第9話 体育で夫婦を組ませるな
「はいじゃあ今日は体つくり運動なんで、2人1組になってくださーい」
体育館に体育教師の声が響いた瞬間、俺は悟った。
(あ、これは今日も地獄だ)
案の定、周りがざわっとする。
「2人1組……」
「1-Bといえば……」
「佐藤夫婦……」
お前ら、体育に夫婦を持ち込むな。
「じゃあー、男女で組んでいいけど、身長近いほうがやりやすいかなー」
先生がそう言うと同時に、右からスライドしてきたのはゆる茶セミロングの佐藤(仮)である。今日はジャージで髪を高めに結んでて、首筋が見えて健康かわいい。
「はぁい、旦──」
「まだ言ってないって何回言わせんだよ!!」
「じゃあ“体育のときの人♡”」
「名前として便利すぎるだろそれ」
左を見ると、黒ボブ・ジャージ上をきっちり閉めた安達が、ほんの一瞬だけこちらを見た。
でもすぐに視線をそらして、隣の女子と身長を合わせて組んでしまう。
(……あ、今日は譲るほうなのか)
と思った瞬間、安達がすっと手を挙げた。
「先生、佐藤(仮)さんと佐藤くんが組むと、たぶんまたクラスがざわつくんですけど」
「ざわつくねえ」
「だから、先生が決めてください」
「正論ーー!」
クラスから拍手。
先生は「じゃあそうするかー」と名簿を見て、軽く指でなぞった。
「えー、佐藤 蓮と……佐藤(仮) 美咲」
「結局そうなるんかい!!」
「だってさあ、書類上そうなってるし」
「書類は体育まで支配するのかよ!」
美咲はにぱっと笑って、腕をぐいっとからめてきた。
ジャージの袖の中から、手首にしてる細いゴムがちらっと見える。普段髪を結ぶやつ。こういう生活感が出ると急に距離が近い。
「やったぁ♡ 公式で体育もいっしょ〜」
「公式って言うな」
「だってこれ、“夫婦でラジオ体操してます”ってやつでしょ?」
「違う。これは“高校生がペアでストレッチしてるだけ”だ」
「じゃ、はい。前屈、押してあげるね♡」
「やさしくな!? 背骨折るなよ!?」
◇
ペアストレッチが始まると、体育館にはざっくばらんに「ぎゃはは」「ちょ、届かん」「押すなって!」が飛び交い始めた。
その中で、俺と美咲だけがやたらと“夫婦感”が出てる。
「はい、息吐いて〜。もうちょっといける〜。そうそうそう♡」
「整体かお前は」
「明日筋肉痛でも私がマッサージしてあげるから〜♡」
「そこまでセットなのかよ」
向かい合って座ると、髪を結んでるぶん、美咲の顔がよく見える。
汗で前髪がちょっとだけ貼りついてて、でも口元は余裕の笑い。運動しても可愛いってずるい。
と、そのとき。
「先生、やっぱりやめませんか」
安達がまた手を挙げた。
今度は真剣な顔で。
「なんだ安達さん」
「“佐藤さん同士で組むのが自然”って空気を、最初の体育で作っちゃうと、後から変えにくくなります」
「なるほどなあ〜」
「なので、2回に1回は別の人と組むってルールにしたほうが──」
「安達……」
俺は思わずつぶやいた。
(お前、ちゃんと“後からでも入れるように”道作ってんだな)
でも先生はやっぱりゆるかった。
「でも今日はこれでいっかー。写真も撮っとこー」
「写真!? 体育で!?」
先生がタブレットを構えると、周りも「撮ろ撮ろ〜」「佐藤夫婦〜」でスマホを向けてくる。
美咲が即座にポーズを変えた。
ストレッチの形のまま、ちょっとだけ身体を寄せて、にこっと笑う。
これだけで「体育で夫婦をやってる人たち」の写真になる。プロかお前は。
「レンくんも笑って〜♡」
「笑えるか!!」
カシャ。
安達はその様子を見て、ため息をひとつ。
そのあとで、隣の女子(同じ身長くらいの子)に言った。
「じゃあ私たちも撮ろ。普通のやつ」
「普通のやつってなにwww」
「こういうので、ちゃんと“普通”が存在するって残しとかないと、全部あの子たちのテンションになるから」
「安達が図書委員やる理由わかったわ〜」
こっちもカシャ。
◇
次にやったのは、背中合わせで立って腕を組むやつ。
バランスをとるために、自然と寄りかかる形になる。
「はい、蓮くん、もたれていいよ〜」
「いやお前軽いから倒れるだろ」
「倒れたら抱きとめてね♡」
「体育館で愛を育むな」
でも実際もたれてみると、美咲の背中が思ったよりあったかくて、汗がじわっとシャツに伝わる。
それを向こうも感じたのか、ちょっとだけ肩をすり寄せてきた。
「……ね」
「ん」
「こうやってると、ほんとに“佐藤くんと佐藤さん”って感じするね」
「まあ……そうだな」
「体育でも、家でも、プリントでも、ぜんぶ“佐藤”になったらさ。
あとは蓮くんの“奥さん”だけだね♡」
「だからそれは俺が言うって──」
「わかってるってばぁ。
でも、場所が増えてくとさ、“言ってもいい日”も増えるじゃん?」
「言わせる気満々だなお前」
体育館の向こうでは、安達が別の子とちゃんとストレッチをしていた。
でもときどき、こっちを見る。
遠くからでも分かるくらい、目が「ほんとは今日も入りたかった」って言ってる。
(……悪いな、ほのか)
と思ったところで、先生が言った。
「じゃあ次、1回ペア替えしまーす! 隣の列と入れ替わって〜」
「やった」と安達。
「えー」と美咲。
俺は立ち上がって、安達のほうへ1歩。
安達も1歩。
「はい、次よろしく」
「うん」
向かい合って座ると、美咲のときよりも視界に黒が多い。
安達の黒ボブが、汗でちょっとだけしっとりしてて、中学の部活のときに戻ったみたいだ。
「……あのさ」
「ん?」
「さっき先生に言ってくれたの、ありがとうな」
「べつに。私も入りたいから言っただけ」
「それで十分だよ」
「じゃ、押すよ。息吐いて」
「お、おう」
ぐっ。
安達の押し方は、美咲より力がある。体育ちゃんとやってたタイプの押し方。
「ねえ蓮」
「なに」
「私も、体育で“佐藤ペア”になってみたいな」
「……言っとくわ」
「うん。順番来るの待ってる」
笑った。
体育館の端っこで、汗をかいた女子が2人、どっちも“順番待ち”の顔をしていた。
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