第14話 大切なこと
「この世に絶対は有り得ないんだよね?」
さっきセシル自身がいった言葉だ。
なにをいうつもりだと少女が胡乱な目で見上げてくるので笑ってやった。
精一杯自信のあるような顔を必死で作って。
「だったらレインの血が必ずしも相手を魅了するとは限らないだろ?セシルだってこのディアモンドに長く居たら、心の底から好きだって思える相手に出会えるかもしれない」
”かもしれない”じゃなくてそうであってほしい。
その相手に自分はなれないけれど、
「放浪の人生を生きるレインの生き方を選ばなくてもセシルらしく生きていけるかもしれないじゃないか。レインは自由なんだろ?だったらセシルが違う人生を生きたいって思えばそれは可能なんじゃないの?」
「なにをいうのかと思ったら。あたしに普通の人間の暮らしをしろだって?」
ははっと笑ってセシルが首を横に振り、できるはずがないとその顔が語っていた。
「ノアールは不幸になりたいの?レインがいる所には、どんどん不幸が押し寄せてくるよ」
「僕たちが仲良くなってから不幸なことなんてひとつも起きてない」
忘れているのなら思い出させなくてはいけない。
ノアールは渋面をしたセシルの瞳を覗き込む。
人を惑わすといわれるその琥珀の瞳を。
「リディアが救われて、僕も故郷を好きになれたし、兄と父と初めて同じ目標を見つめて進めるようになった。セシルがいつも近くで助言をしてくれたり、その奔放さと閃きで最悪の場面を回避してくれたからリディアも僕も笑っていられるんだよ」
「あたしはなにもしてない。ただ気紛れに面白がってただけで」
「そうだね。セシルはそうだったかもしれないけど」
他人と付き合うことが面倒だったノアールががこんな深く関わりたいと思うようになれたのは紛れもなくセシルの影響だ。
「僕が変われたのはセシルのお陰だ。セシルがいてくれて良かったと心から思ってるよ」
言葉には力がある。
心をこめて思いを口にすれば伝わる。
「それにレインに纏わる色んな昔話を聞いたけど、僕のセシルに対する気持ちは変わらなかった。そりゃ驚いたし受け入れがたいことばかりだったけど、それが今のセシルを形成してきた要素なんだとしたら否定できないし」
「おかしいよ。なんで」
受け入れられるのだと驚き、疑い、そして揺れている。
「嫌いにならないのか?って思ってるんだとしたら、セシルはまだまだ人の全てを知らないんだよ」
「ノアールよりはよく知ってる」
「でも僕のことよく知らないだろ?これだけ近くにいるのに、友達なのに。セシルは人にとって肝心で大切な物を知らない」
「愛とかいわないでよね」
「いわないよ。恥ずかしい」
「じゃあ、なに?」
「不幸とは反対の物。そして笑顔の向こうにある物」
セシルたちは愛情を執着と呼ぶ。
言葉を変えなければ素直にそれを心の中に収めておくことができないからだろう。明確な名前をつけてしまうのが恐いのかもしれない。
「なぞなぞのつもり?」
「セシルはお父さんをずっと想い続けるの?」
「ちょっと、話しをずらさないでくれる」
「いいから答えて」
「あたしの目標であり、一番の理解者だから。いつか独り立ちしてもあたしはずっとレインを追い続けて生きていくしかない」
「独り立ちか、そうか。その時はやっぱりセシルも悲しくて泣けるかもしれないね」
「はあ?あたしが泣く?」
「恩返しにセシルに泣き方を教えようかと思ってさ」
「いいよ!そんなのいらない!必要ない!」
「人は泣くことで沢山のことを乗り越えるんだ。セシルにも幸せになるために色んなことを乗り越えてもらいたいから」
「余計なお世話だよ」
「いいからほら。想像して。お父さんと別れる瞬間を」
「ちょっと!ノアールって頭いいのかと思ってたけど、完全にイカレてるよね?なんでそうなるのさ」
「それとも僕たちと別れる時のことを想像する?ちょっとは執着してくれてるんだよね?」
「もう、必要ないっていってんのに!あたしは泣かなくても乗り越えていけるよ!」
「本気でそう思ってる?」
「思ってるけど?」
歓楽街で女と抱き合っている所を声かけた時からずっとセシルは目に力を入れて泣くのを我慢しているように見えた。
なにがあったのか教えてはくれなかったが、自分の中に渦巻く感情を抑えきれずにどこかにぶつけたくて仕方が無くて街で偶々知り合った女に吐き出そうとしていた。消化できない感情を言葉では無く行為で。
いつものように振る舞っているつもりだろうが、セシルはリディアと学園の中庭で揉めた時と同じく激しく取り乱しているのが解った。
だから誰にも邪魔されない場所でゆっくり話さなければならないとここへ連れてきたのだ。
「見ず知らずの女の人にぶつけるんじゃなくて少しは僕を頼ってくれてもいいのに」
「じゃあ代わりにノアールがあたしの相手をしてくれるの?」
「話相手ならいくらでもするよ。僕たちは恋人じゃない。友達だ」
「どうして。レインがいてくれれば全て受け止めてくれるのに。忘れさせてくれるのに。娼婦も駄目、ノアールも代わりに慰めてくれないなら、どうしたらいいのさっ」
ベッドの上で膝を抱え持て余した感情と昂ぶりを鎮める方法を取り上げられたセシルが震えながら父を求める。
「ラティリスで迷う僕にセシルは助けて欲しいっていえばいいって教えてくれた。ひとりでは答えが見つからなくても三人なら解決策が見つかるって。今リディアはいないけど、僕が一緒に探すよ」
「欲しいのは温もりだけだ。一瞬の快楽だよ」
「できないよ。それは」
「じゃあ、放っておいて!」
「それもできない」
「なんで!」
「友達が苦しんでるのに放っておけないし、寂しいっていえずに震えてるのに独りにはできないよ」
「寂しくなんか――!」
「そんなに全身で寂しくて仕方が無いっていってるのに?しょうがないな」
ノアールはため息をついて身を屈めセシルの身体を抱き締めた。彼女が望むようなことはしてあげられないが、温もりに包まれることで安心を与えることができればいいなと強く引き寄せる。
「いつでもお父さんがいてくれるとは限らないんだから、自分の気持ちを静める方法を考えないと。行きずりの人を巻き込んで自分の技術を安売りする以外の方法でね」
「自分で自分を慰めるのは虚しいけど?」
「ちょっと、他の方法で!」
「……なにを想像したのさ?」
くすりと笑う声に「いいから!」と叱る。
「温かいや」
額を胸に擦りつけてくるセシルの髪をそっと撫でる。
大人びた顔をする少女が今では小さな子どものように温もりを求めてくるのが愛しく思えた。柔らかい少し癖毛の髪に触れながら「そんなに体温高い方じゃないんだけど」と苦笑する。
「本当にあたしを求めてくれないのが残念だよ」
「僕じゃ満足できない癖に」
「……だね」
素直に認めてセシルがそっとノアールの服を握る。しがみ付いてくるその仕草にはあざとさも媚びも無く、それが無意識の物だったので左手で背中を優しく叩いた。母親が幼子をあやす様に。
ゆっくり。
「ノアール」
「なに?」
「寂しくて、辛いよ」
「うん」
漸く認めて吐露した物をただ短い言葉で受け止める。安心したのかセシルはそのまま囁くような声で続けた。
「最近あたしの中で感じたこと無い感情が湧き起こることがあるんだ」
「セシルたちがいう執着と違うの?」
「違う」
はっきりと断言した後で「解らないんだ」と弱々しく呟く。執着とは違う初めて味わう感情はセシルにとって未知の物で、どうしていいのか解らず途方に暮れるしかないのだろう。
「それに近い感情は、恐怖だと思う」
「恐怖か。セシルはなにが恐いの?」
「自由を奪われること。それからレインがいなくなること」
「喪失から生まれる恐怖か」
困惑しながらセシルが導き出した答えを元にノアールは思考を働かせる。
普通は自分に危険が及ぶことや、死ぬこと、人を傷つけることや裏切られること、目に見えない物に対する生理的な恐怖等が挙げられるだろう。
だがセシルの恐れていることは自由という権利を失うことと、一番の理解者を失うことだった。
ラティリスでフィリエスから剣を向けられた時も恐がらず更に兄の怒りを煽るようなことをした。セシルには死への恐怖感は全く無く、死を選ぶことも自由に通じるのかもしれない。
失うことに恐怖を感じるセシルの中で生まれた、それに近い感情とはなにか。
「違う」
本能的にセシルは人を愛すること、信じることを恐れているはずだ。
そうやって生きろと教えられてきた。執着は不幸になる。
それは相手がではなくセシルなのだとしたら。
勝ち負けや損得で判断する生き方をしなくては苦しいのだ。
割り切ってしまえればその苦しみからは逃れられる。
そうやって自分を護ってきた。
「そうか。セシルは感じてたんだな」
「なにをさ?」
「幸福感」
「────!!」
急に身を硬くしてノアールの腕から逃れようと身を捩るセシルの反応に、自分の推察が外れていないと自信を持つ。
初めてレインからではなく他人から齎された幸福感。
これがセシルを動揺させ、そして恐れさせる原因。
泣くことは教えられなくても、幸せについてはもう彼女自身で感じ取っていたのだ。
「嫌だっ!違う!」
「違わないから。そうやって取り乱してるのが証拠だよ。セシルは確かに幸せだと感じていたんだ」
「放してよ!そんなんじゃないんだ!あたしはレインなんだから!」
悲痛な声を上げてセシルは必死に否定する。そして逃れられない腕に苛立ち足を使ってノアールの腹を押した。
さすがに緩んだ手から這い出しベッドの上を入口へ向かって進むが、立っているノアールの方が動くのは速い。ドアに背を当てて「落ち着いてセシル」と呼びかければ少女は悔しそうに顔を歪めて床に座った。
「受け入れた方がいい。どんなに嫌がってもその想いはセシルの中に一生残るよ。だから認めた方がずっと楽になる」
「そんな」
愕然としたセシルの揺れ動く瞳は決断を迫られ、行く先を決められずに迷っている。
「大丈夫。幸せだと感じることは罪じゃない。それともお父さんがそれを赦さない?」
記憶を辿っているのかぽかんと口を開いて、ぼんやりとした瞳を虚空に彷徨わせていた。
そしてたった一言「解らない」と零す。
記憶力がいいセシルが解らないということは幸せについて父親が言及したことは無いのだ。
つまり制約は無い。
ほっとしてノアールは笑うと「じゃあ大丈夫だね。怒られる事も、責められることも無いよ」と励まして受け入れることを促す。
「だって。レインだってあたしがそんな気持ちを抱くなんて解らなかったんだとしたら?」
「それは教えてくれなかったお父さんが悪いんだ。だからセシルは悪くない」
「なにそれ」
唇が笑みを浮かべてセシルは瞳を細めるといつもの口調で応えた。戸惑いながらも彼女は自分の気持ちの名前を受け入れたようだった。
そして最後に「ノアール、恐いよ」と呟いたので隣に座って肩を抱いた。
「大丈夫。落ち着くまで傍にいるから」
肩に乗せられた頭が小さく頷いたのを感じながらゆっくりと息を吐き出す。仕事を放り出したことをレットソムに叱責されるのを覚悟して落ち込みそうになるのをぐっと堪えた。
今はセシルの傍にいるのがなによりも大切なことなのだと解っていたから。
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