ヒトの言葉はAIに勝るか

曇空 鈍縒

ヒトの言葉はAIに勝るか

 最近カクヨムにおいて、AIが作成した小説がランキング一位を取るという事態が発生したそうです。


 インターネット上にはこの件について賛否を含め様々な意見が飛び交っています。

 ですが、昔からそういったリスクを提唱している作家さんは多かったので、個人的には、この件はすでに起こっていたことが表面化しただけの話であると思います。


 AIが作る文章の質が高くなっているというのは事実としてありましたし、すでにイラストの領域では生成AIの存在感が無視できないレベルで大きくなっています。

 むしろ今日に至るまでカクヨムを含む小説投稿サイトでAIの姿があまり見られなかったことの方が、私としては不思議でした。

 今日までAIがカクヨムを席巻しなかったのは、おそらく、小説にはイラストほどの需要がなかったという、それだけの話だと思います。


 さて、こうしてカクヨムにおいても、人間の作品を抑えてランキング一位を取るレベルのAIによる作品が登場することとなりましたが、これは果たして福音なのでしょうか? あるいは凶報なのでしょうか?


 まず個人の表現という意味では、これは福音であると思います。

 アイデアはあっても小説を書く気力がないという人が、簡単に尚且なおかつそれなりの質の作品を作れるというのは、少なくとも悪いことではないと思います。


 大多数の読者にとっても、AIによってそれなりの質の作品が増えることは、デメリットよりむしろメリットの方が多いです。AIによって増える作品のジャンルは、おそらくメジャーな作品に限らずマニアックな作品にも及びます。そうなれば、それぞれの読者が面白いと思える作品の数も増えるでしょう。


 もちろん生成AIの書いた文章に抵抗があるという人もいるでしょうが、私の個人的な意見を述べると、、人間の作品を読むのと生成AIの作品を読むのに大きな違いはありません。


 私自身、AIの小説と人間の小説を見分けられる(両者の違いは後ほど説明します)ほど文学に精通してはいませんし、また可能であれば人間の描いた小説を読みたいとも思います。ですが、だからといってAIの小説を読むことで何か悪影響が生じるとは思いません。


 生成AIの小説に対する反発は、「より手間暇をかけた作品にこそ価値がある」という視点からのコンセプチュアル・アートなど抽象芸術に対する反発と、ある意味では類似していると私は考えています。


「より手間暇をかけた作品にこそ価値がある」という考えは多くの人が持っていますが、それを以て生成AIを糾弾するのはやや根拠が弱いように思います(生成AIの是非はさておき)。


 生成AIの小説が増えたとして、私はその作品そのものに対しては、何か特別な対処をする必要はないと思います。

 AIによる小説も、あくまでコンテンツです。



 では、文章の芸術、いわゆる文芸において、AIの存在はどのような価値を持つのでしょうか?

 私はAIにより生成された小説が増えようが、「芸術的な文章」は何ら影響を受けないと考えています。


 その理由は、AIの大きな弱点にあります。

 AIは、文脈コンテクストを理解できません。


 まず、そもそも言語というのは、その言語が使用されている地域の文化に深く根差しています。分かりやすい例を上げると「もったいない」など日本語特有の表現があったり、また短歌や俳句など日本人の空気を読む性格を生かした、短文で情報を最小限に抑えた詩があったりします。


 日本語なしに日本文化は存在し得ませんし、それは他の言語についても言えることです。AIは整った文章を生成することはできますが、言語の背景にある文化が絡んでくる「コンテクスト」は、つまり生成できないのです。


 分かりやすく言うのであれば、例えば行間を読むという表現がありますが、これはまさにコンテクストです。AIの文章にはコンテクストがなく、よって読むべき行間が存在しません。


 AIがコンテクストを理解できるようになるのには、まだかなり時間がかかると言われています。そのコンテクストこそが、文芸を芸術たらしめる最大の要因です。


 つまり生成AIはコンテンツとしての小説を作ることはできますが、コンテクストを再現できない以上、芸術的な文章、即ち文芸を作ることは、少なくとも現在のところはできないのです。



 では、AIによって大量のコンテンツが生産される現状に対し、作者はどのように向き合っていくべきなのでしょうか?


 私が思うに、人間の作者には単なる消費コンテンツではなく文芸、つまり芸術的な文章が要求されているのだと思います。


 芸術とは、即ち自分のテーマを表現するものです。わかりやすく言うと、自分の中にある問いや問題意識、意見などを何らかの手段で表現するのが芸術です。それが文章という手段であれば、文芸になります。


 自らのテーマを、コンテクストの中で表現する。

 そのプロセスこそ、人間にしかできないものです。


 生成AIの力があれば、どんな人でも100人中99人くらいは十分に楽しめる作品を作ることができます。

 ですが、その残りの1人に何かを伝えることができる文章こそ本当に価値がある文章だと、私は考えています。





 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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