第43話 “右の席”にだけ見せるページ
放課後のチャイムが鳴ってから、教室の中の時間がゆっくりになった気がした。帰り支度をしてるやつ、部活に行くやつ、廊下でだらだらしゃべってるやつ。音はしてるのに、自分の席のまわりだけ空気が薄い。
右を見ると、美咲がまだ教科書をしまっていない。ペンを一本ずつゆっくり筆箱に戻していく、そのテンポがいつもより遅い。
「なあ」
「ん」
「今日、どうする」
「どうするってなに」
とぼけた顔をしながら、目だけこっちを見てくる。分かってて聞いてる顔だ。
「前の席のほうには、先に渡したからさ」
「うん、さっき“前線説明会”やってたもんね」
「なんで知ってんだよ」
「耳は飾りじゃないので」
美咲は、机の上の消しゴムを指でつつきながら笑う。
「外、行こっか」
「……ああ」
安達が言っていた“外のほう”ってやつ。その単語が、少し現実味を持って響いた。
昇降口の横のベンチは、バレンタインのときと同じ場所だった。夕方の光が斜めに差し込んで、廊下の床をオレンジに染めている。
「デジャヴだね」
美咲が、制服のポケットからストールを取り出して、腰に巻くみたいに座る。
「二月十四日と三月十四日、同じ場所で真ん中待ってる女の子って、なかなかやばいでしょ」
「自分で言うなよ」
俺も隣に座る。ベンチの板が冷たくて、背中がしゃきっとした。
「で、“真ん中返し・後半戦”」
「名前つけるな」
「じゃあ、“右の席にだけ来るターン”」
それも十分にやばい。
カバンの中から、星柄の紙袋を取り出す。手に持った途端、やたらと存在感が増した気がした。さっき花柄を渡したときよりも、明らかに心臓の音がうるさい。
「その袋、さっきからめちゃくちゃオーラ出してるね」
「出してねえよ」
「出てるよ。“真ん中LV+0.2以上の案件持ってます”って顔してる」
「数字で遊ぶな」
深呼吸ひとつしてから、紙袋を差し出す。
「……これ」
「はい、“右の席専用”受け取りました」
美咲は、わざとゆっくり両手で受け取る。紙袋の持ち手を指でくるくるしながら、目だけこっちを見る。
「開けてもいい」
「ここで」
「ここで」
逃げ道を塞がれた。まあ、そうだろうなとは思ってたけど。
「じゃ、開封の儀いきまーす」
美咲は、袋から缶を取り出す。星柄の丸い缶。指でふたの縁をなぞる。
「かわいいね、これ。パッと見、量産型だけど、中身で差をつけるやつでしょ」
「なんで分かるんだよ」
「真ん中が差をつけないわけないじゃん」
さらっと言われると、反論しづらい。
ふたが、カチ、と小さな音を立てて外れる。クッキーと一緒に、小さく折った封筒が一枚入っていた。
美咲は、封筒を指先で持ち上げて、表の文字を読む。
「“美咲へ”」
声に出すとき、ほんの少しだけ音が柔らかくなった気がした。
「ちゃんと“佐藤”付いてないんだ」
「……付けたら、なんか違う気がして」
「ふーん」
美咲は、へえ、とか言いながら封筒を開ける。便箋を取り出して、視線を落とした。
沈黙が、数秒だけ伸びる。廊下を誰かが走る音が遠くでした。時計の秒針がやたら大きく聞こえる。
「……」
文字を追う美咲の目が、途中で一瞬止まったのが分かった。多分、「どっちもちゃんと“美咲”として覚えてる」とか、「真ん中から見える景色」とか、そのへんだ。
最後まで読み終わってから、便箋をもう一回たたんで、膝の上に置く。
「ねえ」
「なに」
「死ぬほど恥ずかしいこと書いてきたね」
「自覚はある」
「でも」
美咲は、便箋に手を置いたまま、少しだけ笑った。
「死ぬほど嬉しいパターンの恥ずかしさだった」
「……そうかよ」
耳のあたりが熱い。視界の端で、星柄の蓋がちょっと揺れる。
「“佐藤って呼ばれるときと、美咲って呼ばれるとき、どっちもちゃんと美咲として覚えてる”ってさ」
美咲が、その一文をほぼそのまま読み上げる。
「そんなの言われたら、“佐藤遊び”の逃げ場なくなるじゃん」
「逃げ場だったのかよ、あれ」
「逃げ場だよ、あれは
“苗字から先に合わせた女”っていう、冗談にできる看板だから」
言いながら、自分の頬を指でつつく。
「でも、その看板の下に、“ちゃんと美咲として見てる”って書かれたらさ
急に真面目な店になるじゃん」
「たとえが渋いな」
「“佐藤(仮)カフェ”から、“美咲バーカウンター”くらいに変わった感じ」
「どんな店だよ、それ」
変な比喩なのに、頭のどこかで妙にイメージが湧くのが悔しい。
美咲は、缶の中のクッキーを一枚つまむ。ナッツの入ったザクザクしたやつ。
「Cタイプ継続ありがとうございます」
「アンケート通りだからな」
「ねえ、“真ん中の景色”のやつ」
便箋を指でトントンと叩く。
「これ、今、ちょっとだけもらっていい?」
「今?」
「うん。“これから渡していく”って書いてあるけど、
スタート地点くらい教えてもらわないと、推し活のしようがないじゃん」
「推し活って言うな」
それでも、どこから話すか、頭の中で勝手にページが開いていく。例のノートの、真ん中LVのページ。
「……一個だけな」
「一個だけ」
「ノートに、“真ん中LV”ってページがあって」
「うん」
「そこに、“真ん中の仕事”メモみたいなの書いてるのは、知ってるだろ」
「見えちゃったからね、写真にちょっと」
「本物のほうには、その下にちょっとだけ、“今日の真ん中”ってメモ書いてる」
「“今日の真ん中”」
「たとえば、“カード書いた日”とか、“ブログの記事の日”とか」
指折り数えながら、自分でも整理する。
「で、最近のページの端っこに、“教室の中だけで“真ん中”って呼ばれるのは悪くない”って書いた」
あの日の夜の走り書き。美咲と安達から「真ん中って呼ぶときは言って」とメッセージが来たあとだ。
美咲が、目を細める。
「それ、ずるいね」
「またずるいって言われたな」
「教室の外じゃなくて、“教室の中だけ”っていう限定付き
そこでだけ、真ん中をちょっと受け入れたの、ちゃんと書いてるのずるい」
「ずるいのか、それ」
「ずるいよ。だってさ」
美咲は、クッキーを一口かじってから続ける。
「“教室の中でだけ真ん中をやってくれる蓮”っていうポジション、
推す側からしたら最高じゃん」
「推す前提で話すな」
「教室の外では“蓮”でいられて、教室の中ではちょっとだけ“真ん中”で
その境界線を、自分で引こうとしてるの、普通にかっこいいから」
面と向かって「かっこいい」とか言われると、反応に困る。視線を床に落としたくなる。
「じゃ、そのページ」
美咲が、少しだけ身を乗り出す。
「いつか、現物ちょっとだけ見せて」
「……全部は無理だぞ」
「全部じゃなくていいよ
“今日の真ん中”の中で、特に大事だったページだけ」
「それ、一番見せづらいやつだろ」
「だからこそ、見たいんだよ」
美咲は、膝の上の便箋に視線を落とす。
「“蓮として見える景色を、ちょっとずつ渡していく”って書いたならさ
ノートの一ページくらい、いつかどっかで奪いに行く権利くらいあるでしょ」
「奪うな」
「“コピーさせてください”って言うから」
ノートをコピーされる未来を想像して、思わず笑ってしまう。
「検閲付きだからな」
「もちろん。黒線で“真ん中LVの数値”全部消えててもいいから」
「それはもうただの日記だろ」
「それでいいんだよ」
美咲は、便箋を丁寧に折って封筒に戻す。
「“真ん中係”のログじゃなくて、“蓮が真ん中で何考えてたか”のログのほうが大事だから」
しれっと核心を突いてくる。
少し間があってから、美咲がふっと息を吐く。
「ねえ」
「なんだ」
「“真ん中って呼ばれるのしんどいときは、ちゃんと“蓮”って呼んで”って書いてたじゃん」
「ああ」
「今はどっち」
唐突に聞かれて、少しだけ言葉に詰まる。
「……今?」
「うん、今。ここ、昇降口のベンチ」
廊下には誰もいない。聞こえるのは外の車の音と、校舎のどこかで閉まるドアの音だけ。
「ここは……“蓮”かな」
答えながら、自分で苦笑した。
「“真ん中”って言われるの、教室の中だけでいいって決めたとこだから」
「そっか」
美咲は、少しだけ嬉しそうに笑った。
「じゃあ、改めて」
星柄の缶のふたを、もう一度そっと閉める。
「ホワイトデーありがとう、蓮」
名前を、そのまま呼ばれる。バレンタインのときより、少しだけ音が柔らかい気がした。
「……どういたしまして」
それしか返せなかったけど、それで十分だった気もする。
家に帰ってから、例のノートを開く。真ん中LVのページ。
今日の欄に、ペンを置く。
・ホワイトデー後半戦
右の席に、“ノートのページ”のことを話した
教室の外では、ちゃんと“蓮”でいられるって確認できた
数字を、ほんの少しだけ上げる。
真ん中LV.2.5 → 2.7(返す側として一歩出たぶん)
ページの端に、もう一行だけ書き足した。
・いつか、“真ん中のページ”を誰かに見せる日が来たら
そのときは、たぶんもう数字いらない
ページを閉じるとき、少しだけ胸が軽くなった。
スマホが震いた。グループライン。
【misaki_s】
『ホワイトデー返し
右の席までちゃんと届きました
評価:星5/5』
【adachi】
『前の席にも届きました
評価:前線継続』
【春川】
『で、真ん中LVいくつになりましたか』
【俺】
『企業秘密』
送ると、すぐに「分かる」のスタンプがいくつも並んだ。
教室の真ん中と、昇降口のベンチ。
どっちの景色も、もう完全に切り離せなくなってきている。
でも、それを自分で選んで立ってるなら――
少なくとも今は、その位置でホワイトデーを終わらせられて、悪くないと思えた。
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好きすぎて苗字を先に合わせておいたんだけど気づく? 高校生活、まだ開始5分です。 @pepolon
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