3日目:四面楚歌

真夏の昼。外気温35℃。

家の扉を開けると、蒸し風呂のような室内が生希を出迎える。

もはや、生物が活動していいような温度ではない。

スポコン漫画ならきっと、この中でトレーニングを行い、強くなるんだと思うが、そんなことをしたら現実世界では間違いなく死んでしまう。


手の中には......。

さっきコンビニで買った98円のカップラーメン。

値段だけ見て買ったとはいえ、自分のアホさ加減に玄関で立ち尽くす。

この室温の中、今からラーメン。

考えただけで、背中を汗が伝っていく。


が......。


空腹には勝てない。

仕方なく、お湯を沸かし、カップラーメンに入れる。

一瞬でもコンビニでのホットスナックの誘惑に打ち勝ち、昼食代を98円に抑えたと思った自分を殴りたい。

やかんから放たれる熱気が、もはや嫌がらせにしか思えない。

流れ落ちる汗と、もうろうとする頭が無意識にエアコンに手を伸ばす。

しかし、その手はリモコンをつかもうとした直後に、ぴたりと止まる。

(電気代)の3文字が生希の頭を駆け巡る。


「生希。今ここで誘惑に負けてしまったら、お前はもう戦士ではない。試練というものはそれを乗り越えられるものにしかやってこない」

そんなわけのわからないことをつぶやきながら、リモコンから手を遠ざけると、スマホのアラームが鳴り響く。3分だ。カップラーメンができたことを知らせる合図である。


コンビニの袋から、箸を取り出すと、カップ麺のふたを開ける。

カップ麺から立ち上がった熱気のせいで、余計に室温が上がった気がする。

普段なら、エアコンがガンガンに効いた部屋で、なんとも言えない香りを堪能し、スープから楽しむところだが、今日は湯気すら気に障る。

節約のためとはいえ、真夏の35℃を超える室内で、熱々のラーメンを食う。

これはもはや試練でもトレーニングでも、なんでもない。ただの拷問である。


「あぁ、神よ。あなたはなぜこんな試練をお与えになるのか.....」

それっぽく言ってみるが、何かが変わるわけではない。

いや、むしろ、なんとなく自分のバカっぽさが強調された気がして、すぐにラーメンに口をつけた。


「熱っ......。いや、うまっ!......いや、熱っ!!!!」

矛盾した感情が同時に爆発する。

ラーメンをすすりながらスマホを開く。

冷静に残金と残りの日数を電卓に打ち込んでいく。


残金6908円÷28日=246.714......


1日当たり約246円

生希の時間が止まる。

改めて数字にしてみると、もはやギャグにしか見えない。

(これ、1日でもやし何袋分よ.....)

そんなことを考えていると。


――ふと思い出した。

(そうだ、会社に連絡しなきゃ!)


今朝起きてからのあまりにも非日常すぎる出来事のせいで、すっかり忘れていた。

カップ麺を食べ終わると、スマホを手に取り、上司の番号をタップする。

数コールでつながる。


部長

「はい。○○会社システム開発部の佐久間さくまです」


生希

「あ!部長。日野です。お休みのところすみません。」


部長

「お!日野か、どうした?」

いつもの気さくな感じの声がする。


電話の相手は佐久間さくま孝之たかゆき(42)

生希たちSEが所属するシステム開発部の部長を務めている人物だ。

趣味でボディービルをやっているらしく、肌は黒く、着ているスーツはパンパン。

おまけに角刈りで、歯は真っ白という、どう見てもデスクワークをやっている人間の体型ではない。

本人の自慢は「いまだに、職業をあてられたことがない」とよく飲み会の席などで酔って自慢しているが、当たり前だ。

あんなのどう見ても、A〇男優にしか見えない。


生希

「あの、急なんですが、明日......午前中お休みをいただきたくて......」


部長

「おお!明日??どうした急に?何かあったのか?」


生希

「はい。実は、ちょっと銀行関係でトラブルがありまして......」


部長

「銀行??? お金のトラブルってことか??」

たくましく、野太い声が返ってくる。


生希

「え.....あ.......えっと......その......」

生希がどう事情を説明しようか困っていると


部長

「まさか、お前ついに、詐欺でもしたのか?」

声のトーンがほんのり笑いを含んでいる。

普段から、冗談などを言って、部下にも積極的に話しかけてくれるタイプだが、この声のトーンは間違いなく”おいしい話か?”という声である。

間違いなく”何か”を楽しんでいる。


生希

「してないです! いや、てか、”ついに”ってなんですか!今後もしないです!!」


部長

「いや、悪い!悪い!!ついな!」


生希

「だから、ついって何ですか!? 僕そんな詐欺顔ですか?」


部長

「若干?」


生希

「......。」


部長

「いや、嘘!嘘!!! つい本音が出てしまっただけだ!!」

間違いなく、楽しんでいる。


生希

「”本音”なら、なんのフォローにもなってないです!」


部長

「それで、どうしたんだ?お金関係で何かあったのか?」


生希

「はい。それが......フィッシング詐欺にひっかかりまして......」


部長

「フィッシング詐欺って、あの、フィッシング詐欺か?」


生希

「はい。」


部長

「口座のお金フィッシングされちゃったのか??」

部長が電話越しに指をクイクイしている光景が目に浮かぶ。


生希

「部長。何もうまくないです......。」


部長

「悪い。悪い。なんか、お前がひっかかったてなると、面白くてな!」

まちがいなく、会社でいじられると生希の直感が警報を鳴らしている。


生希

「何も面白くないです!!!!!!」


部長

「それで、明日休みが欲しいってことな!」


生希

「はい。急で申し訳ありませんが......」


部長

「なに?それで、お金取り返しに行く感じ?”生希の大冒険”的なのが始まっちゃう感じ?」


生希

「な!!始まらないです!!!ちょいちょい、いじってこないでください!」


部長

「くくくっ......わるいわるい!そんな若いやつでフィッシング詐欺にあった奴なんてなかなか聞いたことないから、珍しくて!よほどの珍魚だったんじゃないか?」


生希

「だから、ちょっとうまいこと言おうとして来なくていいんで!! とりあえず、明日お休みください!」


部長

「わかった!わかった!じゃあ、明日、日野はフィッシング詐欺で釣られたからお休みですって、朝礼で伝えておくから!」


生希

「な!!!! そこまで伝えなくていいです! 絶対ネタにしようとしてますよね!」

生希の直感は当たっていた。絶対ネタにされる。


部長

「フィッシングだけにか???」

もはや、何の心配もしていない声である。


生希

「すしネタとかそういう意味じゃないです!!!」


部長

「ほら、職場の笑顔は大事だからな!」


生希

「絶対に笑顔の咲かせ方間違ってます!」


部長

「すまん!すまん!じゃあ、とりあえず、明日は会社休みってことで!」


生希

「......。はい!よろしくお願いいします!」


――ガチャ。

そういうと、電話が切れた。


予想はしていたけど、盛大にいじられた。

予想はしてたけど......。

妙な敗北感と疲れが生希に襲い掛かる。


「くそっ......。」

そういうと、生希はスマホを放り出し、床に寝そべる。

普段なら、エアコンの涼しさと食後の満腹感で、そのまま寝落ちするところだが、今日は違う。

太陽が地面を熱し、その熱が徐々に部屋の温度を上げていく。

気休めに窓を開けてみるが、何も変わった気がしない。

いや、むしろ、窓を開けた分セミの鳴き声が、生希の眠気を妨げていく。

(世の中にあるもの、すべてが敵に見える......)


「だぁぁぁぁああああ!!うるさーーーーい!!!!」

「せめて静かに寝かせろ!!!!!」


そういうと開けたばかりの窓を閉める。

エアコンをつけるのはためらわれるので、せめてもの抵抗に扇風機を回す。

ブーーーーン。という音ともに、部屋の熱風が襲い掛かる。

「あっつ......。」

冷風が出ると思い期待して、プロペラに顔を近づけていた分、その温度差に思わず声が漏れるが、すぐに送風へと変わった。

自分の体に風が当たるように首を調整すると、また床に寝そべる。

暑さのせいで天井が陽炎のように揺れているように見える。


何時間寝たであろうか。

食べ物がなく、自分のアパートや近くのコンビニを腹ペコでさまよい。

やっと見つけた食べ物に近づこうと思っても、近づけない夢で起きる。

「夢の中でも食べものにありつけないのかよ......」

夢の中でも相当走り回ったからか、寝汗とともに起き上がる。


ふと時計を見ると、時刻は15時を少し過ぎたところだった。

スマホのホーム画面には2通のLINE通知が入っている。

開けてみるとそこには同僚の榊原さかきばら優児ゆうじからの連絡であった。


優児

「お前、詐欺にあったんだって?」

その一言ともに、魚が爆笑しているスタンプが添付されている。


生希

「よりによって、一番知られたくないやつに......」

生希は思わず、目に手を当てる。

普段使わないような魚のスタンプも間違いなくフィッシングにかけてきているのが見え見えだった。


優児は生希の会社の同僚であり、入社年度が同じ同期である。

互いに、大学を卒業した年にそのまま現在の会社に就職しすでに8年が経過した。

入社8年目ともなると、さすがに同じく入社した同期はほとんどが退職してしまい、現在同じ部署に残っているのも、この榊原優児のみである。

仕事が終わると直帰するタイプの生希とは異なり、会社の後輩や上司と飲みに行ったり、趣味のフットサルをしに行ったりと、いわゆるリア充と言われるタイプである。

入社当初は特段仲が良かったわけではないが、同期が退社していくのも相まって、いつのまにか話すようになった。

最近は、中堅組として同じプロジェクトを担当しているため、より連絡を取り合うようになった。

おそらく、明日はそのプロジェクトの中間報告会議があったため、生希が午前中休む旨の連絡が佐久間さんからいったものだと思われた。


「くそっ......部長め!!!!!」

そういいながら、優児に返信を打つ。


「ああ。そうだよ」

そう打つと、すぐに既読がついた。


「SEで釣られるってお前.....」

そんなメッセージとともに高齢者が爆笑しているスタンプが送られてくる。


(くそっ......絶対楽しんでやがる!!!!)

何とも言えない屈辱が生希を駆け巡る。


「手口が巧妙だったんだよ!」

全然巧妙ではなかった。

いや、むしろ、自分も知っていて入力したが、それでも面子的にそういうしかなかった。


「お前が引っかかるって、どんなサイトだったの?」


”そうなんだ”が返ってくると思っていたのに、まさかの深堀。

SEだからだろうか.....

まさか、サイトの構造に興味を示されるとは思っていなかった。

一瞬、変な汗が流れる。

何か、巧妙な手口のサイトというものを頭の中で考えてみるが、まるで思いつかない。

「焦ってたし、URL消しちゃったからわかんないわ!」

苦し紛れに答える。


「てか、明日はまだ銀行行ったりとか休みで仕方ないと思うんだけど、明後日から出勤とかどうすんの?お前、電車通勤じゃなかったっけ?」


(......。)

それを見た瞬間に生希の顔が凍り付く。

すっかり忘れていた。

そして、先週の金曜日の出勤の記憶だとSuicaの残高はあと数十円程度しかない。

月曜の出勤の時に入れようと思っていたが、もはやそんな事態ではない。


会社までは電車で20分。

休日乗らないから。という理由から定期券は購入していない。

そんな自分を殴りたい。

(明後日から、どうやって出勤すんだ!?)

猛暑の中を自転車で激走する自分しか浮かばない。


部長といい、優児といい、猛暑といい。

もはや敵しかいない.....。

そう思いながら、再び携帯をベッドに放り投げる。

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フィッシング詐欺にあったやつの話 @dice-k0111

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