心に傷を負った元魔法少女が犬みたいな女とふわふわのひつじに癒される話
壊滅的な扇子
第1話 犬みたいな女
空気の抜けるような音と共に扉が開く。他の生徒たちと一緒に私もバスから降りた。曇天の下には、古めかしい商店の廃墟がそのまま残っていた。さびれた町並みを、背中を丸めてヘッドホンを付けたまま歩いていく。
一つ角を曲がってひび割れたアスファルトを直進すれば、山みたいな角度の登り坂があらわれる。この先にあるのが私の通う北高だ。上からの景色は悪くないけど、労力に見合うほどではない。いつも通りため息をついて歩みを進める。
今日も退屈な一日なのだろう。変わり映えのないことを思っていると、素早い影が真隣を走り抜けていった。目で追う。膝丈のスカートが揺れる。手入れされていない犬のような茶髪が、乱雑に飛び跳ねまわっていた。
「うわー! 凄い坂だ!」
その女は笑いながら、つんのめるようにして急停止した。
まるで富士山でも見上げるみたいに、額に手を当てている。新入生だろうか? けど今日は初登校日ではない。春ではあるけれど、四月の末。こんな中途半端な時期に転校してきたというのもあまり考えられない。
そもそも高校生にもなって坂で大騒ぎするのは普通ではない。顔を伏せて足早に通り過ぎた、その時だった。
「ねぇ君!」
後ろから声が響いてきたのだ。明らかに私に向けられたそれを、ヘッドホンを付け直してガードした。
でも女は特に気にした様子もなく、誰にでも尻尾を振る犬みたいに軽薄な足音で追いかけてくる。しかも隣まで来て歩幅まで合わせてきた。目を合わせなくても分かるほどに、好奇心にあふれた眼差しが鬱陶しい。
睨み付けると、おおよそ想像通りの容姿が目に入った。
澄んだ茶色の瞳はキラキラ輝いていて、人を疑うことを知らなさそうだ。色に例えるのなら黄色、物に例えるのなら太陽。見ているだけで暑苦しくなる顔だった。顔のパーツもバランスも綺麗だから好む人は多いのだろう。でも私は嫌いだ。
ヘッドホンを少しだけずらして、重い口を開く。
「……何?」
「私たちどこかで会ったことある?」
「ない」
即答して顔を背ける。こんな知り合いはいない。そもそもここ八年間、まともに人と関わっていない。もしかすると知らないうちに認識されていたのかもしれないけど、だとしても考えは変わらない。
「じゃあ気のせいかなぁ」
しぼんだ声を、ずらしたヘッドホンを付け直して肯定する。私の世界に他人はいらない。自己完結した平穏こそが最良だ。コントロールできないものに心を乱されない。ただその一点だけで、全てに勝る。
それからも女は明るい声で何かを話していたけれど、私は無視を決め込んで音楽に集中した。この女の名前だとか好きな物だとか、高校でやりたいことだとか、そんなものには全く興味がない。
私の世界に侵食してこないのなら、どうでもよかった。
「玉子焼きと、あとね、魔法少女プリティーダイヤが好きなんだよ。君はどう?」
不意に聞こえてきた言葉に足を止める。玉子焼きと同列だからそこまでの好意ではないのだろう。でもにわかには信じがたい。そして、受け入れがたい。魔法少女は――私は決して賞賛されるべきじゃない。
「死んでしまえばいい、あんな奴」
吐き捨てる。憎悪の籠った刃のような言葉は、陽気そうなこの女にも届いたらしい。再び歩みを進めた私についてくる足音はもうなかった。
ヘッドホンを付け直して足元をみつめる。締め付つけられるような頭痛に耐えながら、世界の終わりを知らせるような暗い音楽に耳を傾けた。
*
八年前、この国から数十万を超える命が失われた。アンチマターと呼ばれる巨大な異形の怪物が、空に現れた亀裂から落ちてきたのだ。悪魔のような姿をしたそれに、人類のあらゆる兵器は無力だった。
当時八歳の私は驚かなかった。空中にふわふわと浮かぶ小さなひつじ、わたあめの言う通りだったからだ。わたあめはある日突然現れて、私に怪物と戦う力を与えてくれた不思議な存在で、その事実に私は高揚感すら覚えていた。
平凡な日々が嫌いだった。平凡な自分も嫌いだった。運動も勉強もずば抜けて優れているわけじゃない。両親だって普通の会社員で、アニメみたいな煌びやかな世界とは全くの無縁だった。毎日が退屈だった。
子供は誰だって特別な存在に憧れるものだ。私も例外ではなかった。
キラキラした杖を振り回して、ひらひらのかわいい魔法少女に変身する。憧れたままの姿になった自分に、私は部屋の鏡の前で大喜びした。化け物と戦うのも全然怖くなかった。だって、主人公はいつだって勝利するものだ。
苦戦したとしても絶対に負けない。ぼろぼろになっても立ち上がって、全てを救う。私もみんなに尊敬される救世主になるのだ。
最初はそう思っていた。でも現実は悲惨で、お遊び気分で街に飛び出した私は、アンチマターの襲撃が繰り返されるにつれて少しずつ摩耗していった。物語の主人公は、誰も死なせないはずだ。誰も悲しませないはずだ。
なのに目の前では、数えきれないほどの命が失われていった。私はあまりにも無力だった。泣いても叫んでも失われた命は戻って来なかった。自らの認識が誤っていたことを、幼いながらも徹底的に理解させられた。
私は、主人公なんかじゃなかった。
*
「そういえば白峰さんっていつも一人だよね」
「友達いないんでしょ。なんか他人見下してそうだし」
聞こえていないとでも思っているのだろうか。教室の片隅から話し声が聞こえた。机から顔を上げれば蔑むような眼差しだった。どうでもいい。どうかそのまま平穏な人生を過ごしてくれ。私に関係のないところで。
朝のホームルームがはじまるまで、何もせず音楽だけを聞く。考えるのは通学路で出会ったあの女のことだった。あいつは何を思って「魔法少女が好き」なんて口にしたのだろう。今さらながら悔やむ。
どうせなら的外れな好意が消えうせるまで、徹底的に否定するべきだった。
けれどわざわざ自分から声をかける気にはならない。あの女だって私とは話したくもないだろう。無視された挙句好きな物を否定されたのだから、流石にもう絡んでこないはずだ。私の世界を崩さないのなら、どうでもいい。
一番後ろの窓際で音楽を聴いているとチャイムが鳴った。ヘッドホンを外すと同時に中年の担任が入ってきた。
「少し遅いが自己紹介をしたいとのことだ。入ってこい夏空」
担任の覇気のない声を聞いて生徒たちはざわめいた。
「子供を庇って車に轢かれたって転校生のことじゃね?」
「改めて聞くとすごい勇気だよね」
どんな奴であれ、関わりのないクラスメイトが一人増えたところで関係ない。頬杖をついて聞き流していると、手入れされていない犬のような茶髪が入ってきた。歩くたび人を小馬鹿にするみたいに、ふわふわ弾んでいる。
見覚えのある女は、満面の笑みだった。
きっと私は苦虫を嚙み潰したような顔をしているに違いない。
「みんなおはよう! 私の名前は夏空向日葵。好きな人は魔法少女プリティーダイヤだよ」
茶色の瞳はゆったりと教室を見渡していた。けど私と目が合うと微かに細められた。含みのある表情から意識をそらせない。その人懐っこい笑顔の裏側で、こいつは何を考えているのだろう?
「これからよろしくね!」
災難は重なるものだ。夏空向日葵――いかにも暑苦しそうな名前の女は、そのままの笑顔で隣の席に歩いてきた。視界の端から目線を感じる。最悪だ。都合のよかった空席が、今や災厄そのものになってしまったのだから。
「同じクラスだったんだ。私のことは向日葵って呼んで。君はどう呼べばいい?」
椅子に腰を下ろしてから、前のめりに顔をよせてくる。私はわざとらしく顔をそらした。この女に名前を呼ばれたくない。知られたくもない。自分から知らせるということは、侵食を許すということだ。言葉に反応するのも、受容と同義だ。
「ねぇねぇ夏空さんってどこから来たの?」
無視されたのを気の毒に思ったのかもしれない。純粋な興味もあるのだろう。クラスメイトの一人が声をかけたのを皮切りに、複数の女子生徒が夏空の元へ集まってきた。それでもなお、こいつは私に目を向けていた。
その仕草をどう思ったのだろう。クラスメイトは内緒の話をするみたいにささやいた。
「気にしなくていいよ。白峰さんはいつもこうだから」
「そうなんだ」
そうだ。私はいつも一人だ。好きで一人でいるのだ。夏空が魔法少女のファンでもかまわない。だから夏空も私が魔法少女を憎んでいても無視してくれ。何を言われようと絶対に気持ちは変わらない。
机に伏せて曇天を見上げる。真横から聞こえる騒々しいやり取りが、どうしようもなく耳障りだった。不意に雲間から差した光がまぶしくて目を閉じる。頭が痛い。網膜に焼き付いた景色は、未だに消えていない。
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