第16話 できそこない


 寮の部屋に入り扉を閉め、窓際にある机へと向かう。

 二人部屋であるこの部屋には四カ月前に入学してきた一年生が暮らしている。更にその六カ月前にはフィルが女子としてこの部屋で過ごした期間が少しだけあったのをちらりと思い出す。


 セシルは鞄を置いて学園指定のローブを脱ぐと机の椅子の背もたれに無造作に置き、壁に打ち付けられたフックに掛けていた濃茶の外套を羽織る。部屋を出ようと扉を向いたその視線の端に机の上に乗せられた小さな羊の人形が映った。


 手を伸ばして触れると白い羊毛がふわふわとした感触を指に伝え、同時にあの日抱いた思いを新たに湧き上がらせる。


「あの時が初めてだったんだ」


 返品不可だと言い放ったリディアに押し付けられたのはただの商品では無かった。

 誰かとお揃いの物を持つということと、贈り物をされたという状況がセシルの胸を激しく乱したのはノアールがいった幸福感だったのだろう。


 未知の感情は恐怖以外の何物でもない。


 あの子の傍にいたら自分が自分で無くなってしまうという危機感で一杯になったセシルはリディアの一瞬の隙をついて逃げ出した。ほんの数秒でもいいから離れて冷静になれる時間が欲しかったのだ。


 もし落ち着かなければ船に乗らずに去ろうとまで考えて。


 本気で逃げればそれは可能だったが、結局自分はディアモンドに戻ることを選んだ。既に執着していた自分はずっと前から負けていたのだなと苦笑する。


 リディアを突き放して嫌われれば元の自分に戻れると期待して傷つけたのに、今度は幸せを手放してしまう苦しさと寂しさに苛まれ泥沼に陥った。

 仲直りをした後で込み上げてくる愛しさも、他にあったはずのリディアの人生の分岐路で助言ができずにヘレーネにまんまと選ばされてしまったことに対する屈辱と後悔も全て執着が生みだした結果だ。


 ドライノスの情と感謝の言葉はセシルの満たされない部分を十分に潤してくれた。

 自分のことも他人のこともあまり頓着しない彼女が熱心に教え、諭してくれたのは知識と技術だけでなかったのだ。


 ノアールは普段はまったく頼りがいなどない癖にセシルが弱っている時に傍にいて、全てを知っても変わらずに友人だといってくれた。暗闇に沈む自分に手を伸ばして、大切な物に名前を付けて。


 血に惑わされたのではない彼らの想いはセシルを確かに幸福で満たしてくれた。

 満たされれば満たされるほど離れがたくなり、失うことへの恐怖が増していく。レインとして生きていくためには一歩引いて冷静に判断し行動できなければならないのに。


 それができなくなっているという事実がどれほどセシルを苦しめたかレイン以外には解らないのだ。


 変わって行く恐怖。


 これがずっとセシルを怯えさせ、焦燥感に陥らせていた物の正体だった。


「あたしはやっぱりできそこないだ」


 窓の向こうから鐘がなっているのが聞こえ、セシルは気を取り直して羊の頭を一撫でしてから掴み上げ外套のポケットに入れると扉へと向かう。

 授業が終わって直ぐに寮へと戻る生徒は少ない。殆どの女子が学園内でお喋りに興じるか、男子生徒と共に街へと遊びに行ったりする。


 セシルは冷え切った寮の階段を下りて玄関から外へと出ると、中庭へと延びる階段を二段飛ばしで駆け上る。中庭を囲む木々の向こうにノアールの大好きな図書塔が見えてきた。その奥にある本校舎とこの角度からは見えない北校舎。そして魔法陣のある迫り出した部分と校門が薄青い空にくっきりと映える。


 来たくて来たわけではないがこの魔法学園フリザードは初めてたったひとりで長い時間を過ごした場所だった。


「時間切れだ」


 上りきった先にいたのはショートヘアのバーネット。

 そしてなぜか解らないが一緒にベルナールがいた。


「変わった組み合わせだね」

「私はいつものように貴女を待ってただけです」

「おれだって」

「バーネットはいつものことだから別に今更疑問は抱かないけど、あんたはどうしてさ?」

「お前レインなんだろ?」


 ベルナールの瞳にチラリと燃える欲望の色はよく知っている。少年がねっとりと絡みつく視線をセシルの顔から足の先に掛けてまで動かしてごくりと唾液を飲み下す。


「成程。桃色の欲望の行く先をリディからあたしに変えたってわけか」

「ちょっと!変態!これだから男子は!」


 顔を真っ赤にしてバーネットがベルナールを押し退け、セシルの前に立ち両手を広げて睨みつける。自分も物欲しそうな目でセシルを見ている癖に少年を嫌悪して変態呼ばわりとは。


「男はみんな変態だ!綺麗な顔した奴も一皮剥けば同じなんだよ!」

「最低!近づかないでよ!」

「お前みたいな子どもに用は無い。おれはレインに用があるんだよ」

「だめ!絶対ダメ!」

「そこどけって!」

「煩い!変態!」


 二人は額を合わせて睨み合うと子どもの喧嘩並みの言葉の応酬を繰り返す。

 なんなら寂しい者同士で仲良くすればいいものを。


「あのさ。申し訳ないんだけどあたし急いでるから」

「え!?」

「はあ?」


 一斉にセシルを振り返る顔は置いて行かれそうになっている子どものような表情をしていて堪らず吹き出した。「なんで笑うんですか!?」と涙目で訴えるバーネットの頭を撫でてから「なんでもなにも」と声を上げて笑う。


「同じ顔してこっち見るから。案外あんたたちお似合いかもしれないよ」

「嫌です!こんな変態」

「お、おれだって、こんなガキ」


 ベルナールの方はちらりとバーネットの横顔を見て、剥き出しの耳から首筋にかけての滑らかな曲線に目を奪われた後で慌てて拒絶の言葉を口にした。


「あらら。意外と脈ありか。ごめんね、ベルナール。安売りしないってノアールと約束したからさ。諦めてよ」

「またノアールかよ!あの野郎。興味ないとかいいながら、やっぱりただの独り占めだ!畜生!いいよな、見てくれの良い奴は!」

「あんたも見た目は普通なんだから、中身と言動をちょっと慎めばいいのに」

「今更取り繕った所でなんも変わんねえよ~」

「かもね」


 がっくりと肩を落とすベルナールの肩をポンと叩いてセシルは校門へと向かう。その後を小さな足音が追いすがってくるので足を止めて振り返る。


 バーネットが涙を浮かべたまま少し離れた場所で立ち止まった。


「急いでるから手短にお願い」

「また、リディアの所ですか」


 嫉妬に燃える瞳を眺めながら「そうだよ」と答えるとバーネットが唇を歪めて「なんで」と呟く。その言葉の後に続くのは「振り向いてくれないの」だろうか。

 それとも「リディアを選ぶの」か。


 理由を問われても上手く答えられないから、バーネットの唇が言葉を吐きだす前にセシルが先手を打つ。


「バーネット、時間切れなんだ。あたしがここにいられる時間はもう僅かしかない。だからさっさと忘れて勉強に集中するなり、他に目を向けるなりしないと自分が困るよ」

「辞めるんですか?」


 責めるような口調に苦笑いして「授業料が払えなくて追い出される」と理由を言えば「それなら私が」なんとかすると返してくる。


「いいんだ。魔法にも勉強にも興味ないから。無理やり入れられてたからね。やっと自由になれるよ」

「そんな、いや。いやです」

「いつかは諦めるっていったのはバーネットだ。それが今だよ」

「そんなの耐えられない!」


 静かに涙を零すバーネットを慰めるのはセシルの役割ではない。

 ここでしっかり気持ちを切ってやらなければ淡い期待を胸にズルズルと苦しむことになる。


「あんたの気持ちには応えられない。これからは声をかけられてもあたしは無視するから」


 そうでもしないとずっと付き纏って、振り向きもしない相手を恋焦がれなければならない。きっと傷つき酷く泣くことになるだろうが、泣いたことの無いセシルにはその辛さは想像するしかないが。


「じゃあね。バーネット」

「いや。お願い」


 懇願されてもセシルの心にはなにも刻まない。ベルナールが心配そうに成り行きを見守っているのを確認して、この後は欲望を隠さない正直な少年に任せることにする。


「さよなら」


 一言吐き捨てセシルは背を向け魔方陣へと向かった。悲鳴のような声で名を呼ばれたが、それでも漣ひとつの感情の乱れが無い事に安堵し、同時にやはり自分はレインなのだと悲しくなる。


 前はレインとして生きる事に疑問も不安も無かったのに。

 悲しいと思う自分がやはり前とは違うのだと突き付けてくるが、そう思い悩む日々もここを離れれば消えてなくなるのだと固く信じて転移の魔法に身を委ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る