第9話 解決



突然の怒鳴り声に、誰も口を開けなかった。


「────テ!」


今……何か……聞こえた?


──バシッ!!


あからさまに何かを殴る音だ。

麗奈は顔を青くして、閑那も険しい表情をした。


雪見の脳裏に、先日の夢の世界で見た光景が浮かぶ。助けた青年から見えたビジョン。


考えすぎかもしれない。


(でも)


麗奈たちを子供が呼んだ可能性。

さっきの女性の住所のマップ。

殴られる音。


これらから推測されることは──!



『ほんとうは……助けてほしかった』



浮かんだ言葉にいてもたってもいられず、体が前に動いていた──


「雪見ちゃん!?」


麗奈と閑那が驚いて雪見を見る。


「──!」


他のふたりが反応するより早く、慧史は雪見を追っていた。雪見はノブに手をかける。


──バンッ!


勢いよく開かれた古い玄関は軋むような音を出す。

中にいた先程の女性が驚いたように雪見を見た。


「何、アンタたち……!?」


「──!」


その彼女の足の下に、小さな女の子が蹲っていて──


「っ!」


雪見は咄嗟に小さな女の子の傍に駆け寄る。土足だが今はそんなことを言っている場合ではなかった。


「え、ちょ!?──痛っ!?」


そして慧史は、狼狽える彼女を取り押さえる。


「──閑那! 救急車と警察!!」


「!」


慧史の叫びに、外の閑那が返事をしているのが聞こえる。


その間も、女の子は小さくなって震えていた。


「大丈夫!?」


女の子に声をかけると、涙に濡れた女の子は震えるように顔を上げる。あちこちの痣が痛々しい。


「雪見ちゃん! その子……!?」


麗奈が駆け込んでくる。

その音に消されそうなほど小さな震える声で女の子は呟いた。


「きんいろの……おねえちゃん?」


「……え?」


その言葉でハッとして周囲を見れば──


「この家って……」


青年のツタからビジョンで見た風景と重なった。


(この子だったんだ……!)


「この子……ユーリスなの? そんな……こんなの、ヒドイ……」


顔を覗き込んで震える麗奈は、そっとその手を少女に伸ばす。


「大丈夫……もう、もう大丈夫よ……!」


麗奈が泣きながら、女の子をギュッと抱きしめる。


その瞬間──。


「!」


──麗奈の腕に巻きついたツタが、跡形もなく霧散していった。


(麗奈さんの絶望は……)


震える麗奈と少女を見る。


サイレンの音が近づく中、母親の喚き声だけが部屋に響いていた──。




***




放課後の部室にて、雪見と麗奈はホームルームが早く終わったので早めに部室に来ていた。


あの後、母親は逮捕されて女の子、

横峰紗織は病院に連れていかれた。彼女は栄養失調による衰弱と、全身の打撲、腕の骨にもヒビが入っていたようで、しばらく入院となった。


「母子家庭で、日常的に虐待されていたみたい」


麗奈は気落ちしたようにお茶を入れた紙コップをギュッと握る。


「あの子が、ユーリスなんだよね?」


雪見が聞くと、麗奈はこくんと頷いた。


「うん、そうみたい」


「つまりユーリスは、夢の亀裂とかどうとかではなく、虐待を受けていてSNSに入れず、夢にもほとんど来れなかったんだね」


麗奈は泣きそうな顔をする。


「ユーリスは、言葉は少ない人だったけど、誰かが困っていると必ず手を貸してくれたし……」


「……助けられて良かったよ」


「うん」


ユーリスの……横峰紗織の救出の一件で麗奈のツタが消えた。


見えたもの、聞こえたものからの推測になるが、おそらく横峰紗織という少女──夢の世界ではユーリスという青年の死が、麗奈にとって精神的な衝撃が強すぎたのだろう。


まるで心が引き裂かれるみたいな、苦しいビジョンだった。

狂気に飲まれてもおかしくないくらいに。


ツタが呼び起こすビジョンは、原因が些細だったとしても大きな事を呼び起こす。


チラリと麗奈を見るが、多少落ち込んではいそうだが心を壊すほどには見えない。


(良かった……)


麗奈は雪見の様子に気づき、首を傾げて微笑んだ。


「紗織ちゃんは施設に入るみたい。本郷先生にも相談したんだ。警察も関わってるから大丈夫だろうけど、様子を見てくれるって」


「そっか」


それなら確かに安心だ。

少しお茶目なスクールカウンセラーを思い出す。


不思議な人だけど、なんか信用できる気がするんだよね……。


『日下灰音という名前に聞き覚えはない?』


(誰なんだろ)


どうしてそんな質問をしたのかわからないが、深く考えようとすると思考にモヤがかかるような感覚になる。


頭を軽く振っていると、視聴覚室の扉が開いた。




***




今回の一件は、いろいろな意味でショックだった。

まだ全てが解決したわけではないことも、胸に重石を置かれたような気分になる。


しばらく麗奈と二人、黙ってお茶を見つめていると、廊下がにわかに騒がしくなる。


雪見はチラリと入口を見る。


他のクラスもホームルームが終わったようだ。


(そろそろみんな来るかな……)


雪見が一口お茶を飲んだところで、視聴覚室の扉が開かれた。


「やほやほー! 日曜日は大変だったみたいだねー!?」


「雪見~!」


瑠花と真梨枝だ。

真梨枝は雪見の姿を見つけて嬉しそうに駆け寄ってくる。


「結局、私達……ううん、私は何もしてないし」


麗奈は苦笑いするが、雪見はぽんぽんと麗奈の肩を叩く。


「行動しようと決めたのは麗奈さんだよ。麗奈さんがあそこに行こうと決めなければ、きっとあの子は助からなかった」


「雪見ちゃん……。ありがと」


「いいんさ、いいんさ、ボクらはまだ若者なんだから、難しい案件は大人に任せたらいいんさー」


瑠花はカラリと笑う。その笑顔に、麗奈はホッとしたようだった。




「桜木さんも、噂の出処はお手柄だったね!」


「えへへー」


「あれについては、今男性陣が走ってるから続報待ちになるかな」


「そうなの?」


(え、あの有瀬君が……?)


雪見は少し驚くが、すぐに先生と翔のことだろうと考え直す。


「そ。で、ボクからも続報がある」


「?」


「先日の殺人事件だけど、犯人が自首した」


「えぇ!?」

「ほんと!?」

「じしゅ!!」


視聴覚室に衝撃が走る。

瑠花が追っていた先日の殺人事件といえば、埠頭で夫婦が転落死したものだろう。──急転直下の展開だ。


「うん。まあ、犯人についてはすでに報道されてるから隠さず言うけど、木村夫妻の娘さんだった」


「え」

「ひぇ」


雪見と真梨枝は絶句したが、麗奈は違うことに引っかかったようだ。


「え……お子さんなんていたの……? あの二人全然そんな感じしなかったのに……」


「……うん、まあ、ボクは自首する前の犯人と会う機会があったけど、その辺が今回の一件に繋がったみたいだね」


「……」


つい先日、ひどい虐待を見たばかりだ。

部屋は重苦しい沈黙に包まれる。


雪見もそっと目を伏せる。


「ま、そんなわけでだ」


しかし、そこを吹き飛ばすのが我らが部長であった。


「ボクはこの殺人事件、夢の亀裂と無関係と言っていいと思う」


全員を見回して、瑠花はキッパリと言い切る。


「オカルト的に、幽霊に操られて殺しちゃったんだ!みたいなのは除外するよ。そんなの認めてたら何でも関係あるって言えちゃうし」


瑠花は麗奈を見て諭すように言う。麗奈も素直に頷いた。


(こういうとこ、大塚さんってすごいよね……)


「結局亀裂に入ったからって……何が起きたわけでもないのね」


「……そうだね」


雪見も静かに頷く。


「幽霊の! 正体見たり枯れ尾花!」


瑠花は楽しげに宣言し、麗奈と真梨枝が拍手をする。

雪見は何か違う気がしたが、ここで言うべきでもない。


(私なら……そういうのは言わない、よね?)


静かに、胸の中で呟いた。




「あとはアカウント消した人だね」


真梨枝の言葉に、雪見と麗奈も頷く。


「それなんだけど──」


──ブー


瑠花が口を開くと同時に、スマホのバイブ音が響く。


「お、いいタイミングだ」


どうやら先生のスマホを預かっていたようだ。


(……それはありなの?)


雪見は首を傾げたが、もう突っ込まないことにする。探偵クラブは若干超法規的なところがあるのは今更だ。


しばらく話を聞いていた瑠花は、ニヤリと笑ってガッツポーズをした。


「おっし! 被疑者確保!」


「え!?」


「被疑者?」


「だれ?」


ニマニマ笑う瑠花。


「移動するよ」


雪見たちは瑠花に促されるままに支度をし、近くの公園に移動することになった。




***




学校から公園は遠くない。それでも準備をしてから向かったので、多少時間がかかってしまった。


「悪かったから、離してくれ!!」


「だーめ」


そこには何やら喚き散らす青年と、にこやかにそれを取り押さえる凌。そして横で連絡係をしている翔がいた。

ちなみにその横のベンチで、先生はコーヒーを飲んでいる。


「こっちだ、こっち!」


「お疲れ、諸君!」


翔の呼び声に瑠花は晴れやかな笑みで手を挙げた。


「え、凌君……誰、この人……」


捕らえられた青年は、痩せ型でやや長めの髪をした、大人しそうな人物だった。


「離せって!──いっ!!」


青年はもがいているが、凌が涼しい顔で腕を捻るたびに小さな悲鳴を上げて黙り込む。


「麗奈は見覚えない? 夢の世界の姿は似る傾向があるから、たぶん面影あるでしょ」


「え? ……もしかして、モリス!?」


顔を覗き込んで、麗奈は驚いたように二度見した。


「悪かったよ!! 俺だって……俺だって怖かったんだよーー!!」


青年の叫びに、公園の木々からパタパタと鳥が飛んでいく。


そう。アカウント削除のモリスを、彼らは捕獲したのである。





「つまり、ホラ吹いたら本当になって、ビビって逃げたって?」


公園のベンチに正座させられ、探偵クラブに取り囲まれた青年──赤木和寿は、瑠花の言葉に吠えるように喚く。


「おい、言い方! んなのノリじゃんか!!」


「ん?」


「いや! すみませんでした...」


そして凌が小首を傾げて微笑むと、瞬時に頭を下げ、消えそうな声で謝罪した。


(よわ……)


しかし凌の笑顔はそばで見ていた雪見ですら背筋が冷たくなったので、直撃を受けた彼がああなるのも当然かもしれない。


「だから……亀裂の話は……忘れたけどどっかで見て……だから、盛り立てようと思っただけじゃんか」


まとまりのない説明で、気まずそうに正座する赤木。


「それにさぁ! 俺以外だって乗ったわけじゃん?」


「……アカウント削除すること無かったでしょ」


瑠花は押し殺したように言葉を出すと、赤木を睨む。


「いや、それはさぁ!? ネタだったのにマジで人が死んだから……やべーと思って……」


声が尻すぼみに小さくなる。


「ネタだってバラしときゃ良いだろ」


翔が呆れたように言えば、赤木は不貞腐れたように横を向く。


「んなの、つまんねーじゃんか」


どこまでいっても悪い事をした意識がなさそうな赤木は、なんでこんな目に……と未だにブツブツ文句を言っている。


「つまるとか、つまらないとか、そういう事じゃねーだろ!? それで他人がノイローゼとかになったらどうすんだよ!? せめて仲間には言えよ!? 倉光がどんだけ悩んでたと思ってんだ!?」


一息に言い切って、翔が息を切らす。


「……」


気圧されたのか、赤木は驚いたように黙ってしまう。


「……翔君……ありがと」


「あー、いや……俺が言いたかっただけだから」


翔は頬を掻きながら横を向いた。

麗奈は苦笑し、そして赤木に向き直る。


「モリス。私、あなたの事悪い人じゃないと思ってたけど、最低ね。そんな噂広めて何が楽しいのか、さっぱりわからない」


「ア、アイリーン……」


「私にはどうすることもできないし、どうするつもりもないけど、心底軽蔑するわ。今までありがとう。二度と孤児院に来ないでね」


麗奈は背を向け、帰り支度を始めた。


「もういいの?」


「うん。ひっぱたいても良かったけど、今回の件でユーリスに辿り着けた気もするし、もういいわ」


さっぱりしたような麗奈に、雪見も苦笑する。

麗奈の吹っ切れたような笑顔は、雪見の心も軽くした。


「帰ろっか」


「うん」


こうして麗奈の不調からはじまる第二の事件は、夕暮れの空の下、静かに幕を閉じたのだった。




***




あれから三日。

探偵クラブは相変わらずだった。

が、いつも騒がしい瑠花がいないことで、とてもまったりした空間となっていた。


『ちょっと気になることがあるから、確認してくるね~!』


片手を上げて、ウインクをしながら去っていく瑠花を見送ったのは先日。

彼女は毎日、授業後にどこかに調査に向かっていった。


「何の調査?」


「さあ? 特に聞いてないのよね」


麗奈が窓を開けながら首を傾げる。

五月の風が、ふわりとカーテンと麗奈の髪を揺らす。


雪見も真梨枝にお茶を継ぎ足し、まったりとしたお茶会となる──はずだったのだが。




『ごめん、みんな! やらかしちゃった☆』




その瑠花から、忘れ物でもしたような軽い電話がきたのは、そんな優雅な午後の一時だった。

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