第19話 戯れにすぎる日々は


 つつがなく王への挨拶とロッテローザ王女の結婚のお祝いの言葉を述べ、セシルはリディアと一曲踊ってからヘレーネに捕まる前にそそくさと退散しようと提案した。


 セシルを舞踏会に連れてきたことで役目は十分果たしたはずだ――そう唆せばあっさり少女は頷いて疲れたのか欠伸を噛み殺す。


 階段を上り未練も無く会場を後にすると入口に控えている従者がフォルビア家の馬車が並んでいる場所まで案内してくれた。


「リディア様。あのようなことはあまり誉められたことではありません」


 笑顔を消し馬車の傍で待っていた護衛騎士は二人を迎えると開口一番にセシルでは無く護衛対象であるリディアを叱った。小さくなり「ごめんなさい」と謝罪する少女を見下ろしてからこれ見よがしに深く息を吐く。


「私は扉を開けたらリディア様がいないという恐ろしい目には二度とあいたくありませんので、失礼します」


 セシルとリディアの間に割って入ると少女の腰を支えて馬車の中へと押し込む。そして同時にクライブも乗り込んだ。ぴったりと隣に腰を下ろした騎士を驚いた様に見つめているリディアの視線は完璧に無視である。


 どうやら一緒の空間に居座り目を光らせるつもりらしい。


「無粋な騎士もいるもんだ」


 セシルも乗り込んで自分で扉を閉めると御者が馬を促して進み始める。

 揺れる馬車で隣に座っているクライブがあまりにも密着しているので窓際にリディアが身を寄せて窮屈な思いをしているのに気付いていないはずはないが、騎士は腕組みして目の前に座っているセシルを睨んでいる。


「止めてくれる?嫉妬に燃える目で見るの」

「私はリディア様をお護りする騎士です。危険な者を監視するのは当然のことでしょう?」

「ちょっと、危険ってセシルのこと?」

「それ以外に誰がいると?」


 平然と言い放ったクライブにリディアが眉を跳ね上げて反論する。だが騎士は冷たく斬り捨てセシルを危険だと断言した。


「なにそれ!見当違いも甚だしい」

「へえ。甚だしいとか難しい言葉どこで教わったのさ」

「えと……ウルガリスで」

「覚えたての言葉を使ってみたかっただけじゃないの?」

「もう!いいでしょ別に」


 右手を振り上げてセシルの腕を叩こうと身を乗り出したリディアを受け止めて引き寄せ隣に座らせる。クライブの纏う気配がピリッと凍りつくが「騎士殿の隣じゃ狭そうだからね」と笑う。

 護衛騎士として日々鍛錬も怠らないクライブは身長も高くまた身体もがっしりしていて馬車の中にいると圧迫感がある。


「レインとはあまりにも不穏な名前ですね」


 クライブの温度の低い声にリディアがびくりと身体を強張らせ咎めるように騎士を見つめる。それ以上口を開かないで欲しいという願いの籠った瞳を受けてなぜか楽しげにクライブは微笑んだ。


「嘘つきと名高いかの有名なレインとお見受けするが。如何か?」

「クライブ!セシルについての詮索は許さない!」

「ということはリディア様もご存じと取っても構わないんですね?」


 睨むリディアを一瞥して確認してくる。その目には獰猛な輝きが煌めき、まるで舌なめずりをしているかのように笑みを刻む。


「ほらね。騎士っていっても一皮剥けばこんなもんだ。またひとつ学んだね」

「私はただリディア様をお護りしたいだけです」

「どうだか。ちなみにリディはなにも知らないよ」

「では“偽りのレイン”であると認めるのですね?」

「なんでもいいよ。好きに呼べば」


 嫌悪を顕に正面から殺気を纏わせて、ゆっくりと右手を腰へと移動させる。左手で二本あるうちの短い方の鞘を握っている所を見るとこの場で抜剣するつもりらしい。


 こんな狭い中で剣を抜けばリディアにも危険が及ぶと考えないほど愚かではないだろう。


「リディ諸共斬り捨てるつもり?」


 その覚悟が無ければ抜かないはずだ。リディアが青い顔でクライブの左の腰へと視線を動かして悲鳴を飲み込む。


「リディア様、その者は汚らわしい詐欺師です。傍に置くには相応しくありません。どうかこちらへいらしてください」


 顎でさっきまで座っていた場所を指すがリディアが動く気配を見せないのを認めると舌打ちして「仕方がありません」と唸る。そして右腕に力を入れて剣を――その瞬間馬車が大きく揺れて停まった。窓の外を見ればまだ屋敷まで半分も来ていない。


「何事だ?」


 クライブが御者に声をかけるが返答は無い。

 外は静かで何事か起きたとは思えないが、馬車は唐突に停まり御者の応えが無い事が異変を報せている。怪訝そうな顔で「リディア様はここを動かないでください」と言い置いて扉を開け、慎重に辺りを窺いながら外へと騎士は出た。


「どうしたのかな?」


 不安そうに身を寄せてくるリディアの肩を抱いて、王城に沢山の貴人たちが集まっている今夜は特に厳重に騎士団が警戒し巡回も強化してあるはずだから大丈夫だと宥める。それでも身体を震わせて恐がる少女に今日の反省を促した。


「リディ今日みたいな社交場で笑顔を崩しちゃだめだ。困った顔をしているとどんどん突っ込まれて窮地に陥る。あそこの令嬢は世間話もできない世間知らずだと舐められちゃうからね」

「本当のことだもん」

「質問攻めで苦しくなったら、今日やってみせたみたいに相手を褒めて喜ばせ、気分良くさせた後で逆に質問して相手に話させてやったらいい」


 話すのが苦手ならば相手に喋らせればいいのだ。その方が楽で、適当に相槌を打っていれば喜んでべらべらと話してくれる。


「じゃあ無口な人が相手ならどうすればいいの?」

「近くにいる人を巻き込んで会話に参加させればいい」

「そっか」


 話している内に気持ちが解れてテミラーナ家の部屋で時々行われている、セシルとの楽に生きていくためのコツを教わっているような気分になっているのだろう。興味津々の瞳でもっと色々教えて欲しいと訴えている。


「後はそうだな。ああいう場ではやっぱり噂とか悪口が頻繁に交わされるからね。そんな時に参加しなかったらやり玉に挙げられるからリディも一緒にいわなきゃならない」

「えー!人の悪口とかいいたくないよ」

「そう。いったらいったでまた知らない所で、フィルビア侯爵の令嬢が誰それを悪くいっていたとか触れ回られちゃうからね。気を付ける必要がある」

「なにそれ?いっても駄目、いわなくても駄目ならどうすればいいの?」


 解決策が思いつかずにリディアは早々に諦めて答えを要求する。それをもう少し考えてみてと焦らしてから、窓から外を窺うが人影も争っている気配も無い。馬車に他の誰かが近づく様子も無いので首を傾げるが、今はリディアを無駄に恐がらせないようにと笑顔で会話を続ける。


「こういう場合は悪口をいった後で相手を褒めるんだよ。そうすれば悪口より褒めたことの方が強調されるから不快に思われずに済む」

「どういうこと?」

「実際にやってみる?」


 頷くリディアのために模範解答を考えた。


「例えば、リディアは世間知らずで天然だけど可愛いよね」

「うん?それは悪口じゃないよ」


 首を傾げた少女にセシルは苦笑いして「相手がリディだからかな。他に悪口思いつかない」と両手を上げてから次に騎士を使って答えてみる。


「じゃあ、クライブはいけ好かなくて、笑顔が気持ち悪いけど剣の腕は信じられるし頼れるよね」

「あ、なんか確かにちょっと緩和されるかも」


 クスクスと笑い声をたてるリディアに気をよくしてセシルは更に名前を挙げて答えていく。


「ヘレーネはなにを考えてるか解らない嘘つきで、女装趣味のある男だけど立ち居振る舞いは上品だし知的で美人だ」

「ちょっと、ヘレーネは趣味じゃなくて仕方が無く女性の格好してるんだから」

「でもあれ今更止めても習慣や仕草抜けないと思うけどな」

「そこは同情してあげてよ。じゃあわたしもやってみる。ライカは目つき悪くて不愛想だけど意外と格好いいよね」


 それならば、とリディアもライカを使って試してみるが最後の褒め言葉が「格好いい」だったので正直面白くはない。


「あ。格好いいと思ってるんだ。フィリーは臆病者でむっつりだけど将来性はあるよね」

「ちょっと、むっつりはあんまりじゃないかな」


 フィルの悪口にむっつりと入れるとリディアが複雑そうな顔で抗議するが、それは首を振って却下する。


「前科者だからね。紅蓮は大雑把で馬鹿だけど強くて周りを明るくしてくれる」

「ノアールはちょっと残念で純粋すぎるけどとても優しい」

「ちょっと?うそ。かなり残念だよ」

「そんなことないよ。セシルは時々冷たくて捉え所がないけど、わたしにとってかけがえのない大切な友達」


 小さな手がセシルの手を包む。

 顔を覗き込んできたリディアの瞳と視線が合うと指がきゅっと力を入れて握られる。強く掴んだら壊れてしまうのではないかと思うほど柔らかいその手に触れられて、腹の底がそわそわとしてくるのを感じた。


「他の人が嘘つきとか詐欺師っていっても、わたしの知ってるセシルは色んなことを知ってて楽しくて優しい素敵な人だから」

「違うよ、リディ。騎士殿の言う通り、あたしは」

「わたしにとっての真実はわたしの中だけにある。他の誰がなんといおうとセシルはセシルだからね」


 じっと見つめてセシルの返答を待っているリディアに苦笑いを返して「ありがとう」と呟く。

 きっとノアールが全てを知っても変わらなかったように、リディアもそんなことぐらいで嫌いになんかならないよといってくれるのだ。


 信じられる自分に戸惑いながらも、それを前ほど嫌がっていない自分もいた。


「ところでリディの護衛騎士はこんなに長い間戻ってこないほど無能なの?」

「え?そういえば」

「ちょっと様子見てくる。動いちゃダメだよ」

「セシル、待って」


 戸惑っている間に自分の手を引き抜いて、セシルは止めるリディアに笑顔を残して扉を開け外に滑り出た。閉めた扉の窓から不安そうに見下ろしている少女に手を振ってから周りを見回すが、賑やかな王城とは違い住宅街に近い場所は全ての者が舞踏会に参加しているのか、それとも眠っているのかと疑いたくなるぐらい物音ひとつ無かった。


「一体なにが」


 クライブは何処へ行ってしまったのか――。


 クスリと笑う声がして素早くそちらを向いた。御者台の方から微かな気配と息遣いが感じられセシルは眉を寄せてゆっくりと馬車の前へと回り込む。馬が全く動じていないのに気付き首を傾げた。

 異常な状況ならば臆病な馬は落ち着きなく足を踏み鳴らし、首を激しく振り嘶くはず。


「どういう」

「クライブ様なら怪しい人影を追って行かれました」


 御者台に座る男が深く被った帽子の影で笑ってセシルの疑問に答えた。深い緑の制服を着た御者が手綱を弄びながら夜空を見上げる。紫紺の長い髪がその背中で揺れ、細い指が帽子の縁を掴む。


「如何いたしましょうか?このままお嬢様だけ先に送り届けた方がよろしいですか?それともクライブ様をお待ちになりますか?」


 こちらに向けられた顔は月明かりを背にしているからよく見えない。

 セシルは選択を迫られ前者を選ぶことにした。


「リディを、無事に屋敷まで送り届けて」

「かしこまりました。それでは失礼して。ちゃんと後でお迎えに参りますからご安心ください」

「うん。待ってる」


 手綱で軽く打たれ馬が前へと進みだす。

 横を通り過ぎる馬車の窓からリディアが泣きそうな顔でセシルを呼んだ。だから笑顔で大きく手を振り、大丈夫だと伝える。


 馬車は確実にフォルビア家まで彼女を送り届けてくれるから。


「さようなら。リディ」


 だから安心してここで別れられる。

 近くの屋敷の壁と柵の段に腰かけて、ポケットから小さな羊の人形を取り出してそっと両手で握り締める。静かな道でぼんやりと今までのことを思い返してみれば、どれも楽しい物ばかりで胸の奥を切なくさせた。


「ずっとこの日を待ってたのに」


 全ては通り過ぎる風の如く。

 特別な物ではないはずだったのに。


「苦しいよ、ノアール。苦しすぎて死にそうだ」


 こんな思いをするぐらいなら何も知らないままでいた方がよかった。

 幸せも、満たされる事も無くレインとしての人生を歩むことさえできれば他にはなにもいらなかったのに。


 執着も虚しさも、嫌悪も全て捨て去って自由になりたい。


「さよならなんて、数えられないぐらいしてきたのに」


 幾つもの別れを繰り返して慣れているはずなのに、どうしてこんなに辛いのか。胸がいっぱいで、苦しさばかりが押し寄せてくる。口を開けば後悔と泣き言ばかりが零れ、目を閉じればノアールとリディアの顔ばかりが浮かんでくるから。


 夜空を見上げて無数に輝く星を数えた。

 眠れぬ夜はよくレインとそうして地面に寝転がりながら眠気が訪れるまで飽きずにやっていた。その記憶が薄らと遠ざかっている事に気付いて自嘲の笑みを浮かべた。


「びっくりだ。あたしの中でレインとの記憶が希薄になってるなんて」


 きっと一年半は長すぎたのだ。

 その間にセシルの中で今まで感じたことの無い物や、あまりにも眩しい思い出が沢山詰め込まれてしまったから。


「セシル」


 名前を呼んでいるだけなのに甘美な響きを乗せて耳を通り抜け脳を痺れさせる。艶めいた瞳と視線が交われば身体中から一気に力が抜けてしまう。


 声も匂いも恋焦がれたあの眼差しが目の前にある。


「遅いよ。レイン」


 詰る声が震えているのは喜びなのか、それとも怒りなのか。


「可愛い子だったね」


 それが誰のことをいっているのか直ぐに気付いてセシルが瞳に険を込めると父であるレインはふわりと微笑んだ。フォルビア家の御者の制服を着たレインは帽子を取り美しい動作で礼をする。


「お約束通りお迎えに参りました」

「もう、来ないんだと思ってた」

「なんで?大事な一人娘だ。迎えに来ないわけないだろ」


 眉を上げ不思議そうな顔をするとレインはセシルの前に立ち手を差し出した。その白い手が一年半前まで自分にどのように触れ、導き悦びを与えていたのかを瞬く間に思いだし身体が震える。


「できそこないの娘だから捨てられたんだと」

「だからこそ可愛いんだよ。拙い所が愛しいんだ。それとも迎えに来るのが遅くて拗ねてるのか?」


 どうして。

 こんなに苦しい。

 迎えが来るのを心待ちにしていたはずなのに。


「遅すぎたよ。レイン、なにもかも」


 自分の一番の理解者だったレインには今のセシルの気持ちを理解することはできない。

 幸せを与えられ満たされることを知り、執着という名の愛を抱いた愚かな自分をレインとして生きる父が認め赦すはずなど無い。


 足を引っ張る変化は歓迎されない。


「こんなに長く離れるのは初めてだったからね。色々あっただろう。でもそれも全て必要な出来事だ。レインになるための試練だよ」

「レインになための試練だったとしたら、それは失敗も失敗。大失敗だ」

「セシル?」


 レインが小首を傾げて顔を覗き込むようにして近づいてくる。そして差し出した手をそっと頬に滑らせて耳に触れ、優しく後頭部を包み込む。

 よく知った手の感触が髪の間で蠢いてセシルは目を伏せた。


「不思議だね。なにも感じない」


 ノアールの前でレインを強く求めたのはつい最近のことだったのに。実際に傍にいて、触れられているのに昔感じた心地良さはそこには無い。


 それでもここに居続けることは出来ない。

 セシルはレインと共に行かねばならないのだ。


「もう行こう。レイン。根なし草のままでいられるうちに」

「そうしようか」


 細やかな拒絶もレインは笑って受け流し再びセシルに手を差し伸べる。今度はその手を取ろうと動かした掌から零れ落ちたのは——小さな羊の人形。


 身を屈めて拾ったその手を横から掴む者があった。

 繊細な細い手に触れられて感じたのは安堵。


 レインからは感じられなかった物。


「ノアールどうしてここに」

「セシル。行っちゃだめだ」


 眼鏡の奥から注がれる強い眼差しに押されてセシルは小さく息を飲んだ。優しくも強い力でぎゅっと握られ鳩尾の辺りにぽっと熱が生まれる。


 冷静な部分を揺さぶられセシルが酷く動揺しているのを認めノアールがもう一度「行っちゃだめだ」と繰り返した。

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