「悪役令嬢」という怪異

常磐わず

 「悪役令嬢」という怪異




 冬場に洗濯物をため込むと、碌なことにならない。

 本日二度目の洗濯物をドラム式洗濯機に放り込んで、理沙はため息をついた。この調子だと、あと五回は回す必要がある。


 一度目の洗濯の待ち時間に、今やるべき家事は済ませてしまった。理沙はソファに寝転んで、暇つぶしにスマホを弄りはじめた。

 動画サイトのMooTubeを開くと、おすすめ欄に懐かしいタイトルを見つけて、理沙は目を見張った。


≪【薔薇の乙女と灰の魔女#1】完全初見!魔法学校に入学します【五麗ジョーン】≫


 再生回数は三桁にも届かない。けれど、そのゲーム名を見た瞬間、自然と指が動いて再生を開始した。

 明るく澄んだ女性の声が、耳に飛び込んでくる。


≪皆さま、ごきげんよう! お嬢様でVTuberの五麗ジョーンでございます。本日は、乙女ゲーム「薔薇の乙女と灰の魔女」を遊んでいきますわよ!≫


 画面の右下で、金髪の巻き髪を揺らすアバターが微笑む。

 赤いドレスの胸元には、派手なフリルのリボン。典型的なお嬢様キャラーーけれど、声のトーンにどこか素人っぽさがあった。 


≪新品が見つからなくて中古で買いましたが、配信前にセーブデータは消しておきましたわ!≫


「まあ、結構昔のゲームだもんなあ」


 わざわざ中古だと言わなくてもいいだろう、と思わないでもないが。


≪やっぱり、悪役令嬢とか登場するのかしら≫


(悪役令嬢って、最近の小説ではよく出てくるけど、実際の乙女ゲームではそこまで鉄板ネタじゃないんだけどなあ)


 配信画面右側、お嬢様のアバターの後ろに、リアルタイムに投稿されていたコメントが流れている。


≪今日もかわいい≫


≪悪役令嬢VSお嬢様、見たい≫


 概要欄を確認すると、このVtuberは個人勢らしい。普段見ている企業所属のVtuberと比べてチャンネルの登録者も少なく、コメントの流れるスピードも遅い。しかし、快活に喋る彼女の様子は、第一印象としては悪くなかった。応援する気持ちを込めて、チャンネル登録ボタンを押す。


 理沙はぼんやりと画面を見つめながら、記憶を掘り起こす。


 『薔薇の乙女と灰の魔女』は、理沙が中学生のころ、なけなしのお小遣いで購入してやりこんだ乙女ゲームだ。


 舞台は中世ヨーロッパ風の学園。唯一の平民特待生のヒロインが学園で起こる事件に巻き込まれながら、王太子や魔法研究者などの攻略キャラとの仲を深めていく。


 ゲームとしての売上はいまいちで、世間的な知名度はあまりない。それでも、理沙はこのゲームが大好きだった。全キャラ攻略後に開放される幼馴染ルートに泣かされたあの日の思い出が、十数年ぶりに蘇る。


≪平民でハブられているなら、お昼はぼっち飯かしらね、ふふ。いえ、ヒロインさんを笑っているわけではなく、高校時代の嫌な記憶を思い出した自嘲の笑みですわ。誰もペアを組んでくれない体育の授業、私にだけ敬語の同級生。うっ、頭が……≫


(五麗さん、お嬢様としてのロールプレイが時々甘いな~。一般成人女性としての中身が透けて見える言動をたまにやって、メタ的な笑いを取るタイプか。別にいいけど)


 配信は、学園の入学の日、ヒロインが王太子を遭遇するシーンまで進んでいた。

 聞き馴染みのある、爽やかな男性ボイスが流れる。


『きみが、噂の特待生かい?』


≪まあ、この方はお優しいのね!≫


(王太子は、ヒロインの力を利用するつもりで近づくんだよね~)


 この先の展開を思い出しながらニコニコしていると、ゲーム画面中央に、知らないキャラクターが現れた。


 金髪の巻き髪に、冷ややかな青い瞳の令嬢。


『殿下がお優しいからといって、くれぐれもご自分の身分をお忘れなきよう』


「え……?」


 凛とした迫力のある声に、聞き覚えはない。思わず声が漏れる。

 困惑する理沙とは異なり、五麗は嬉しそうな反応だ。


≪あら、悪役令嬢キター! って感じですわね! ふふっ≫


 十年以上前のゲームだし、理沙もゲームの細かい部分までは覚えていない。けれど、これは確かだ。

 このゲームに、悪役令嬢など存在しない。


≪お名前は、フレイヤ・デ・アクタル様ですね。金髪碧眼のお嬢様属性。なんだか私に似てますね≫


 五麗が冗談めかして笑う。

 けれどその瞬間、画面の中の悪役令嬢が、ほんの一瞬、こちらを見たように思えた。液晶の、こちら側を。


 背筋を冷たいものが這い上がっていく。


(さすがに、気のせい)


 画面をもう一度よく見る。何の変哲もない、ただの立ち絵だ。


(だけど……)


 存在しないはずの悪役令嬢が存在する。その事実は変わらない。



 ドア越しに電子音が聞こえる。その音に、放心していた理沙は我に返った。洗濯が終わったらしい。


(一旦、冷静になろう)


 動画を止めて立ち上がり、混乱する頭のまま脱衣所へ向かった。





 洗濯物を干し終えたあと、理沙は再びスマホを手に取った。

 さっきの映像が、どうにも頭から離れない。


(確認しよう)


 ブラウザの検索バーに「薔薇の乙女と灰の魔女」と打ち込む。


 ゲームの発売が相当古いせいか、公式ホームページも存在しない。ヒットしたのは、感想が書かれた個人ブログや、個人が作成したらしい攻略情報サイトだ。


 攻略サイトを確認する。画像は乏しく、ほとんどがテキストで読みにくい。


 登場人物紹介、ルート一覧、バッドエンドまとめ。ざっと確認するが、やはり悪役令嬢フレイヤ・デ・アクタルの名前はどこにも存在しない。


(じゃあ、あの実況、改造版? ファンメイド?)


 しかし、五麗の実況にはオリジナルの音声がついていた。

 新しい立ち絵だけならともかく、フルボイスで追加するには、かなり手の込んだ改変が必要になるはずだ。


(バグで没データが出てきた? それとも……)


 困惑よりも次第に恐怖が大きくなる。しかし、怖いもの見たさからか、理沙は再びMooTubeを開いて続きを再生した。


 五麗は展開に違和感を覚えていないのだろう、変わらず実況を続けていく。


 唯一平民ながら学園に入学したヒロインは、貴族の偏見にさらされる。そんな環境でもめげずに勉学に励んでいたある日、金書庫の封印が破られる事件が発生する。目撃情報からヒロインが犯人として疑われ、彼女は疑いを晴らすべく謎を解く決心をする。


 物語の大筋は、理沙の知っている内容と同じだった。


 ただ、悪役令嬢フレイヤが、ヒロインが疑わしいと公衆の面前で詰ったり、王太子と親しげに会話するヒロインを咎めたり、ところどころ知らないシーンが挟まっている。一番驚いたのは、フレイヤの策略により、ヒロインが学園祭で毒を盛られ、王子の腕の中で息絶えるバッドエンドが存在したことだ。


 本来存在しないはずの悪役令嬢が、物語に溶け込んでいる。見ているのは乙女ゲームの実況のはずなのに、ホラー映画を見ているように鼓動が激しくなるのを感じた。




 第一回の配信は三時間ほどのアーカイブだったが、再生速度を速めていたので見終わるのにさほど時間はかからなかった。


 チャンネルページから続きを探し、再生する。


≪皆さま、ごきげんよう! お嬢様でVTuberの五麗ジョーンでございます。本日は、乙女ゲーム「薔薇の乙女と灰の魔女」を続きから遊んでいきますわよ!≫


 お決まりなのだろう挨拶を軽やかに述べた後、五麗は少し不満げに言った。


≪昨夜、妙な夢を見たんですのよ。このゲームの悪役令嬢に、『令嬢としての振る舞いがなっていません』って叱られてしまいましたの!≫


 コメント欄には、「夢オチw」「悪役令嬢に指導されてて草」といった冗談が並ぶ。


 理沙は笑うどころか、指先が冷たくなった。


≪さて、続きをやっていきましょう。さて前回は――≫


 保存されていたセーブデータを読み込むと、五麗の声が止まる。

 数秒の沈黙のあと、少し戸惑ったように言った。


≪……あれ、こんな場面だったっけ≫


 ゲーム画面では、教会を背景に新郎新婦が向かい合っている。新郎は王太子で、新婦は悪役令嬢フレイヤだった。


 理沙は恐怖で背筋が凍るのを感じた。結婚式なんてシーン、どんなルートにもなかった。王太子が存在しないはずの悪役令嬢と結婚する? あり得ない。


 コメント欄でも、≪前回こんな終わりだっけ≫≪スキップした?≫という反応が並ぶ。


≪え、なにこれ……配信外で触ってないんだけど……≫


 お嬢様口調が消え、地の声が漏れていた。

 五麗が狼狽しながらメニューを開く。セーブスロットは一つ。


 しかもそこには、「第?章 ???」と記されている。明らかに、正しい挙動ではない。


≪バグ……かしらね! もう一度初めからプレイいたしますわ!≫


 五麗の明るい声には、どこか空回りした響きがある。

 取り繕ったように元気に振舞いながら、五麗はデータの復旧作業を進めていく。

 配信画面下に流れている注意文「※ネタバレ厳禁ですわ」に理沙が目を向けたとき、


「ひっ……!」


 理沙は思わず悲鳴を上げた。突然、文字が蠢いて、文字化けしたのだ。

 再び画面を確認すると、元通りだった。五条もリスナーも、文字化けには気づいていない様子だ。


 そのまま配信は続き、王太子ルートの中盤、学園舞踏会のイベントまで進む。


 フレイヤ・デ・アクタルは、当然のように登場した。

 扇子を口元に当てて、冷たく微笑む。


『殿下、平民の舞踏など、見苦しゅうございますわ』


≪また出てきましたね、このご令嬢! 手強いですわね……!≫


 時間も経って冒頭の動揺も消えたのだろう。五麗が楽しそうに笑う。続けて、


≪さて、とてもいいところで残念なんですが、お時間が厳しいので本日はここまでに致しますね≫


 ゲームをセーブして五麗が短く終了の挨拶をすると、動画は終わった。


(続きは……あれ?)


 理沙が第二回のアーカイブを見ている最中に、第三回のライブ配信が始まっていたらしい。再生を始める。


≪――なの? え、じゃあ私が二代目の灰の魔女ってこと!? はあ!? 嘘!≫


 取り乱した五麗の言葉から察するに、物語はいよいよ終盤のようだ。再生バーを確認するが、巻き戻し機能はついていない。


 そのとき理沙を突き動かした衝動は、使命感だろうか。


「本来、このゲームに悪役令嬢なんて出てこないですよ」


 震える指で文字を打ち、コメントを送信する。動画はいつも見る専門だったから、コメントを投稿したのは初めてだった。


 五麗の反応を待つ。ゲームに夢中でしばらくコメントを見ないかもしれないが、コメントの流れが速い配信でもないので、いつか見てくれるだろう。


「あれ……?」


 配信画面に映るコメント欄には、理沙のコメントが反映されていなかった。MooTubeの本来のコメント欄を遡って確認する。理沙の前後に書かれたコメントは、配信画面に映っている。


「なんで……」


 そのとき、配信の音声が不自然に途切れた。画面にノイズが走る。


≪ネタバレは、やめてくださいまし≫


 五麗と似ているが、これまで実況で聞いてきたものとは違う。澄んでいながらも迫力のある声。


(ああ、そうだこれは――)


 フレイヤ・デ・アクタルのボイスに、そっくりだ。


 そう思い至るのと同時に、画面が唐突に暗転する。


 どうにか五麗のライブ配信を確認しようとしたが、その日は、履歴を見ても別の端末で調べても、彼女のチャンネルや配信動画は見つからなかった。





 あまり眠れないまま、朝を迎えた。

 通勤電車に立って揺さぶれながら、イヤホンをしてMooTubeを確認する。

 理沙は驚きに息を呑んだ。


(……戻ってる)


 登録チャンネルの一覧に、「五麗ジョーン」があった。しかも、ライブ配信中だ。

 鼓動が早まるのを感じながら、理沙は配信ページに飛ぶ。配信は始まったばかりのようだ。


≪――りがとう存じますわ。ええ、とても、愉快でしたわ≫


 その声は、五麗によく似ている。

 けれど、以前のような軽やかさはない。

 明るく響く代わりに、冷たく刺すような威圧感がある。


≪名前も変えようかしらね。今の名前は、なんと言いますかその……阿呆みたいでしょう。今の私には相応しくないと思いますの。名前って、大事なものでしょう≫


 画面に映るアバターの表情も、昨日までとは違って見える。これまでは、機材の問題か表情のカクつきがある場面もあったが、ころころと表情が変わり見ていて飽きなかった。


 今は、朝の雑談配信ということを加味しても、表情の変化は少なく冷たい眼差しを向けている。


≪一般論として、物事に名前が与えられれば、大衆が認知しやすくなるでしょう。『悪役令嬢』なんて、そのいい例ではなくて? 高い社会的地位を持つ者が、邪悪な性格あるいは愚かな性分ゆえヒロインに敗れ、破滅する。物語に都合のいい役割。お手軽に使いまわされる舞台装置でしかない≫


 彼女の声には、憎しみがこもっているように聞こえた。あるいは、それは理沙の思い過ごしか。


「――次は、〓〓駅。〓〓駅」


 アナウンスに気づき、理沙はしょうがなく再生を止めてスマホをしまった。


 通勤の混雑を歩きながら、理沙は考える。


「悪役令嬢」という怪異について。


 


 後日、例のゲーム実況の最終回のアーカイブを確認すると、五麗の言動はいつも通りのそれではなかった。

 そして、理沙が途中から見始めた場面に差しかかっても、それは変わらなかった。すなわち、アーカイブが改竄されている。


≪つまり、私が二代目の灰の魔女、ということですのね。私に仇なすならば、殿下といえど容赦しなくてよ。覚悟はございまして?≫


 画面のアバターは、悪役令嬢のように不敵な笑みを浮かべていた。

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