第26話

 焼けた芋の香りがまだ漂う中、アルトとラパンたちは、商談とも雑談ともつかない曖昧な境界線をたゆたうような会話を続けていた。


「そうだ、他に植物の種はないかな?」


 アルトの問いかけに、ラパンは帳簿をめくる商人才らしい癖のある仕草で、指先をひらひらと上下に振ってみせた。


「へい、お任せを。そう言うだろうと思いましてね、人参と玉葱、ついでに牧草の種なんぞも持ってまいりました。どれもこういう荒れた土地でも何とか根を張る強い品種を選んであります。それに加えて、寝具と――参考書や書物もありますよ」


「参考書?」


 セリカがぱちりと目を瞬かせ、興味の色を隠さず身を乗り出す。


「へい、農学の入門書から、勉学用に使えそうな本や勇者物語まで揃えてみやした。開拓の足しやお暇つぶしになればと思いまして」


 セリカは早速、一冊を手に取ってページをぱらぱらとめくり、紙の触感とそこに記された知識の重さに触れるように、真剣な表情で読み入っていた。農業の経験などほとんどない彼女にとって、これらは未来を耕すための地図にも等しい。


「それに、ステラの勉強にもいいかもしれないわね」


 そう呟くセリカの声を聞いたステラは、焚き火の棒をくるくると弄びながら、どこか気まずそうに視線を逸らしたのである。


 しかし、良い品を持ってきてくれたとはいえ、アルトたちの懐事情は常に厳しい状況。支払えるお金を用意できるほどの余裕はない。


「ラパパパ~ン♪ 旦那の懐事情は重々承知。前と同じように、魔獣の素材や魔石との物々交換で構いませんよ」


「ああ、それなら……」


 アルトは小屋に戻り、討伐した魔獣熊の魔石や素材を抱えるようにして戻ってきた。焚き火に照らされた魔石は、半透明の内部がゆっくり赤熱するように光を宿し、まるで小さな心臓が奥底で脈動しているかのように見える。


 ラパンは自然と息を呑んだ。


「……こりゃあ、また上等な代物を。結晶の密度が、そこらの魔獣の比じゃありませんね。これを物々交換に出すなんて、贅沢を通り越して暴挙……いや、ありがたいんですが」


「うちに置いといても宝の持ち腐れだからな。(……まあ、ゴーレムの核に使えるって言われたけど、セリカに止められたんだよな。確かに、こんな良質な魔石なら、今は素材にするよりラパンに売ったほうがいいよな)」


「先のジャガイモの独占契約、そしてこの魔獣の素材に魔石……。解りました。今回はこちらの持参品と、それらを交換という形で手を打たせていただきましょう」


「良いのか?」


「ええ。ここまで足を伸ばした甲斐がありましたよ。しかし、これほど良質な品を、安定して取引できるとなれば、私としては、なおさら黙って通り過ぎるという選択肢はなくなりますね。ええ、これからも定期的に寄らせていただきます。この村の道に、うちの荷馬車の轍を刻んでいきましょう」


 野菜の種、寝具、参考書が次々と手渡され、焚き火の明かりの中に、物資の影が積み重なっていく。


「さて、他に何か必要なものがありましたら、今度来る時にでもお持ちしますよ」


「そうだな……ああ、ちょうど訊きたいことがあったんだ」


 アルトは一度辺りを見渡し、言葉を整理しながら続けた


「見ての通り、今は何もない場所だけど、領主として村や町に育てていかなきゃいけない。建物を増やして、将来的には人も呼び込みたい。そのためには……まず、大工や職人を辺境に連れてきて欲しいんだが、そういうことはできるか?」


 ラパンは答える前に一瞬黙し、ゆらゆらと揺れる焚き火を眺めた。炎が瞳に映り、思考がそこに形を得るのを待つような沈黙が広がる。


「なるほど、確かに。可能か不可能と言えば可能です。ただし……」


「ただし?」


「人は空腹のままでは働けません。家がなければ暮らせません。まして職人は腕一本で飯を食う連中です。家、食料、材料、あるいは金銭。どれが欠けても首を縦には振らないでしょう」


「まあ、そうなるか……」


 アルトがため息をつく。


「作物の収穫量が増え、建材がある程度揃いさえすれば、こちらで声をかけてみますよ。まずは、建築を任せられる大工を探すところから始めてみますかね」


「ああ、そうしてくれると助かる」


 アルトが胸をなで下ろしたその瞬間、ラパンはふいに声を潜め、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。


「それとですね……これは私からの切実な要望なんですが。ここに辿り着くまでの道、どうにかなりませんかね? 来るまでに馬車の車輪が三回外れましたよ。次は僕の腰が外れるかもしれません」


 近隣の村からこの辺境へと伸びる“道”と呼ばれるものは、その名が示す役割をまともに果たしているのか疑いたくなるほど無残に荒れ果てており、踏みしめるたび土はえぐれ、小石は踵を噛む。

 そんなありさまでは、馬車など通ろうものなら半ばで身動きを奪われ、荷台も御者も途方に暮れるほかないだろうと思わせるほどであった。


「そうか、そうだよな。あの道を舗装もしないとな」


 アルトは額に手を当て、深く嘆息した。焚き火の向こうで揺れる影が、彼の肩の重荷をそのまま形にしたかのように濃く伸びていく。


「やることが倍に増えた気がする」


「倍で済めば、それはむしろ幸運ってやつですよ」


 ラパンはからりと笑って言った。深刻さを軽妙に転換してしまうあたり、商売人の強さか、あるいは辺境を歩き慣れた旅人の習性か


「次に来るときまでに、道が少しでも平らになっていることを祈っていますよ、領主様」


 アルトは苦笑し、しかしその笑みの奥には、確かな決意の火が灯っていた。

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