第20話
その夜、三人は焚き火の明かりを囲みながら野宿をした。
二体のゴーレムが周囲に鎮座しており、アルト曰く、魔獣の人影などがあったら自動的に起動して追い払ってくれるらしく、その頼もしさが心を落ち着かせてく、ひとときの安堵があった。
焚き火が赤くはぜ、夜は深く、静かに沈み込んでいった。
まだ夜と朝の境が曖昧な時刻。霧が低く流れ、草葉に白露がきらめく。
ステラは寒さに身をすくめて目を覚ました。
膀胱の訴えに眉をしかめ、そっと寝返りを打つ。アルトもセリカも、疲労のあまり深い眠りに落ちていた。
焚き火の残り火がかすかに赤く、彼らの寝顔を照らしている。
起こすのは悪いと幼いながらも気を遣い、ステラは一人で茂みの奥へと歩いていった。まだ夜の名残を留める森の奥。風の音も鳥の声もなく、ただ自分の足音と小さな吐息だけが聞こえる。
用を済ませ、そっと立ち上がる。だが、戻ろうとしたとき、彼女は足を止めた。――どちらから来たのか、わからない。
似たような茂み、同じような木々。夜露に濡れた葉が光を反射し、どれもこれも同じに見える。
胸がざわつき、息が速くなる。
焦れば焦るほど、足は空回りし、どの方角にも確信が持てなかった。
泣きそうになった、そのとき。
奥の茂みが、がさり、と音を立てた。
ステラはぱっと顔を上げる。
なぜかセリカかアルトが来てくれたと思った。
安堵が一瞬、胸を満たした。
しかし――現れたのは人ではなかった。
闇よりもなお濃い黒毛。その巨体に相応しい丸太のような腕、岩のような肩。
熊に似た魔獣が、低く喉を鳴らしていた。
「グルルルル……」
ステラは凍りついた。声を出そうにも、空気が肺の奥で止まったまま動かない。
そのまま背を向け、駆け出した。だが、それが最悪の選択だった。
魔獣の咆哮が森を震わせ、地面が鳴動する。獲物を定めた魔獣熊が、一気に距離を詰めてくる。
ぬかるむ地面、茂る根。子供の足では到底逃げ切れなかった。
ステラは枝に躓き、地に倒れ込んだ。冷たい土が頬を打つ。
振り返ると、魔獣熊が爪を振り上げていた。
切り裂かれる――
「――
鋭い詠唱が空気を裂き、紅の閃光が森を染めた。
火球が魔獣熊の顔面に命中し、燃え上がる炎が一帯を照らす。焦げた毛皮の匂いが漂う。
だが、獣は倒れなかった。
激昂した咆哮と共に、視線を炎の主――セリカへと移した。
次の瞬間、大地が震えた。
地を割るような音とともに、アルトのゴーレムが姿を現したのだ。
巨腕を振るい、魔獣熊を殴り飛ばした。轟音が森を打ち、鳥たちが一斉に飛び立つ。
しかし魔獣熊はなおも立ち上がる。
肩を怒らせ、唸りを上げる。――この森の王は我だ、と言わんばかりに。
「グオオオオオオオオッ――ッ!」
天地を揺るがす咆哮が森を貫き、空気が震えた。
岩のように分厚い筋肉に覆われた魔獣熊が、同じく岩から成るゴーレムと激突する。
巨体と巨体がぶつかるたび、大地はうねり、地を這うような衝撃が辺り一帯を駆け抜けた。
枝が裂け、枯葉が舞い、森そのものが悲鳴を上げているかのようだった。
その混乱の中、セリカは瞬時に判断し、ステラのもとへ駆け寄った。
ステラの顔は恐怖で青ざめている。
セリカはその小さな身体を抱きしめ、胸元に引き寄せた。
震える肩が腕の中で脈打つたび、自分の心臓までもが同じ速さで鼓動している気がした。
「もう……大丈夫よ――」
その言葉の続きを言い終える前に、鈍い轟音が森を揺らした。
視線を向けると、ゴーレムの巨体が宙を舞い、次の瞬間、砕けるような音とともに地へ叩きつけられた。岩片が四方に飛び散り、無言の守護者は見る影もなく瓦礫と化していた。
「そ、そんな……」
胸の奥に広がるのは、冷たい絶望。
勝ち誇った魔獣熊が、血のように濃い瞳を二人へ向ける。
まるで森の王がゴーレムを打ち倒した賞品を手にするかのように、ゆっくりと、確実にその歩を進めてきた
ステラは目をぎゅっと閉じた。叫びも涙も出ず、ただ心の奥で祈るように願った。
――助けて。
その瞬間、森を切り裂くような突風が吹き抜けた。
落ち葉が宙を舞い、獣の動きがほんの一瞬、止まった。
そして――
「――キューブ2! アルティメットパンチ!」
アルトの声が轟き、命令と共に大地が唸った。
土の奥底から湧き上がる魔力が爆ぜ、残る一体のゴーレムが地を蹴って跳躍する。その背には、アルト自身の姿があった。
ゴーレム《キューブ2》の拳が振り抜かれる。轟音と閃光が同時に弾け、世界が一瞬、白く塗り潰された。
その一撃はまさに全身全霊。とてもなく重い衝撃が、魔獣熊の顎を正確に捉え、巨体を宙へと吹き飛ばす。
黒い塊は空を裂き、幾度か地を転がりながら、遠くの木々をなぎ倒した。
そして、森の奥で動かなくなる。
長い静寂。
朝の光が少しずつ、戦場と化した森をやさしく包み込む。
セリカの腕の中で、ステラが小さく息をついた。そこに怯えの影は、もうなかった。
セリカは震える少女の頭をそっと撫で、指先に伝わる温もりに目を細める。
――この子には文字や数だけでなく、この世界で生き抜くための戦う力を教えないと。剣も、魔法も。
そんな思いが胸の奥で形を成しながらも、それでも今は、ただ無事を確かめるように、腕の中の温もりにほっと息を漏した。
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