第4話 呼び方だけでホームルームが終わった

「じゃあ出席とるぞー。……あ、これはもう無理か」


朝イチ、担任の田所が名簿を見て即座にあきらめた。

そう、今日はすでに“佐藤(先に苗字を合わせた女)”と“順番を守る女・安達”が並んで座っている。クラスの火薬庫が隣同士にある状態だ。


「先生、なに諦めてるんですか」


「いやだってお前ら呼び方でケンカするだろ」


「ケンカしませんよね?」と俺がふり返る。


美咲はゆる茶のセミロングをふわっと揺らして、にっこり。


「しないよぉ。“奥さん”でいいし♡」


「する意思しかねえな!?」


隣で安達がすぐさま眉を寄せる。今日は昨日よりさらにきっちりしてて、白いカーディガンを制服の上にちゃんと着てる。多分「春先は冷えるから」ってお母さんが言ったやつを素直に着るタイプ。真面目かわいい。


「先生、“奥さん”はさすがに学校で使う呼び方じゃないと思います」


「ほらもう意見が分かれた」


「じゃあ“蓮くんの将来の苗字です♡”」


「それも言い回しが強いんですよ!!」


春川が前の席で机をドンドン叩いた。


「もうクラスで決めようぜ! “佐藤が2人いるクラス”って、呼び方が統一されてないのが一番めんどい!」


「お前が一番めんどいこと言ってんだよ」


でも確かに、先生が「佐藤ー」と呼んだら美咲も俺も反応するし、ほのかも「え、将来佐藤なら私も?」って冗談言い出すし、授業が止まる。

たしかにここで一回、呼び方ルールを作っておくのはアリかもしれない。


先生も「じゃあ5分だけな? 5分だけ、あだ名会議な?」とホワイトボードに「呼び方」とでっかく書いた。


「まず、男のほう」


「だからその言い方」


「男のほうは“レン”でいいよな」


「いいよな」ってクラス中の視線が俺に来る。

これを断る勇気は、俺にはない。


「……レンでいいっす」


「はい“レン”決定。じゃあ問題は女のほうの──」


「嫁♡」


「はい却下です」


美咲が即決で手を挙げたのを、安達が即決で切った。早い。

この2人、もし部活で組んでたら全国行ける反射神経してる。


「じゃあ“ミサキ”で」


「普通だな」


「えっ、ダメ? “ミサキちゃん”可愛いと思うけど」


「可愛いけどさぁ〜」と美咲がほっぺをぷくっとふくらませる。

こうすると頬に小さいえくぼが出るのがズルい。男子の視線がちょっと揺れたのを、女子が見逃さない。


「私、せっかく苗字も“佐藤”にしたのに、下の名前で呼ばれるのもったいなくなぁい?」


「贅沢な悩みすんなお前」


「だって“佐藤”にしたんだもん。“佐藤”って呼んでほしいもん」


「でも“佐藤”って呼んだらレンも返事するんだよ」と安達。


「じゃあ“佐藤(愛)”♡」


「何を属性で分けようとしてるの!?!」

「じゃあ俺は“佐藤(無)”なのか!?!」←俺


先生がもう一度ホワイトボードに書き直す。

• 佐藤(男)=レン

• 佐藤(女)=???


「はい、意見あるやつー」


「“さとみん”」

「“さとぴ”」

「“さとーさん”」

「“さときゅん”」

「“未来の奥さん”」

「“役所を味方につけた女”」


最後だけ説明的すぎるだろ。誰だ今の。


美咲は「さときゅんいいな〜♡」と言いながら髪をくるくる指に巻きつけてる。

指が細いからこの仕草がちょっとだけ色っぽい。お前、その顔でふざけるな。


一方の安達は、横でじっと様子を見ていたけど、やがてそっと手を挙げた。


「先生」


「はい、安達さん」


「“佐藤(仮)”はどうですか」


「急にリアル!!」


教室が爆笑する。

でも案外、合ってる。いまの美咲、たしかに“仮”感はある。


「いまのところ“仮で佐藤”だから、“佐藤(仮)”だったらレンくんも返事しないと思います」


「お前はなんで俺の返事のしやすさまで設計するんだ」


「じゃあ安達は?」と春川が聞く。「お前も将来的に佐藤になりたい側だろ?」


「え、私は……」


安達はちょっとだけ頬を赤くした。

耳がうっすらピンクになるのがわかる。こういうとこが“順番守る”に説得力を持たせるんだよな。ちゃんと恥ずかしがるから。


「私は、ちゃんと付き合ってからでいい。だから今は“安達”でいい」


「真面目〜〜〜」「正道〜〜〜」「推せる〜〜〜」って女子から小さい歓声があがる。

チラッと見たら男子も「安達もいいな」って顔してる。やめろ。ハーレムにするつもりはない。


美咲がそこでスッと手を挙げた。


「じゃあさ。

• 先生とかクラスとか公的なときは“佐藤(仮)”

• 個人のときは“美咲ちゃん”

• 蓮くんのときだけ“奥さん♡”

これでどう?」


「最後が強すぎんだよ!!」


「なんで! 私がんばって譲歩したじゃん! “仮”って言っていいって言ったじゃん! 公的なときはそれでいいよ!」


「譲歩の中に核兵器を混ぜるな」


安達がすぐさま立ち上がる。


「ダメです先生。“奥さん”は蓮くんの意思も確認してからにしてください」


「はい蓮、どうする?」


急にマイクを渡された。クラス全員の視線が来る。

美咲の茶色、安達の黒。2人の視線の色がぜんぜん違う。

俺は深呼吸して、言った。


「…………公的なときは“佐藤(仮)”。

クラスでもそれ。

でも、俺が2人きりのときに呼ぶのは“美咲”。

で──“奥さん”は、俺が言うって決めたときだけ。」


一瞬、教室の空気が止まった。


美咲の目がぱっと大きくなる。

“奪われたくないところ”をちゃんと押さえられたときの顔だ。

いつもの「やった勝った♡」じゃなくて、“この人、私に言わせるだけじゃなくて、言ってくれる人なんだ”って気づいたときの、ちょっと落ち着いた笑い方になる。


「……なにそれ。ズルいじゃん。

じゃあ──そのときまで待ってる」


「待っとけ」



安達がそこで「それならまだ勝てる」とでも言いたげに小さくうなずいた。

この“まだ終わってない”って顔が2人ともできるから、三角が崩れない。


先生がパンパンと手を叩いた。


「はい決定ー!

• 佐藤(男)=レン

• 佐藤(女)=佐藤(仮)

• 安達=安達

• 美咲本人が個別に呼ぶときは当人同士で

これでいきます!」


「なんで先生まで“佐藤(仮)”って言うんですか」


「だって書類は正直に書かないと」


「いやそこは“佐藤 美咲”でいいでしょうが!」


春川がケラケラ笑って、黒板にでっかく書いた。


佐藤(男)

佐藤(仮)

安達


「クラスの名誉が一気に下がったな……」


と思ったその日の午後。

全校に配られたプリントの下にある「1年B組名簿(暫定)」のとこに、ほんとに


佐藤 蓮

佐藤(仮) 美咲

安達 ほのか


って印字されてて、俺はコピー機を破壊しようか迷った。

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