第14話 花火で“佐藤(仮)”を本物にするな

待ち合わせは神社の手前、橋のたもと。

川面からあがってくる火薬と川藻が混じった夏の匂いが、もう祭りの夜にしている。


「お待たせ〜♡」


振り向くと、白地に向日葵の浴衣。

美咲は髪を高くまとめて、金の玉簪を一本。耳には小さな雫のピアス。

片手のうさぎ巾着を軽く振って、こっちへ小走り。下駄がコッ、コッと涼しい音を出す。


「……似合いすぎ」


「でしょ♡ 今日は“白”で“夜”を塗りつぶしに来ました〜」


「塗りつぶしに来るな」


「はい、これも〜」


渡されたのは木札のストラップ。焼印で「佐藤」。

もう一つは……俺の手のひらで、彼女が**マスキングテープに油性ペンで(仮)**って書いて、器用に貼った。


「はい、“ペア札”完成♡」


「手作りで既成事実を増やすな」


「ううん、既製品に“仮”を足しておくれなの。かわいくない?」


「お前の“仮”運用、ほんとプロだよな」



参道は人でぎゅうぎゅう。

りんご飴の赤、綿あめの青、焼き鳥の煙の白。

頭の上で風鈴がかすれて、遠くで試し花火がどんと短く跳ねた。


「ね、まず写真〜」


「はいはい」


社の横の提灯前。

美咲は浴衣の裾を指で1センチだけ持ち上げ、横向きに立って首を傾ける。

光の抜きどころを瞬時に決めるのは、ほんとモデルの脳だ。


「美咲」


呼んだら、目尻がきゅっと上がる。

“名指しで写された”のが嬉しい顔。

シャッター、カシャ。


「よし、今日は“美咲”をいっぱい残してもらいます。──次、りんご飴♡」


屋台の兄ちゃんが「カップルで?」と自然に聞いてきた。


「はい♡」

「まだです」

同時に出すな、俺と彼女。


兄ちゃんは一瞬固まってから、笑ってマスキングテープをちぎって(仮)と書き、飴の袋に貼った。


「サービスしといた。夫婦(仮)割」


「公式にしないでください!!」



川原の土手。

レジャーシートの上で、膝を抱えて空を待つ。

風が橋の下を抜けていって、浴衣の裾がふわと鳴る。


「ねえ蓮くん」


「ん」


「私さ。勝ちたいとか、目立ちたいってだけじゃないんだよ」


「知ってる」


「“初めての呼び方”の思い出を、夏で固定したいだけ。

白い浴衣で、川の匂いで、花火の音で──“美咲って呼ばれた夏”って、一生、そこに置いときたい。」


言いながら、木札の「佐藤(仮)」を指でとん、と叩く。

視線は空じゃなくて、俺の口元を見てる。

“今言ってほしい”を、言わない術で言ってくる。


「……それは、いい願いだと思う」


「でしょ?」


「ただ、“奥さん”は今日じゃない」


「うん。分かってる。でも“今日じゃない”をいっぱい積んだら、“今日だよ”に届くでしょ」


こいつの前倒しの論理、ほんと強い。

それでも俺は、決めてある。


「届くよ。俺の“日付”で」


「ずる〜♡ でも好き〜♡」



一発目。

夜空のど真ん中に、白い輪がぱあっと開いて、すぐ金の芯が追いかける。

音が胸の内側に落ちて、土手の子どもが「わあ」と小さく伸びる。


「見て見て、今の“向日葵色”だよ」


美咲が腕に触れる。

布越しの体温が、花火の音で細かく震える。

横顔は花火の明滅で影になって、口角だけ光る。


「美咲」


呼ぶと、彼女はわざとこっちを向かずに笑った。

“その呼び方は空に入れとく”みたいに。


次の花火。

群青の輪が幾重にも重なって、金の粒がしゃらしゃら落ちる。

川面に映る光の層が揺れて、足元で虫がひとつ鳴いた。


「ねえ蓮くん」


「ん」


「“奥さん”のとき、私なに着てればいい?」


「その質問じたいが前倒しすぎる」


「白? 黒? それとも制服?」


「今日のにしてくれ。今は“美咲”だろ」


「うん、“美咲”。──いつでも準備できるから」


言葉の最後に、くいっと袖が俺の小指を引いた。

たぶん、いちばん小さい約束の作法。



屋台通りに戻ると、角に「夫婦判定フォトブース」なんてバカがいた。

“お似合い度%出ます! 彼女/奥さんボタンを選んで撮影!”


「やろ♡」


「やらない」


「押すのは“奥さん”のほうね?」


「押さない」


「じゃあ“(仮)”って書いとく〜」


スタッフのお姉さんが空気を読んで、画面に**(仮)スタンプ**を出してくれた。

撮影、ピロリン。

結果表示「お似合い度 92%」

うしろの中学生が「高っ!」って言う。高いわ。


プリントを受け取りながら、美咲が小声。


「ね、こういう“勝手に高い”やつさ。

全部、“あとで笑える証拠”にしよ。

“こんなの集めてまで、まだ言ってもらえなかった”って、3年分笑うの」


「怖い笑い方すんな」


「だって笑い話にしたいから、いま必死なんだよ」


ふっと真面目な目になる。

金魚すくいの水盤に映る花火が、ぱちぱち揺れる。


「分かってるよ。ありがとな」



帰り道、橋の上。

風が強くて、向日葵の柄がぱたぱた揺れる。

美咲は欄干に肘を乗せて、夜の川を覗き込む。


「ねえ蓮くん。

今日の“美咲”、ちゃんと残った?」


「残った。

白いの、金の芯、うさぎ巾着、(仮)テープ、全部セットで」


「やった〜♡」


「でも、“奥さん”は、俺の番で言う」


「うん。待つ」


即答。

その“待つ”に、彼女の“走る”が全部含まれてるのが分かる。


「じゃ、最後にこれ交換〜」


美咲が、木札の(仮)テープをぺりっと剥がして、俺の手の甲に貼る。

自分のほうには、新しいテープで(仮)をもう一度手書き。


「“(仮)”は私が持っとく。

あなたのほうのは、“手の甲の印”で今夜だけ」


「スタンプラリーかよ」


「記念日工作♡」


笑ってから、ふっと息を吸って、夜をまっすぐ見る。

橋の向こうで、最後の連発が始まった。どどどどどん。

光の雨の中で、彼女が小さく言う。


「──美咲」


自分で自分の名前を、そっと。

“次の夏まで持っていけますように”って、願いの言い方で。

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