように大きくなったお腹をさする。


"新たな命に幸あれ"


そう、美女は優しく微笑み、風に紛れるように消えた。


「ありがとうございます。卯月の桜姫様。」


"また、会えた"


そう囁かれた気がした。



「お前が無事産まれてこられたのも、きっと桜姫様のおかげだよ。」


あの時の物語を膝の上で不思議そうに聞く娘の頭をもう一度撫でる。

くすぐったそうに身を震わせる我が子を愛おしく見つめる。

買い物から帰ってきたのか妻の「ただいまー。」と言う声が廊下に響く。

娘は膝から降りて一目散にそちらへ駆け出していった。

その後ろをゆっくりとついていくと、玄関先で「お帰りなさい!」と可愛らしくお出迎えする娘を母である妻が優しく抱きしめる姿があった。

歩みを止めずに近づき、さらにその上から2人を抱きしめる。

この幸せがいつまでも続いてほしいと心の中で強く願った。



死とは、なんだろう。


最愛の人の亡骸を見つめながら考える。

一昨日も、昨日も、今日の朝も、いつも通りに過ぎていた。

それが、突然壊れた。


「なんで、お母さんが…」


成人してまもない我が子がなんで、どうしてと嗚咽混じりに繰り返している。

その肩を強く握り、堪えられない大粒の涙をぽろぽろと溢す。


「お父さん…、お父さあぁぁん!いやあぁぁぁ!」


振り返り、すがるように服に抱きつく娘を強く、強く抱きしめる。

最愛の人の亡骸の前で、涙で曇る視界の中で、ただただ絶望を感じていた。



おぼつかない足取りで、病院からの帰路を娘と2人並んで歩く。歳の数ほど過ぎた春は今までになく真っ暗闇だ。

僕らにとって春は大切な季節だった。

春になると、3人で背比べをした。

花見もかかさずに行った。

娘の誕生日も、入学式、卒業式も家族みんなで祝った。

しばらく歩いていると、不意にあの神社が目に入った。

春祭りは毎年欠かさずに行っていたが、人手不足やらなんやらでとっくに無くなってしまっていた。

そのため、あの頃の賑わいはもうどこにも見られない。

それでも、2人の足は自然と神社の石階段へと向いていた。

階段を上ると、


 誰か が舞を舞っていた。


その誰かは秋桜色の着物を見に纏い、白髪の混じりはじめた長髪はおろされ、しなやかに動いている。

舞い落ちる桜の花びらを包み込むような包容力のある動きには、2人の凍てついた心を溶かす温かさがあった。

どうして彼女の舞はこんなにも優しいのだろう。

どうして彼女の舞はこんなにも僕らの心に残るのだろう。


彼女はどこまでも情に満ちた美しい女性だった。


どこからともなく涙が溢れて顔を覆う。

舞が終わってもその余韻が冷めることはなかった。

ぽつりぽつりと溢れるように言葉を呟いていた。


「妻が死にました。どうして…どうしてなんでしょう。

これから先真っ暗だと、妻のいない世界でこれから、幸せなんてないんだと…そう感じていたのに。」


涙でぼやけそうになる目を服の袖でごしごしと拭う。

真っ直ぐにこちらを見つめる彼女は暗闇の中だというのにその姿は一つの燈のようにくっきりとしている。


「どうして…あなたをきれいだと、美しいと思ってしまうのでしょう。」


風が頬を優しくかすめる心地がした。


"生きているから、私もあなたも…あなたの子も"


僕は、娘の手を強く握っていた。

腫れた目を手で押さえながら上を向く。

込み上げてくる熱い思いを息とともに吐き出す。


「これからさ、たくさん話そう。お母さんとの思い出を…。

それでこれから、たくさん思い出を作ろう。今じゃなくていい。この悲しみを覆い尽くすくらいの…幸せをお母さんに2人で、伝えに行こう。」


娘に強く握り返された手をもう一度優しく握り直し、2人で夜の道を上を向いて歩いた。

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