第3話 介護と発達障害

発達障害は、いくつかに分かれるといわれる。

 わたしの場合は、アスペルガー症候群と思われ、

 反対に、高い集中力を生かして、寿司屋になった。

 職人というのは、ある程度集中力が必要だからである。


うちの家族を考えてみると、どこか距離感があるというか

歪な家族に見える。

 こんなことがあった。小学校の教師から

 家に帰ったら、父親のひげをさわらせてもらってきなさい

 といった変わった宿題だった。


 父に話してみると、いったん躊躇したあと、

 突然、ひげをわたしの顔か、額に押し付けてきた。

 宿題の内容は、わたしが父のひげにふれるといった

 わたしに主体性があったにもかかわらず、父はそれが

 できなかったのである。


 あるいは、一家の団欒で、手巻き寿司といった場面で、

 俺はできない。皿にしゃりをもってくれ、とさめた調子だった。

 父親の幼少期のトラウマまでは理解できないが、どうも歪な

 家庭なのである。


このように、家庭が歪なのはどうでもよい。

しかし、いざ介護といった年代に入ると、

スキンシップが豊富な家庭だったか、はたまた

ひとりひとり距離があるとか、これといった会話がなかったとか、

みなでテレビばかり見ていたなど、歪な家庭では、

介護が順調にすすまないだろう。だからこそ、介護保険制度や

介護士が存在するが、団塊世代が高齢者となった現在、

介護士不足はさけられない問題である。


こういったことが、わたしだけかと思っていたが、

最近、姉もどうやら同じようなものであると思っている。

さらにいえば、姉の旦那も発達障害と見ている。だいたい

顔を見てわかるだろう。


発達障害の特徴は、空気を読まず、その場にふさわしくないことを

言ってしまい、場が凍りつくそうだ。

彼らの結婚式で、最後に新郎の父がしめくくったのだが、

「この結婚、反対でした。」

というはじまりで、はじめてしまった。痛い人とは、この人のことである。


最初から、最後まで幸福なイメージで満ちた結婚式だったが、

最後の最後にやらかしてしまう。勿論、本人は悪気はなかっただろう。

そそくさと、フラン料理のメニュー表を内ポケットにしまう姿を

今でもおぼえている。


発達障害か、障害でないかはどちらでもよい。

とにかく、力強く生きることが重要である。


たとえば、パートナーが排泄できなくて、家が糞尿であふれたら

とてもじゃないが、人間的な生活とは言えないだろう。

だから、スキンシップに欠ける家族では、こういったとき

さらに距離をとってしまうのだろう。わたしに関していえば、

2005年において、ドイツへ出国した。自分の人生を確保したのである。


介護士には、もっと給料をあげるべきだ。

そして、介護士がスターになってもいいと思う。トレーディングカードをつくってもいいだろう。

団塊世代が、高齢者となった現在、アメリカから武器を買うカネはない。

介護士にもっとカネを支払うべきだろう。

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