再生

それから三ヶ月、僕は一切書かなかった。

投稿サイトのアカウントは削除した。SNSも見なくなった。

ただ、毎日大学に行って、授業を受けて、本を読んだ。映画を観た。友人と話した。

そして、ある日。

ふと、書きたくなった。

パソコンを開いて、新しい作品を描いた。

今度は違う。

プロットを考える。主人公はどんな人物か。なぜこの物語を書きたいのか。この物語を通して、読者に何を伝えたいのか。

一つ一つ、自分の頭で考えた。

時間がかかった。一週間かけて、ようやく五ページ書けた。しかしその五ページは、確かに「僕のもの」だった。どの一文についても、なぜそう書いたのか説明できた。

十ページ目を書いているとき、ふと思った。

AIに意見を聞いてみてもいいのではないか、と。

ツールを開いて、書いた文章を貼り付けた。

「この描写について、改善案を提示してください」

AIは、三つの案を出してくれた。どれも、確かに僕の文章より洗練されていた。

しかし今度は違った。

「なぜAIはこの表現を選んだのだろう?」

それを考えた。AIの提案の意図を読み解こうとした。

そして、気づいた。

一つ目の案は、リズムを重視している。二つ目の案は、視覚的なイメージを強調している。三つ目の案は、感情的な余韻を残そうとしている。

では、僕はどうしたい?

この場面で、読者に何を感じてほしいのか?

それを考えて、自分なりの表現を打ち込んだ。AIの案でもない、元の文章でもない、第三の表現。両者の対話から生まれた、新しい何かだった。

保存ボタンを押した。


半年後、新しいアカウントで作品を投稿した。

反応は、以前ほど爆発的ではなかった。

「前のアカウントの人?」

「文章が少し荒い気がする」

そんなコメントもあった。

しかし、こんなコメントもあった。

「なんか、前より人間らしくなった気がする」

「不器用だけど、心に残る」

「この人、ちゃんと考えて書いてるんだなって伝わる」

そして、僕自身が一番驚いたのは。この作品について、どんな質問をされても、答えられるということだった。

「なぜこの表現を選んだのか?」

答えられる。なぜなら、自分で選んだから。

「このキャラクターの心情は?」

答えられる。なぜなら、自分で考えたから。

「このシーンで伝えたかったことは?」

答えられる。なぜなら、それを伝えるために書いたから。

これが、創作という行為の本質なのだと、僕は理解した。

パソコンの前に座る。

画面には、次回作のファイルが開かれている。AIツールも、隣のウィンドウで待機している。

両方とも、そこにある。

カーソルが点滅する。

僕は、タイプし始めた。

まず自分の言葉で。そして必要なら、AIと対話しながら。しかし最後に決めるのは僕だ。一文一文に、理由を持たせる。それが、僕にできる唯一のことだ。


読者が何を求めているかは、もうわからない。評価されるかどうかも、わからない。

しかし今書いているこの物語が、確かに「僕のもの」だということだけは、わかる。

それで、十分だった。


窓の外から差した柔らかい朝日が僕を包んだ。

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思考 ショートver 北宮世都 @setokitamiya

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