介護時代。団塊世代の高齢化

@lotteria

第1話

姉からメールがあり、母が腰痛で入院したらしい。

入院は、はじめてではない。

 基本的に、父が母を介護していたが、この腰痛を通して、

 母に施設に入ってもらおうと、なんとなく聞いたが、

 その後、連絡が来なくなってしまった。

 わたしは、海外に暮らしている。


施設といっても、ただではないだろう。

わたしの計算では、父の年金は、この施設のために全て

消えてしまう計算だ。

 わたしたち家族は、発達障害のうたがいがあり、

 わたしは、アスペルガー症候群をさかてにとって、

 海外で寿司屋をやっている。集中力が異常に高いというのが

 アスペルガーらしく、なるほど、子供のころから

 そうだったかなと思う。


わたしのアスペルガーはどうでもいいが、日本に残された父、母、

そして、姉ともうひとり兄はどのような選択をするだろうか。

あるいは、どのような選択があるだろうか。わたしはひそかに

つんでいるように思う。北斗の拳ではないが、お前はすでに死んでいる。

それが今の日本の現状ではなかろうか。

海外で暮らしていると、海外の方が危機意識は高いし、宗教もあるから、

周囲を見ると、なんとか生きようという気持ちは伝わってくる。

 反面、日本人は、無宗教だから、なんとなく生きているように見える。

 わたしのような性格は、仕事をとことんしなければ気がすまない性格なのだけれども、職場では、おそらく、キミ、それほどしなくても大丈夫だ。と

同調圧力を受けてしまうだろう。わたしは、海外へ出て

思う存分仕事してきたようにも思う。


第二回にうつる前に、もうすこし書いておこう。

わたしが、ドイツへむかったのが、2005年だった。

ざっくり20年前である。わたしは、この時点で

家出だったと考えるが、当時、34才であり

家出というには、少々遅い家出である。


大学を卒業して、製パンにすすんだが、大阪で挫折。

ひきこもってしまい、金がなくなったときに、最後の挨拶のつもりで

父をたずねた。結局、このころから

父、母と三人暮らしがはじまったが、母は骨粗鬆症と診断され

徐々に歩けなくなってしまったのである。パートタイマーとして

出勤していたが、それもやめてしまった。


こんな中、わたしは寿司をおぼえて、ドイツへ。ドイツへ行ってからは

海外でのキャリアを着実にすすめて、今にいたる。わたし自身は、

食うものにも困っていないつもりだし、むしろ腹は出ている。


問題は、日本国内であり、母を施設に入れるか?はたまた

父が従来どおり、母のしものせわを続けるか。しものせわといっても、

明日も、あさっても続くから、年間365日である。

姉は現実的でなく、現実逃避しているのかわからないが、

わたしには、老人同士の介護は順調と連絡してくる。これは自分が何かを

避けているのではなかろうか。姉も追い込まれているかもしれないが、

姉の発達障害も問題だ。


以下、第二回に続く。

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