第14話 花火で“佐藤(仮)”を本物にするな
待ち合わせは神社の手前、橋のたもと。
川面からあがってくる火薬と川藻が混じった夏の匂いが、もう祭りの夜にしている。
「お待たせ〜♡」
振り向くと、白地に向日葵の浴衣。
美咲は髪を高くまとめて、金の玉簪を一本。耳には小さな雫のピアス。
片手のうさぎ巾着を軽く振って、こっちへ小走り。下駄がコッ、コッと涼しい音を出す。
「……似合いすぎ」
「でしょ♡ 今日は“白”で“夜”を塗りつぶしに来ました〜」
「塗りつぶしに来るな」
「はい、これも〜」
渡されたのは木札のストラップ。焼印で「佐藤」。
もう一つは……俺の手のひらで、彼女が**マスキングテープに油性ペンで(仮)**って書いて、器用に貼った。
「はい、“ペア札”完成♡」
「手作りで既成事実を増やすな」
「ううん、既製品に“仮”を足しておくれなの。かわいくない?」
「お前の“仮”運用、ほんとプロだよな」
◇
参道は人でぎゅうぎゅう。
りんご飴の赤、綿あめの青、焼き鳥の煙の白。
頭の上で風鈴がかすれて、遠くで試し花火がどんと短く跳ねた。
「ね、まず写真〜」
「はいはい」
社の横の提灯前。
美咲は浴衣の裾を指で1センチだけ持ち上げ、横向きに立って首を傾ける。
光の抜きどころを瞬時に決めるのは、ほんとモデルの脳だ。
「美咲」
呼んだら、目尻がきゅっと上がる。
“名指しで写された”のが嬉しい顔。
シャッター、カシャ。
「よし、今日は“美咲”をいっぱい残してもらいます。──次、りんご飴♡」
屋台の兄ちゃんが「カップルで?」と自然に聞いてきた。
「はい♡」
「まだです」
同時に出すな、俺と彼女。
兄ちゃんは一瞬固まってから、笑ってマスキングテープをちぎって(仮)と書き、飴の袋に貼った。
「サービスしといた。夫婦(仮)割」
「公式にしないでください!!」
◇
川原の土手。
レジャーシートの上で、膝を抱えて空を待つ。
風が橋の下を抜けていって、浴衣の裾がふわと鳴る。
「ねえ蓮くん」
「ん」
「私さ。勝ちたいとか、目立ちたいってだけじゃないんだよ」
「知ってる」
「“初めての呼び方”の思い出を、夏で固定したいだけ。
白い浴衣で、川の匂いで、花火の音で──“美咲って呼ばれた夏”って、一生、そこに置いときたい。」
言いながら、木札の「佐藤(仮)」を指でとん、と叩く。
視線は空じゃなくて、俺の口元を見てる。
“今言ってほしい”を、言わない術で言ってくる。
「……それは、いい願いだと思う」
「でしょ?」
「ただ、“奥さん”は今日じゃない」
「うん。分かってる。でも“今日じゃない”をいっぱい積んだら、“今日だよ”に届くでしょ」
こいつの前倒しの論理、ほんと強い。
それでも俺は、決めてある。
「届くよ。俺の“日付”で」
「ずる〜♡ でも好き〜♡」
◇
一発目。
夜空のど真ん中に、白い輪がぱあっと開いて、すぐ金の芯が追いかける。
音が胸の内側に落ちて、土手の子どもが「わあ」と小さく伸びる。
「見て見て、今の“向日葵色”だよ」
美咲が腕に触れる。
布越しの体温が、花火の音で細かく震える。
横顔は花火の明滅で影になって、口角だけ光る。
「美咲」
呼ぶと、彼女はわざとこっちを向かずに笑った。
“その呼び方は空に入れとく”みたいに。
次の花火。
群青の輪が幾重にも重なって、金の粒がしゃらしゃら落ちる。
川面に映る光の層が揺れて、足元で虫がひとつ鳴いた。
「ねえ蓮くん」
「ん」
「“奥さん”のとき、私なに着てればいい?」
「その質問じたいが前倒しすぎる」
「白? 黒? それとも制服?」
「今日のにしてくれ。今は“美咲”だろ」
「うん、“美咲”。──いつでも準備できるから」
言葉の最後に、くいっと袖が俺の小指を引いた。
たぶん、いちばん小さい約束の作法。
◇
屋台通りに戻ると、角に「夫婦判定フォトブース」なんてバカがいた。
“お似合い度%出ます! 彼女/奥さんボタンを選んで撮影!”
「やろ♡」
「やらない」
「押すのは“奥さん”のほうね?」
「押さない」
「じゃあ“(仮)”って書いとく〜」
スタッフのお姉さんが空気を読んで、画面に**(仮)スタンプ**を出してくれた。
撮影、ピロリン。
結果表示「お似合い度 92%」
うしろの中学生が「高っ!」って言う。高いわ。
プリントを受け取りながら、美咲が小声。
「ね、こういう“勝手に高い”やつさ。
全部、“あとで笑える証拠”にしよ。
“こんなの集めてまで、まだ言ってもらえなかった”って、3年分笑うの」
「怖い笑い方すんな」
「だって笑い話にしたいから、いま必死なんだよ」
ふっと真面目な目になる。
金魚すくいの水盤に映る花火が、ぱちぱち揺れる。
「分かってるよ。ありがとな」
◇
帰り道、橋の上。
風が強くて、向日葵の柄がぱたぱた揺れる。
美咲は欄干に肘を乗せて、夜の川を覗き込む。
「ねえ蓮くん。
今日の“美咲”、ちゃんと残った?」
「残った。
白いの、金の芯、うさぎ巾着、(仮)テープ、全部セットで」
「やった〜♡」
「でも、“奥さん”は、俺の番で言う」
「うん。待つ」
即答。
その“待つ”に、彼女の“走る”が全部含まれてるのが分かる。
「じゃ、最後にこれ交換〜」
美咲が、木札の(仮)テープをぺりっと剥がして、俺の手の甲に貼る。
自分のほうには、新しいテープで(仮)をもう一度手書き。
「“(仮)”は私が持っとく。
あなたのほうのは、“手の甲の印”で今夜だけ」
「スタンプラリーかよ」
「記念日工作♡」
笑ってから、ふっと息を吸って、夜をまっすぐ見る。
橋の向こうで、最後の連発が始まった。どどどどどん。
光の雨の中で、彼女が小さく言う。
「──美咲」
自分で自分の名前を、そっと。
“次の夏まで持っていけますように”って、願いの言い方で。
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