第27話 揺れる境界線
その日の夜、
真司は《ハート・ラボ》の照明を落とし、
ひとりで記録ノートを開いていた。
――水城真由香、再面談。
――感情転移の兆候あり。
――面接の継続は要検討。
冷静な言葉を並べながらも、
ペンの動きはどこかぎこちなかった。
「先生、まだ残ってたんですか?」
ドアの隙間から、白石真由が顔をのぞかせた。
彼女は帰り支度のまま、手にコートを抱えている。
「少し、整理してて。」
「……今日の方、どんな感じでした?」
「難しいね。過去の関係が絡むと、
支援者とクライアントの線が曖昧になる。」
真由は黙ってうなずいた。
それから、少しだけ目線を落とす。
「……その人、先生に特別な気持ちを持ってる気がしました。」
「分かる?」
「ええ。女性の感って、けっこう鋭いんですよ。」
その言葉に、真司は小さく苦笑した。
だが、次の瞬間、真由が真剣な声で言った。
「先生、無理しないでください。」
「え?」
「“支援”って、時々、自分を削るじゃないですか。
相手の気持ちに引きずられて、
本当の自分の居場所が分からなくなる。」
静かな空気が流れた。
窓の外では、夜風がビルの隙間を通り抜けている。
「白石さん……。」
「はい。」
「君がいてくれて、助かってる。」
「そう言われると、うれしいです。」
二人の間に、かすかな温度が生まれた。
けれど、それを言葉にすれば壊れてしまう気がした。
沈黙を破ったのは、
デスクの上のスマートフォンだった。
画面には新着メールの通知。
差出人――“水城真由香”。
本文は、ただ一文。
「先生、どうしても伝えたいことがあります。」
真司は画面を見つめたまま動けなかった。
隣で真由が小さく息をのむ。
「また……来ますね、きっと。」
「ああ。」
その夜、
《ハート・ラボ》の灯りは、いつもより長く消えなかった。
支援者としての倫理、
一人の人間としての感情――
その境界線が、少しずつ滲み始めていた。
(つづく)
📘次回(第28話)
「告白の行方」
水城真由香が再び《ハート・ラボ》を訪れる。
彼女が語る“伝えたかったこと”とは――
そして、真由の胸に芽生える新しい想いが、静かに交差する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます