鎮静の数式と家族の調合



 

1. アリアの決意:愛と錬金術

シエルが王都でのストレスと剣のトラウマに苦しんでいる姿を見て以来、アリアは自身の使命を再認識していた。砦の維持という貴族の義務と、シエルの家族であるという心の義務。

 

彼女は、シエルの心の傷を癒やすための**「鎮静のポーション」の調合に没頭していた。しかし、シエルのトラウマは単なる精神的な動揺ではない。それは、勇者の演算魔力と剣の暴発力**が結合した、数理的にも制御が難しい記憶の歪みだった。

 

「剣を使うたびに、シエルの演算回路は不安定になる。通常の鎮静薬では、彼の持つ**『秘数(シークレット・ナンバー)』との間で逆相干渉**を起こし、かえって危険だわ」

 

アリアは、図書館に眠る古い錬金術の文献と、数理要塞の膨大な防衛式を照らし合わせた。そして、ついに一つの仮説にたどり着く。

 

ポーションの配合式に、シエルの演算魔力と同じ周波数を持つ**「調和の定数」を組み込むこと。それは、要塞の防御結界にも応用される高度な数理錬金術**の技術だった。

 

アリアは、夜を徹して実験を繰り返した。その姿は、孤独に要塞を守る令嬢の重責を一時忘れ、ただ愛する家族のために尽くす一人の女性だった。彼女の調合は、失敗と成功の狭間を行き来し、ようやく透き通った黄金色の液体がフラスコに満たされた。

 

「完成よ。『カリブルヌス鎮静剤(ピースフル・カリブル)』。…あなたの不完全さを、私が必ず守るわ」

 

2. 再びの愚痴とポーションの献上

王都から帰還したシエルは、その足でアリアの私室へと向かった。前回よりもさらに疲弊していた。王城での報告会中に、リリアンヌ姫が誤って錬金術の試薬をシエルの近くで暴発させ、彼の礼装に染みをつけた挙句、「完璧な貴方には、このくらいでちょうどいいわ」と笑い飛ばしたからだ。

 

シエルはソファに崩れ落ち、完璧な執事服が皺になるのも気にせず、深い溜息をついた。

 

「お嬢様……。僕は、世界を救う演算魔力を持っていますが、姫様の予測不能な行動の前では、そのすべてが無力なゴミに感じます。僕の数式は、天然という名の非論理的な概念を処理できません」

 

アリアは慣れた手つきでハーブティーを用意し、そっとその隣に、黄金色のポーションの小瓶を置いた。

 

「シエル。これは、あなたのために調合した鎮静剤よ。あなたの演算回路の負担を和らげ、剣を使った時の精神的な反動を抑えるために」

 

シエルは、そのポーションを手に取った。その輝きは、彼の黄金の腕輪と共鳴しているように見えた。彼はすぐに理解した。これは、通常の薬ではない。数理勇者の血統のために、高度な数理錬金術を用いて特別に作られたものだ。

 

「お嬢様……。この複雑な配合を、短時間で…」

 

「私はあなたの家族だもの。あなたの不完全な部分を補うのは、私の使命よ」

 

シエルは、その言葉に胸が熱くなるのを感じた。王族との婚約という冷たい義務とは全く違う、温かい家族愛。彼は感謝の言葉を飲み込み、ポーションを飲み干した。その瞬間、彼の身体全体に、淀んでいた魔力の流れが調和の数式によって修正されていくのを感じた。

 

「これで、僕は、また完璧な執事に戻れます。お嬢様のおかげで」

 

シエルはそう言って立ち上がったが、アリアは彼の腕を掴んだ。

 

「まだよ。もう少し、ここでだらしないあなたでいてちょうだい」

 

3. 襲撃再開:磁力の罠

安息を得た数日後、要塞の防衛網が警戒信号を発した。

 

「影の結社**、再襲撃**です!今回は、錬金術師を伴わない、ホムンクルスの精鋭のみです!」

 

シエルは冷静に指示を出し、中庭に出た。彼を待ち受けていたのは、以前と全く同じ容姿を持つ女性のホムンクルスだった。

 

「随分と回復したようね、不完全な勇者」

 

ホムンクルスは無感情に告げた。だが、今回は前回とは違った。彼女は、要塞の岩壁に事前に仕掛けられた微細な呪詛を、磁力で一斉に起動させた。

 

岩壁の結合が弱まり、要塞全体の防御が不安定になる。さらに、ホムンクルスはポーションを事前に服用し、最初から最大出力の短期決戦を挑んできた。

 

「今回は、長期戦は許さない。あなたのポーション依存という弱点は、すでに克服した」

 

ホムンクルスの宣言通り、周囲の金属物体だけでなく、弱体化した岩壁の元素そのものが、シエル目掛けて狂った弾丸となって襲いかかる。

 

シエルは、**黄金の槍(ロングヌス)**を構えながらも、冷静に状況を解析した。

 

(ポーションの事前服用。前回よりも魔力の消耗が激しい。彼女の寿命を削っている。だが、こちらの防御を弱体化させている今、剣を使わずに突破するのは…)

 

激しい磁力操作の波の中で、彼の頭に再び剣のトラウマが迫りくる。しかし、その時、ポーションの効果か、アリアの調和の数式が彼の演算回路を安定させた。

 

(いや、焦るな。弱点は克服されていない。彼女の魔力枯渇までの時間は短縮されているだけだ。僕が使うのは剣ではない。剣を使わずに、剣以上の効果を出す、数理的な突破口だ!)

 

シエルは、槍を構える手をわずかに下げた。彼は、戦闘そのものを終わらせるための、**完璧な「数理の罠」**を仕掛けることを決意する。

 

彼の黄金の腕輪が、微かに輝きを増した。

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