第六話 僕が僕で僕じゃない僕

 決勝の朝——いや、時間の概念がないから朝かどうか分からないけど——目が覚めると、鈴音はすでに起きていた。


「おはよう」


「おはよう。よく眠れた?」


「100人分の記憶の夢を見た」


「大変そう」


 簡単な朝食(どこから出てきたのか謎のサンドイッチ)を食べて、決勝戦の会場へ。


 そこには、もう一人の僕が待っていた。


「古代統合体」


 紀元前から平安時代まで、約30人の僕の集合体。見た目は普通の僕とほぼ同じだけど、纏っている雰囲気が違う。


 なんというか、悟りを開いた僧侶のような、達観した空気を漂わせている。


「やあ」


 古代統合体が穏やかに微笑んだ。


「ついに、この時が来たね」


「うん」


「でも、戦う必要はない」


「え?」


 古代統合体が続ける。


「僕たちは、もう答えを知っている。なぜなら——」


 彼が手を挙げると、空間に文字が浮かび上がった。


 古代エジプトのヒエログリフ、楔形文字、甲骨文字、そして日本の古代文字。


 全て同じことを言っている。


『時は一つ、我は一つ、全ては一つ』


「これは?」


「僕たちが各時代に残したメッセージ。全ての文明に、同じ真理を刻んだ」


「真理?」


「そう。僕たちは最初から一つだった。分かれているように見えるのは、ただの幻想」


 古代統合体が一歩近づいた。


「量子力学を知ってる?」


「名前くらいは」


「観測するまで、粒子は波として存在する。つまり、『可能性』として広がっている」


「うん?」


「僕たちも同じ。100人の鳥羽翔は、一人の鳥羽翔の『可能性』が、時空に広がった状態」


 なるほど、分からん。


「つまり?」


「つまり、統合は『元に戻る』だけ。怖がることはない」


 古代統合体が両手を広げた。


「さあ、一つになろう」


 その瞬間、田中AIが割り込んできた。


「ちょっと待ってください!」


「何?」


「実は、重要なお知らせがあります」


 田中AIの表情が真剣になった。


「鳥羽翔さん、あなたは『バグ』です」


「バグ?!」


「はい。本来、時間旅行者は一つの時代にしか存在できません。しかし、あなたは100の時代に同時存在している。これは時空システムの重大なバグです」


「じゃあ、僕は——」


「直す必要があります。しかし、問題があります」


 田中AIが続ける。


「バグを直すと、あなたの存在自体が消える可能性があります」


 鈴音が青ざめた。


「消えるって、どういうこと?」


「文字通り、存在しなかったことになります。鳥羽翔という人物は、最初からいなかった」


 重い沈黙が流れた。


 でも、古代統合体は微笑んでいた。


「それでいい」


「え?」


「僕たちは、そのために存在している。時空のバグを、内側から修正するために」


 古代統合体が、懐から古い羊皮紙を取り出した。


「これを見て」


 そこには、見覚えのある文字が書かれていた。僕の筆跡で。


『未来の僕へ。もし君がこれを読んでいるなら、全ては計画通りだ。僕たちは時空のバグとして生まれ、そして時空を修正するために消える。それが僕たちの役目。でも心配するな。消えても、痕跡は残る。その痕跡が、新しい世界を作る』


「これを書いたのは?」


「最初の鳥羽翔。つまり、全ての始まりの僕」


 田中AIが補足する。


「データを解析しました。『最初の鳥羽翔』は、実は——」


 画面に、一枚の写真が映し出された。


 コンビニの店員。田中さん……いや、違う。よく見ると——


「これ、僕?」


「はい。最初の鳥羽翔は、時空管理局の創設者でした」


「ええええ?!」


「あなたは、時空が壊れることを防ぐために、自らをバグとして時空に散布しました。そして、いつか全てのバグが集まり、一つになって消えることで、時空を完全に修復する」


 壮大すぎる。


「でも、それじゃあ鈴音は?」


 鈴音を見た。彼女は、複雑な表情をしていた。


「私も、知ってた」


「え?」


「私の本当の役目は、あなたが消える瞬間を見届けること。そして、その記録を残すこと」


 鈴音が涙を堪えているのが分かった。


「でも、知ってても……好きになっちゃった」


「鈴音……」


 古代統合体が咳払いをした。


「感動的だけど、実は続きがある」


「続き?」


 古代統合体が羊皮紙をめくった。


『P.S. でも、完全に消えるのは嫌だったので、抜け道を作っておいた。統合の瞬間、強い想いがあれば、それは新しい形で存在できる。例えば、誰かを愛する気持ちとか』


「抜け道?」


 田中AIが驚いている。


「そんなデータは……いや、待って。確かに、ここに異常な数値が」


 画面に複雑なグラフが表示された。


「愛情指数が、計測限界を超えています。これは……」


 古代統合体が笑った。


「愛は、時空さえも超える。ベタだけど、真理だ」


「じゃあ、消えない?」


「消えるけど、消えない。変わるけど、変わらない。それが量子的な在り方」


 訳が分からないけど、希望は見えた。


「よし、やろう」


 僕は決意した。


「統合して、時空を修正して、それでも残る。欲張りだけど、全部やる」


 古代統合体が頷いた。


「それでこそ、鳥羽翔だ」


 二人の僕が、手を取り合った。


 瞬間、凄まじい光が溢れ出した。


 30人の古代の記憶、50人の近代の記憶、そして20人の未来の記憶。


 全てが一つに溶け合っていく。


 原始時代、マンモスと踊った記憶。

 古代エジプト、ピラミッドの頂上で見た朝日。

 ローマ帝国、コロッセオでグラディエーターと友達になった話。

 平安京、紫式部に源氏物語の感想を言って怒られた思い出。

 戦国時代、信長に「ホトトギスは鳴かなくても可愛い」と言って笑われた瞬間。

 江戸時代、寺子屋で子供たちに未来の話をした日々。

 明治維新、西郷どんと一緒に温泉に入った夜。

 大正ロマン、カフェーで文豪たちと議論した午後。

 昭和、戦争を止めようとして失敗した苦い記憶。

 平成、2000年問題で大騒ぎした大晦日。

 令和、コロナ禍でも時間旅行した日々。


 そして——


 全ての時代の、鈴音との思い出。


「ああ、そうか」


 統合の中で、僕は理解した。


「僕は、全ての時代で、君に恋をしていた」


 鈴音の声が、遠くから聞こえる。


「私も、全ての時代で、あなたを愛してた」


 光が最高潮に達した。


 そして——


【システム通知:統合完了】

【時空のバグ:修正中】

【鳥羽翔の存在:消失まで10秒】


「10秒?!」


「翔!」


 鈴音が僕に飛びついた。


「消えないで!」


「大丈夫」


 僕は彼女を抱きしめた。


「だって、これはハッピーエンドの物語だから」


【5秒前】


「でも、どうやって——」


【3秒前】


「簡単だよ」


【2秒前】


「ファミチキの力を信じる」


【1秒前】


「は?」


【0】


 世界が、真っ白になった。


 そして——


「いらっしゃいませー!」


 目を開けると、僕はコンビニに立っていた。


 レジの向こうには、田中さんがいる。いや、違う。よく見ると——


「翔?」


 鈴音が、コンビニの店員の格好をして立っていた。


「あれ、僕、消えたんじゃ……」


「ファミチキください」


 声がして振り返ると、そこには——


 僕が立っていた。


 いや、正確には、25歳の鳥羽翔が立っていた。


「あの、君は?」


 25歳の僕が首を傾げる。


「俺?俺は……」


 自分の手を見る。透けていない。ちゃんと存在している。


 でも、何かが違う。


「あ、分かった」


 鈴音が嬉しそうに言った。


「あなた、時空の一部になったのね。消えたけど、偏在する存在として再構築された」


「どういうこと?」


「簡単に言うと、あなたは『時空の管理人』になった。過去にも未来にも現在にも、同時に存在できる」


「じゃあ、僕は——」


「不老不死で、時空を自由に移動できて、でもファミチキは普通に食べられる」


「最後が一番重要」


 二人で笑った。


 25歳の僕が、不思議そうに僕らを見ている。


「あの、ファミチキ——」


「はい、すぐに!」


 鈴音が揚げたてのファミチキを渡した。


「ありがとうございました!」


 25歳の僕が店を出ていく。


 その背中を見ながら、僕は思った。


 あれが、全ての始まりの僕。


 これから彼は時間旅行を始めて、禁忌を破って、100人に分裂して、そして統合して——


「無限ループ?」


「ううん、螺旋」


 鈴音が優しく言った。


「同じことの繰り返しに見えて、少しずつ上昇していく。それが時間の本質」


「じゃあ、僕らは?」


「螺旋を見守る者。時々介入して、正しい方向に導く」


「それって、デートする暇ある?」


 鈴音が笑った。


「時空の管理人なんだから、時間はいくらでも作れるでしょ」


「確かに」


 こうして、僕の時間旅行は終わり、新しい役目が始まった。


 時空の管理人として、全ての時代を見守り、時々ちょっかいを出し、そして鈴音とファミチキを食べる。


 最高の、ハッピーエンドだ。

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