磁力と数式の交錯



 

1. 警告:裏切りの数式

シエルがアリアの部屋で安息を得た翌日、彼は再び完璧な執事に戻っていた。朝の執務をこなす傍ら、彼の頭脳は王都で記録したスパイ容疑の学者のメモと、リリアンヌ姫の呪詛暴発の数理的な揺らぎを解析し続けていた。

「影の結社は、短期決戦を好む」

それが、ホムンクルスとの初戦でシエルが得た結論だった。絶大な魔力と引き換えに短い命を持つ彼らは、魔力回復ポーションに依存している。彼らの目的は、要塞の防御を無力化し、一気に攻め落とすことだ。

その時、要塞の数理防壁にわずかな**「エラー」**が検知された。

「お嬢様、至急、防壁の設計図を」

シエルは表情一つ変えず、アリアに命じた。アリアが展開した設計図を見た瞬間、シエルの完璧な顔に初めて緊張が走った。

「…これは、一ヶ月前の防壁強化の際に組み込まれた**『無意味な冗長式』**です。防衛機能には影響しないはずですが…」

アリアが首を傾げる。だが、シエルはその式に刻まれた微細な意図を読み取った。

 

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「いいえ、お嬢様。これは冗長式を装った**『誘導式』です。磁力呪詛がこの式を上書きした場合、この一帯の防御魔法陣すべてが、敵の磁力操作に従順な構造に書き換えられてしまう。これは、内通者が仕込んだ裏切りの数式**です」

 

シエルが王都でマークしたスパイが、要塞の設計に関わる錬金術師を装って、この罠を仕掛けていたのだ。

 

「すぐにこの式を削除します!」アリアが慌てて防壁のコンソールに向かう。

「間に合いません。結社の襲撃は、この数式の起動に合わせて来る」

 

シエルはそう断言し、左手首の**黄金の腕輪(アルケミスト・アーム)**に手を触れた。

 

「私は要塞の心臓部を守ります。お嬢様は、指示通りに避難を。これが、執事としての完璧な命令です」

 

2. 鋼鉄の嵐

シエルが中庭に出た瞬間、空がゆがんだ。

 

「影の結社」が、要塞の四方から一斉に襲撃を開始したのだ。先頭には、シエルと同じ顔を持つ銀色の瞳の女性ホムンクルスが立っていた。

 

「見つけたわ、不完全な勇者」

 

ホムンクルスは無感情な声で告げると、その手を振り上げた。要塞の周囲に無数に散らばっていた鉄製の備品や、建築用の足場が、轟音と共に磁力で引き寄せられ、シエル目掛けて高速の弾丸と化して降り注ぐ。

 

「磁力操作(マグネティカ・アルス)」による、まさしく鋼鉄の嵐。

シエルは即座に黄金の槍(ロングヌス)を具現化させた。彼は防御に回らない。敵の攻撃の飛来軌道と磁力のベクトルを瞬時に演算し、最小限の動作で回避と迎撃を繰り返す。

 

彼の目的は一つ――時間を稼ぎ、敵の魔力を浪費させること。

 

「逃げてばかりね。無駄よ。あなたの後ろの防壁には、すでに私たちの**『裏切りの数式』**が刻まれた。まもなく要塞は崩壊する」

 

ホムンクルスは笑うことなく、感情のない言葉でシエルを挑発する。

 

「貴方がたの寿命は短い。この程度の消耗戦で、ポーションの残量は尽きる」

 

シエルは完璧に冷徹な声で反論する。

 

ホムンクルスの表情に、初めて焦りの色が一瞬よぎった。彼女は短命という宿命を突かれ、戦術を変更する。彼女は一気に距離を詰め、近接戦闘に引き込もうとした。

「感情に囚われて**『断罪の剣』**を封印した貴方では、この距離は超えられない!」

 

ホムンクルスの言葉は、シエルの心の最も脆い部分を正確に突いた。彼の脳裏に、幼い頃に**剣(カリブルヌス)**を振るい、非戦闘員まで巻き込んだ悲劇の光景がフラッシュバックする。

 

シエルの体が硬直した。その一瞬の隙を逃さず、ホムンクルスは磁力で固めた鉄の塊をシエルの頭上めがけて振り下ろした。

 

3. 禁断の剣と家族の温度

その時、**「だめよ、シエル!」**という切羽詰まったアリアの声が響いた。

アリアは避難を拒否し、中庭を見下ろすバルコニーに出ていた。彼女は手に持った小さな錬金術の球体を、ホムンクルスが操る鉄の塊めがけて投げつけた。

 

その球体は、磁力操作の影響を受けにくい特殊な素材で出来ており、鉄の塊に激突すると同時に強烈な光を発した。ホムンクルスは、その光と、愛する主の危機に反応したシエルの魔力の揺らぎに、わずかに体勢を崩した。

 

「お嬢様…!」シエルは激しく動揺した。

ホムンクルスは激昂し、バルコニーのアリアめがけて鉄の破片を操り始める。

「余計な**不純物(感情)**が。まずは貴様から排除する!」

 

アリアが命の危機に瀕した瞬間、シエルの中で**「恐怖」と「愛」**の数式が衝突し、限界演算を超えた。

 

(王族との婚約?トラウマ?くだらない!僕の家族に手を出すな!)

 

シエルの左手首の黄金の腕輪が、それまでとは比べ物にならないほどの強い輝きを放った。槍(ロングヌス)でも、盾(エギス)でもない。

 

黄金の剣(カリブルヌス)

それは、彼のトラウマであり、断罪の暴力の象徴。シエルは、完璧な執事の理知ではなく、家族を守るという純粋な感情に突き動かされ、禁断の力を解き放った。

 

シエルは一歩でホムンクルスの懐に入り、剣を振るった。

それは、剣術ではなく、「切断の数理魔法」そのものだった。剣が通過した空間の元素結合は瞬時に解体され、ホムンクルスが操っていた磁力の鉄の嵐は、無害な砂鉄となって地面に降り注いだ。

 

ホムンクルスは驚愕に目を見開いた。彼女の銀色の瞳に、初めて人間的な感情が浮かんだ。それは**「恐怖」**だった。

 

「感情が、私を上回るだと…?」

シエルは剣を納めることなく、静かに、だが威圧的に告げた。

 

「僕は不完全な人間です。だが、その不完全さが、あなた方のような無機質な数式には決して到達できない**『勇気』と『家族愛』**を生み出す。勝負は、僕の勝ちだ」

 

ホムンクルスは、魔力ポーションを服用する間もなく、短命という宿命に抗うことなく、その場に崩れ落ちた。

 

4. 安息と愚痴

戦闘後、要塞の防衛は完璧に復旧された。シエルは王都に勝利を報告し、完璧な事後処理を済ませた。

 

その夜。

シエルは、アリアの部屋のソファに、剣を使ったことによる精神的疲弊でぐったりと倒れ込んでいた。服は汚れ、呼吸は荒い。

 

「お嬢様……。僕は剣(カリブルヌス)を使ってしまいました。あんなに面倒で恐ろしい力を、また……」

 

アリアは、何も言わずにシエルの傍に座り、彼の冷えた手を自分の手のひらで温めた。

 

「怖かったでしょう、シエル。あなたの勇気は、完璧な執事の業務ではなかった。家族を守るためのものよ。ありがとう」

 

彼女は、勇者の婚約者が王族だと知っていながら、心の中で彼への愛を深める。そしてシエルは、その温もりの中で、初めてリリアンヌ姫の天然な妨害や迷惑な決闘に関する、心の底からの愚痴をこぼし始めた。

 

「姫様は、僕のこの不完全な姿を見たら、もっと毛嫌いするでしょうね。本当に、完璧すぎるのも面倒です。僕は、もう二度と、このソファから動きたくない……」

 

アリアは微笑み、シエルの髪を優しく撫でた。

「ええ、今日はゆっくり休んで。明日からは、また完璧な執事に戻るのでしょう?私の、唯一の執事様」

 

シエルは、アリアの言葉と温かい温度に包まれ、深い眠りについた。彼の完璧な外見の下にある不完全な心は、アリアという名の安息の数式によって、再び満たされていくのだった。

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