世界で二番目に好きな人と暮してる

misaki19999

佳純りるの物語 第一話

 美玖以外の人を好きになるなんてあり得ないと思っていた。僕らは高3で付き合いだして、付き合って7年目に結婚してからも、ずっと12年もの間、僕が世界で一番好きだったのは美玖だった。それは未来永劫続くものと思っていた。死ぬまで美玖を好きでいるのだと思っていた、


 でも12年間ずっと世界で一番好きだった美玖がその座から陥落した。僕にとって世界で二番目に好きな人になってしまった。  


 あなたと出会ったから。


 あなたはバイトとしてうちの会社に入って来ましたね。缶と瓶の選別という、まず収集車が持ってきた資源ゴミを二階までコンベアーで上げて、そこでまず缶と瓶を分ける。その後に瓶を白瓶、茶瓶、その他の色に分別して、瓶や破片をダクトに落としていく。それが一階の倉庫に落ちて溜まっていく。そんな仕事だった。


 うちの会社は全部の部署を入れて20人ほどしかいなく、うちの現場は9人しかいなかった。産休で富田さんという女の人が休んでる代わりに、あなたは入って来ましたね。


 僕は新人の研修役をしていたので、あなたとは仕事上いつも接していました。あなたは細身で割と背が高く、赤いフレームの眼鏡をかけてショートカットで、髪全体を赤く染めていた。


 休み時間に誰もいない狭い休憩所で、あなたに何げなく、うちの会社に入った理由を聞いたら、あなたはこう答えましたね。


「ハローワークの求人票を見たら男性しかいなかったからなんです」

「どういうこと?」

「私、仕事が出来ないから、同性の、それも歳の近い子がいたら、いじめられるんです。だから女性のいないこの会社で働こうと思いました」

「変わった理由、というか本人には大事なことなんだね」

「その産休を取ってる女の人、復帰するんですか?」

「一応、来年の5月に戻りたいって言ってたけど」

「その人ってどんな人ですか?」

「すごく気の強い人。先輩相手でも食ってかかるし」

「じゃあ、その人が復帰したら私いじめられるじゃないですか。」

「そんなことないと思うけど」

 あなたはその後に、小さくため息をつきましたね。

 そして意外なことを言いました。


「私、早く死にたいんです」

「えっ」

「生き急いでるみたい、な」

「それって自殺念慮みたいなこと?」

「とは、違うと思います。自ら命を断つんじゃなくて、不慮の事故や病気で」


 僕は言葉が出るまで時間がかかりました。まだ22歳なのにこんな子は初めてだったのです。強い印象が残りました。


 だから休み時間のたびに僕はあなたに話しかけましたね。あなたはいつも、いろはすを飲んでいましたね。色々なフレーバーの物を。


「ドラマは見るの?」

「まったく見ないです。YouTubeばっかり見てます」

「何系の?」

「お笑い系ですね」

「誰が好きなの?」

「マユリカと真空ジェシカとDr.ハインリッヒと金属バットとなかむたです。真空ジェシカはこの前ライブにも行ったんですよ。あとシソンヌも好き」 

「僕もシソンヌは好きですよ」

「私、この動画が一番面白いと思ってて」

 あなたはスマホを出して動画を見せてくれましたね。

 タイトルは制作発表会2013。

 シソンヌのジロウさんがジェームスジョブズばりに英語で商品の発表をし、女性の声が日本語に訳していく。長谷川忍さんは取材記者の役だ。そして新作として発表されたのがタブレットにおっぱいが2つついた、パイパッドという商品だった……モロに下ネタだ。


 ジロウさんはパイパッドの使い方で、吸う、焦らす、交わると説明する。ジロウさんが息を吸うとパイパッドは起動し、ジロウさんのも起動する。長谷川忍さんがくだらねえと突っ込む。


 そしてジロウさんが焦らすで、おっぱいの周りを触れずに揉むような仕草をして、いきなりおっぱいをつかんだ。パイパッドは壊れた。また忍さんの突っ込みが入る。


 そして交わるは……S◯Xだ。ド下ネタだ。


「あと、なかむたも面白いんですよ」と言って、まったく知らないピン芸人の短い動画を見せられた。タイトルが、自◯◯為のルーティン。もうタイトルからしてド下ネタだ。


 なかむたという、わりとさわやかな顔の芸人が、ルーティンを語るのだが、まずは布団に入る。そしてアダルト女優のインスタを見て助走をつける。ティッシュを五枚用意する。なんかしゃしゃり出てくるやつように一枚足す。そして本公演。存分に好きなおかずで楽しんで下さい。最後に虚無。俺は何をやってるんだろう、という虚無。おかずを選ぶのに1時間半かけるという虚無。


 あなたはそんなとても下品な動画を、とても素敵な笑顔で笑って見ていましたね。その時、僕の心はなんだか落ち着かなくなったんです。胸がドキドキして、どうしようもなくなって。多分、僕はこの時あなたに恋をしたのでしょう。


「あとマユリカのラジオも面白いですよ。うなげろりんっていうんですけど。Spotifyのポッドキャストで聴けますよ」


 僕はあなたが好きなものならなんでも知りたくて、帰りの電車の中でスマホでうなげろりんを聞いてみたら……下ネタだらけだった。シコ◯だの、包茎だの、自分の尻の穴を触る奴と突然S◯Xと口走る奴のどちらが偉いかとか、30分以上曲もかけずメールも読まず、下ネタばかりがちりばめられたトークが続いた。これがやたらに面白かったんです。


 僕が番組のホームページを調べたら、マユリカのグッズが売っていて、バナナにうなげろりんと書かれたキーホルダーと、マユリカのステッカーを買いました。ステッカーはあなたにあげようと思って。バナナのキーホルダーでも良かったのだけど、お揃いだと嫌がられるだろうと思ったんてす。品物は家ではなくコンビニに届くようにしました。


 あなたにそれをプレゼントした時、僕の予想の遥か上を行く喜び方をしてくれましたね。僕のほうがびっくりするくらい、可愛いすぎる笑顔を見せてくれましたね。あなたはすぐに自分のiPhone16の裏側にマユリカのステッカーを貼ってくれましたね。


 それが申し訳ないくらいに思えて、本当に謝ってしまいました。あなたは意味がわからないといった顔をしましたが、すぐに笑ってくれました。


 僕はそれから何日かして、夕食の時にリビングでビールを飲みながらスマートテレビでYouTubeを映して、あなたから教えられたシソンヌとなかむたの動画を美玖に見せました。


「なにこれ、下ネタじゃない」そう言って笑う美玖の横顔を見ても、あなたの時よりも心が騒がないことに気付きました。あなたの笑顔を見た時、あんなにも胸がドキドキしたのに。


 美玖よりも好きになってしまったあなたが教えてくれた動画を、美玖に見せるなんて、とても残酷なことだと、あとから思いました。でもその時はそんなことまるで考えもしませんでした。


 ある日の休憩時間に、僕は「最近、面白い動画あった?」と訊きましたね。するとあなたはスマホを手にして「聞いてくれます? またすごい動画を発見したんですよ!」と言って、それを僕に見せてくれた。


 アカウント名が、へんちゃいウサギだった。もう既に下ネタだ。


 ウサギとムササビと鳥の雛みたいなのが2羽いて、ムササビがクラシックのノクターンの曲に合わせて、チ◯ポを引っ張るという、ド下ネタだ。


 あと斉唱という動画では、ウサギがジュピターという曲に合わせてチ◯ポ、を連呼するというだけのド下ネタだった。


 それを見ているあなたは本当に可愛い笑顔で、信じられないほど僕はあなたに心がときめいてしまったんです。本当にド下ネタなのに。


 僕はまた家のテレビで美玖にこの動画を見せた。美玖は今日はどこか元気がなく見えた。美玖はその動画を見て笑った後、泣き出した。


「えっ、どうしたの?」

「ごめん、下らなすぎて泣けちゃった」もう12年も美玖を見てきたんだ。美玖の状態くらいすぐわかる。何かあったのだ。僕は美玖をハグした。ハグしたけど、もう心がときめかない。そういえば美玖を抱くこともなくなっていた。誘われてもやんわりと断るばかりだった。


 僕には世界で一番好きな人が出来てしまった。


 だから僕は世界で二番目に好きな人と暮らしているんだ。


 それは本当に心が締めつけられる暮らしだった。僕の頭の中にはもう、あなたのことしかなかったのだから。

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