第3話 恋の盆踊り ― 間を大切に ―
その日も、代々木のビルの三階にある《ハート・ラボ》の窓からは、
午後の日差しがやわらかく差し込んでいた。
三枝はドアの前で小さく深呼吸をした。
先週の模擬デート以来、胸の奥に残った“もやもや”を持て余していたからだ。
「先生……私、また沈黙してしまって。相手を退屈させた気がします」
桐谷真司は、いつものように静かにうなずいた。
「沈黙、いいじゃないですか」
「……よくないですよ。気まずくて、焦って、変なことまで言っちゃって」
「それは、焦りが“間”を壊したんですね」
桐谷は、卓上のメモ帳を開いて、さらさらと書いた。
> 『恋はキャッチボールじゃない。盆踊りだ。』
「キャッチボールは、投げなきゃ返ってこない。
でも盆踊りは、相手のリズムを感じて一緒に回る。
大事なのは“言葉”より“呼吸”なんです。」
三枝はペンの動きを目で追いながら、ふと笑った。
「先生、なんか詩人みたいですね」
「詩人というより、踊りの先生です。ほら、《恋のリズム教室・代々木校》」
「それ、怪しい団体みたいですよ」
二人は思わず笑った。
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「沈黙って、怖くないですか?」
「怖いですよ。でも、怖いままでいいんです。」
桐谷は、少しだけ真顔に戻った。
「森田療法という心理学の考え方があるんです。
例えば、“あがり症を直そうとするな”、って教えるんですよ。」
「直さないんですか?」
「はい。直そうとすればするほど、意識がそこに集中して、余計に緊張する。
だから、“緊張したまま話していい”って思うほうが、自然にほぐれるんです。」
しばらく沈黙。
エアコンの音と、外を走る電車の音が重なった。
「……先生、今の沈黙も、悪くなかったですね」
「でしょ? 人と人のあいだに、“間”があるのは自然なんです。
呼吸みたいに、空気をひとつ分け合う時間。」
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数日後、三枝から短いメッセージが届いた。
> 「今日、同僚と話してたら、沈黙になったけど、逃げませんでした。
> ちゃんと相手の呼吸を聞いてたら、また話が戻ってきました。」
桐谷はスマホの画面を見て、ふっと笑った。
> “盆踊り、一歩目ですね”
返信を打ち終えると、窓の外の夕暮れが赤く染まっていた。
近くの公園では、夏祭りの提灯が揺れ始めている。
盆踊りの音頭が風に乗って、かすかに届く。
きっと誰かが、誰かと、少しずつ呼吸を合わせながら輪を描いている。
桐谷は、机の上のメモを見やった。
> 『沈黙を恐れるな。間は関係の呼吸。』
師匠の九条先生の言葉が、また一歩、日常の中に溶けていく気がした。
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**つづく**
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