第3話 厳しい現実
転生から十日後――
「ねぇ、お母さん。この文字、なんて読むの?」
「これはね、『穿つ』と読むのよ。突き抜けたり、刺したりするような意味ね」
机に並べられた古びた羊皮紙には、見慣れない魔法文字がびっしりと刻まれていた。
そんな俺の隣には、ステラがぴったりとくっついて座っている。
メナトの記憶によれば、ステラは相当なブラコンらしい。目が見えていた頃から、メナトの後ろをちょこちょこと追いかけ回していたという。
その分、メナトも妹を心から可愛がっていた。
だからだろう。今の俺にも、ステラはまったく警戒を見せない。
けれど、子供の感受性はやはり侮れないもので……。
「お兄ちゃん、なんか……変わったよね?」
さすがに鋭いな……。
「うーん、そうかな? 今のお兄ちゃんは、嫌いか?」
「ううん、そんなことないよ! お兄ちゃんのことは、ずっと好き!」
そう言って、ステラは満面の笑みで俺にしがみついてくる。
上手くやっていけそうだ。
「あと、メナト。これから外出するときは、必ずこの手袋をつけるのよ」
アイシャは魔法陣が描かれた手袋を差し出した。
「これは?」
「紋章師はね、自分の紋章をむやみに見せないように、こうして手袋で隠すの。それに、何かの拍子に意図しない魔力が暴発して、相手を傷つけてしまうこともあるの。特に子どものうちは制御が難しいから……ね」
なるほど。
得体の知れない紋章を持つ俺にとっては、特に注意が必要というわけか。
「ただし、手袋をしていない魔法師からすれば見くびられるのは面白くないから、自分を紋章師に見せかけて、牽制の意味で手袋をする場合もあるのよ」
紋章の力が強大がゆえに、そうせざるを得ないのか。
「じゃあ、お母さんの紋章は何て言うの?」
「これは、【水の紋章】。水魔法が強化されたり、水に関するオリジナル魔法を発動できるの。前にも一度見たことがあるでしょう?」
記憶を探ると、確かにメナトの記憶の中に母が水を操る姿があった。
けれど、改めて自分の目で見てみたい。
「うん。でも、もう一度見たい。まさか自分が魔法を使える日が来るなんて思ってもいなかったから」
「そうね……紋章を宿した今なら、感じ方も違うはず。じゃあ、庭に行きましょう。ステラも一緒に」
アイシャが立ち上がると、俺はステラの手を引き、その後を追った。
母は的となる木に向かって手を翳し、早速詠唱を始めた。
『静寂より生まれし白の牙よ。凍てつく力を槍と成し、敵を穿て――』
蒼い魔法文字の環輪がエイシャの身体を立体的に包み、
前へ掲げた右手の紋章――【水の紋章】が眩い輝きを放つ。
『【
周囲の水分が一気に凍りつき、光を反射する氷の槍が形を成す。
放たれた槍は風を裂き、音すら置き去りにして的を貫いた。
「す、すげぇ……」
思わずうなってしまった。
隣にいたステラも見えなくとも感じたのだろう。
笑みを見せ、何度も手を叩く。
夜になると、父・ホークが帰ってきた。
父もまた紋章師であり、右手には【鷹の紋章】を宿している。
【鷹の紋章】――それは風の系統に属する紋章で、最大の特徴は鷹を使役できることにある。
使い魔となった鷹は遠距離偵察や連絡伝達を担い、斥候として極めて有能だ。
そのため、ホークの名を知る者は多い。
戦を企てる貴族、あるいはそれを阻もうとする者。いずれにしても、情報が鍵を握る時、必ずといっていいほど【曙光の鷹】に声をかけるのだ。
「次の仕事が決まったぞ」
帰ってくるなり、ホークの声が借り家に響く。
「ヘロス王国のユーマン男爵が治める、山村ビサンドの防衛任務だ。山賊が集まって襲撃を企てているらしい。敵の戦力調査と防衛が依頼内容だ。報酬は前金で金貨五枚、成功報酬が十枚。相手は賊、容赦はいらんとのことだ」
「分かったわ。ここからビサンドまでは三日ほどね? 野営の準備をしておくわ」
「頼む。エルをお前につける……メナトとステラのこともよろしくな」
俺は六歳、ステラは五歳。
それでも、傭兵の家の子として生まれた以上、常に移動と戦が隣り合わせの生活だ。
メナトの記憶をたどれば、幼い体で馬に乗って長旅を続けるのは当たり前だった。
それが、この世界の現実だ。
六歳だからといって甘えていられるほど、この世界は優しくない。
自分の力で身を守れなければ、メナトのようにまた、死ぬだけだ。
それに、俺にもメナトにも守りたい存在がいる。
転生した俺に違和感を覚えても兄として慕い、全幅の信頼を寄せてくれる盲目の妹――ステラ。
そう心に誓いながら、夜更けまで机に向かい、魔法文字の勉強を続けた。
灯された小さな蝋燭の炎が揺れ、ペンの影が壁に踊る。
その光が、煌々と俺の決意を照らしていた。
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