第36話 三学期に“真ん中目標カード”書かせるな

冬休みが終わった朝、いつもの教室に戻ってきた。席の配置は、二学期の終わりのまま。


前の席に安達

右隣に美咲

L字の角に、俺


上から家族、右から妻(仮)、角に真ん中係。

相変わらずの布陣だ。


「仕事始めおつかれさま、真ん中」


美咲が、右からひょいと顔を出す。今日のピンは、正月っぽい赤が混じったやつだ。


「いきなり仕事呼びやめろ」

「三学期も“真ん中出社確認”からスタートだから」

「その部署いつ退職届出せるんだろうな」


前の席の安達が振り返る。新しいノートが、もうきれいに並んでいる。


「三学期もよろしくね、真ん中の近く」

「その言い方やめろって」


椅子に座って、机に教科書を出していく。

少し遅れて、田所先生が教室に入ってきた。


「はい、新年一発目。おはよう」

「おはようございます」


全員で挨拶する。

冬休み明け特有の眠そうな空気の中で、先生は出欠を取ってから、教卓の上にどさっと何かを置いた。


薄いカードが束になっている。A5サイズくらいの白い紙。上に小さく『三学期目標カード』と印刷されていた。


「というわけで。三学期は短いけど、まとめの学期でもあるので、恒例の“目標カード”を書いてもらいます」


教室が軽くどよっとする。


「出た〜」

「毎年やるやつか」

「そうそう。学習目標、生活目標、クラスでの目標、一個ずつ書くやつな」


先生は黒板に三つの項目を書いた。


 学習

 生活

 クラス


その下に、ちょっとだけ意味深な一行を足す。


 +自由欄(書きたい人だけ)


「自由欄って、何書くんですか」


誰かが聞いた。


「去年は“漢字一文字”とか、“将来の夢”とか、“今いちばんハマってるもの”とかいろいろいたな」


先生は、カードの束を手に取る。


「で、これは三学期の終わりに返すからな。一年全体のまとめの参考にもする。時々、匿名で学級通信に抜粋されることもあります」

「匿名ってほんとに匿名ですかー」


美咲が、わざわざ手を挙げて聞く。


「“佐藤夫婦カフェ(仮)”みたいな単語書いたら、一瞬でバレそうなんですけど」

「そういう単語を書かなきゃいいんだよ」


先生はため息混じりに笑う。


「名前もクラスも伏せて載せるけど、“明らかにこのクラスだな”って分かることはあるだろうな。だからこそ、あんまり外に出したくないことは自由欄に書かなくていい」


そう言いながら、一枚ずつカードを配っていく。

俺のところにも、一枚滑ってきた。


表には三つの枠と、少し広めの自由欄。裏は真っ白。上に名前と出席番号を書く欄がある。


「じゃ、二限目の最初の十五分で書いてもらう。今から考えておけよ」


そう言って、一限目のプリントを配り始めた。


 


一限目の現代文は、正月特有のぼんやりした頭で受け流してしまった。

授業が終わって小休憩に入ると、すぐに右から紙がぴらっと出てくる。


美咲のカードだった。まだ真っ白。


「ねえねえ、目標何書くの」

「まだ決めてない」

「学習目標は、“真ん中LV.2突破”じゃないの」

「それ勉強じゃないだろ」

「生活目標は、“真ん中でヘタな転び方をしない”」

「それさっき俺が心の中で考えたやつだろ」


安達が前を向いたまま、ちょっとだけ肩を揺らした。


「ほのかはもう決めてるの」

「うん。学習目標は“数学と英語で赤点を出さない”」

「現実的」

「生活目標は、“無駄遣いを減らす”」

「それは家計の話じゃないのか」

「家計から個人に降りてきた」


安達は、淡々とカードに文字を書き始める。

ペン先が迷いなく動いていくのを見ていると、こっちも手を止めていられない気分になる。


「クラスでの目標は」


そう聞くと、安達は一瞬だけ考えてから、こちらを振り返った。


「“真ん中が一人で抱えすぎないようにする”」

「……それ、堂々と書くのか」

「匿名でしょ」

「書いた瞬間に誰のカードか分かるやつだからな、それ」

「そっちが嫌なら書かないけど」


安達は、本気で迷っている顔だった。


「いや、書いていいと思うよ」


後ろのほうから、春川の声が飛んでくる。


「“真ん中観測者”としては、そういうカードがあったほうが面白い」

「面白さの方向で決めるな」


美咲が自分のカードをくるくる回しながら言う。


「私は“クラス目標”のところに、“真ん中でちゃんと笑ってる人がいる教室がいいです”って書く」

「それもだいぶ限定されてない」

「“限定された人”のほう見てから書くから」


横からの視線が刺さる。

カードの「クラス」の欄が、やけに狭く感じた。


 


二限目のチャイムが鳴ると同時に、先生が言った。


「はい、じゃあさっき配った目標カードを書いてもらいます。名前はあとでいいから、項目だけ先に埋めろ」


教室に静かな時間が流れる。

ペンの音とページをめくる音だけが聞こえる。


学習目標の欄に、まず書く。


 学習:学年末テストで平均より下を取らない


無難。とても無難。

生活目標は、少し迷ってから、


 生活:夜更かししすぎない(スマホ見過ぎない)


完全に自分に刺さるやつになった。


問題は、「クラス」の欄だ。


(“真ん中でヘタに転ばない”とか、“バランス取りすぎない”とか、そういうの書いたほうがいいのか)


でも、そういうことを書くと、それを読む誰かがきっと構え始める気がした。


“あ、この人は真ん中でしんどいんだな”って顔をされるのは、なんか違う。


悩んだ末、こう書いた。


 クラス:困ってる人を見逃さない


これも、無難な日本語だ。

でも、たぶん嘘ではない。


自由欄のところで、ペンが止まる。

何も書かない、という選択肢もある。


上から、前の席のカードがちらっと見えた。

安達の自由欄には、小さな字で一行だけ何か書いてある。


美咲は、美咲で、自分のカードに何か描いている。

文字ではなく、簡単な三角形の図だった。頂点に小さく名前が入っている。


 上:ほのか

 右下:美咲

 左下:蓮(真ん中)


図の下に、丸い字で一言。


 今年もこの三角形でちゃんと立てますように


「それ、自由欄の使い方としてどうなんだよ」


小声で突っ込むと、美咲はにこっと笑った。


「匿名だから平気でしょ」

「匿名の意味分かってるか」


前のほうから、田所先生の声が飛んでくる。


「書けたやつから裏に名前と出席番号書いて、前に持ってこいよー。自由欄は空欄でも構わない」


カードとにらめっこしている時間もそろそろ尽きてきた。


(……書くか)


俺は、自由欄の一番上に、小さく一行だけ足した。


 自由:真ん中の立場を“ちゃんと自分で選べる”ようになりたい


自分で読んでも、よく分からない日本語だ。

でも、“勝手に押し付けられるだけじゃない位置にしたい”って意味では、わりと正直だった。


裏に名前と番号を書いて、カードを持って前に出る。

教卓の上には、すでに何枚か積まれていた。


「はい、確かに預かる。三学期の終わりに返すからな」


先生がカードの束を揃えながら言う。


「時々、“いいこと書いてるな”ってやつは、学級通信に匿名で載せるから」


そう言ったあとで、ちらっとこっちを見る。


「去年、“真ん中の立場を楽しめる人になりたい”って書いてたやつがいたけどな。あれはなかなか印象的だった」


「誰ですか、それ」


誰かが聞く。


「内緒だ」


先生は笑ってごまかした。


(……そんなやついたのか)


自分の席に戻りながら、そう思う。

同時に、カードの自由欄を思い出して、少しだけ背中がむずがゆくなった。


 


放課後。

教室を出ようとしたところで、安達に呼び止められる。


「今日の自由欄、何書いたの」

「企業秘密」

「“企業”ってほどの規模だったかな」


安達は、少しだけ迷ってから、自分のカバンの中からノートを取り出した。

最後のページをぱらっと開いて、俺に見せる。


そこには、さっきカードに書いていた内容と同じ一行が写されていた。


 クラス:真ん中が一人で抱えすぎないようにする


「写経してるのかよ」


「カード、返ってくる頃には忘れてるかもしれないから」


安達は淡々と言う。


「でも、忘れたくないこともあるから、ノートにも写しておく」

「真面目だな」

「そっちは」

「……真ん中のこと、ちょっと」

「ちょっと?」

「“真ん中の立場を、自分で選べるようになりたい”みたいな」


安達は、少しだけ目を丸くした。


「それ、だいぶ“ちょっと”じゃないと思う」

「そうか」

「でも、いいと思う」


それだけ言って、ノートを閉じる。


「じゃあ、私は先に行くね」


そう言って、前の席の真ん中係は廊下に出ていった。


 


家に帰ってから、例のノートを開く。

通知表のコピーと、おみくじと、「真ん中LV」のメモが貼ってあるページの端っこに、新しく一行足す。



 ・三学期目標カード

  “困ってる人を見逃さない”って書いた

  自由欄で、真ん中のことを少しだけ自分の言葉にした


その下に、数字を書き換える。


 真ん中LV.1.7 → 1.9(カードに明文化)


2に届くには、まだ何か足りない気がする。

でも、少なくとも今日、自分で自分の“役割みたいなもの”に名前を付けたのは、たぶん初めてだった。


スマホが震いた。

グループラインが開く。


 【春川】

 『先生さっそく言ってたぞ“今年も真ん中の話が多いな、このクラスは”って』


 【misaki_s】

 『それ絶対うちの三角形のせいでしょ』


 【adachi】

 『カード、ちゃんと返ってくるといいね』


 【misaki_s】

 『三学期の終わりに“真ん中LV.いくつになりましたか”って書いて返してくれないかな』


 【俺】

 『それはマジでやめてほしい』


送ると、「分かる」のスタンプが何個も並んだ。


三学期は短い。

でも、カードの束の中で、“真ん中”って言葉が何回出てくるのか。

田所先生がそれを見て、どんな顔をするのか。


想像すると、ちょっとだけおかしくなる。

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