第13話 平行線



「あたしたちを“騙り”とか“詐欺師”とかみんなはいうけど、騙しているつもりなんかこれっぽっちもないんだ」


 信じてもらえないだろうけど、とセシルがやはり感情の無い笑顔を浮かべる。その瞳は枕元に置かれた洋灯ランタンの柔らかな火を受けてキラキラと美しく輝く。拭いきれていない女の口紅が唇の端についているのを眺めてノアールは「信じるよ」と囁いた。


「親愛の証に大切なレインの名を捧げ、相手の籍に入るんだ。その間は本当にその人だけを見つめ喜ばせる事を一番に考えて過ごす。でもね。みんな信じないんだ。いつかは裏切られ、いつかは捨てられるぞって。本人はレインに夢中だから、周りの人たちが凄い形相で忠告してあたし達に嫌がらせをしてくる。それでもあたし達はされるがまま、いわれるがまま」


 抵抗はしないのだと続けた。


「確かにあたし達は執着をしない。それでも名前を贈る相手にはそれなりに好意を抱いてるよ。誰でもいいわけじゃないし、簡単に捧げたりもしない」


 また口元を緩めて微笑むとノアールの色違いの髪に手を伸ばして掬い取りきゅっと握り締めた。


「これだけの状況が揃ってるのにあたしを欲しがらないなんて、本当に自信失くす」


 大仰に肩を竦めてセシルは掴んでいた髪を優しく引っ張る。そして指に絡め感触を確かめるようにしてからそっと放した。


「セシルが魅力的なのは確かだから、そこは自信喪失する必要ない」


 ノアールの心からの言葉に友人はゆるゆると頭を振る。


「あたしはできそこないなんだってレインがいうんだ。だからなのかもしれない。リディやノアールに執着するのも、ノアールがあたしを欲しがらないのも」

「欲しい、欲しくない、の二択しかないのはちょっとおかしいよ」


 言動は突飛でいつもは柔軟な考え方をするのに、セシルは変な部分で極論にすぎる。まるでそう思い込もうとするかのように頑迷に。


「今までみんな問答無用で押し倒してきたから、それが正しいと思ってたけどね。人間の性欲とか支配欲っていうのは強いから、そのための技術を特に磨いてきたんだけど。どう?ノアール試してみる気ない?」

「だからっ。どうしてそうなるの」


 蠱惑的な顔を近づけてくるので、ノアールは必死で首を振る。セシルが「だって」と小首を傾げて苦笑した。


「執着してる人とするのと、今までの人との経験とどこか違うのかもしれないと思ってさ」


 さらっと答えた内容に彼女が重ねてきた相手との行為の間に好意の一欠けらも無かったのかもしれないと思い至る。


「セシルは今まで好きな人とかと、その」


 直接的な言葉を口にすることは躊躇われて口籠ると、セシルは大人の女が初心な子どもを見て浮かべるような笑顔で頷く。


「ないよ。そこに特別な感情なんか無くても繋がれるから」

「えっと、なんか。そうなんだ」

「そうだよ。あたしとノアールじゃ住む世界が全く違うんだから。いい?あたし達は金にも執着しない。金なんか無くても生きていける。必要になったら身体を使ってその見返りを貰い、旅が疲れたら名前を捨てて、養ってもらう。そうやって生きてきた。みんな優しいから手を差し伸べてくれる」


 文明社会で金に執着しない生き方ができるというのは誇るべきことか、それとも時代に逆行していると蔑まれることか。


 みんなが優しいから手を差し伸べてくれるわけでは無いことをセシルは知っている。レインの技術や知識を得ようという独占欲。そしてそれ以上にその身に備わる人を惹きつけて止まない、呪われたかのような血に惑わされた者の欲望からだと。


 身体を差し出し持てる技全てを使い満足させる代わりに、相手の金や家屋敷で衣食住を保証してもらう。

 それは対等な物に聞こえるが、相手がレインに執着した時点で既に対等ではない。


「セシルはいつからそんな生活をしてたの?」

「生活なら生まれてからずっと。肉体的な奉仕に関する手解きは五歳くらいから教えてもらった」

「そんなに小さい頃から!?」

「学ぶことは早ければ早い方がいいでしょ」


 信じられないにノアールは頭の芯がぼうっとするのを感じた。セシルが声を立てて小さく笑うのを聞きながら徐々に現実へと戻ってくる。


「だから穢れてるっていってるのに。あたし達レインは親からその技術と知識を教えられる。文字通り手取り足取りね」


 嫌悪感も無くただの事実として語られるその言葉には親と子の関係からは逸脱した姿が見えた。自由を得るために人間の欲望を満たす技術を身につけ、更にそれを幼い子に実際にやって見せ覚えさせるとは——とてもまともな倫理観ではない。

 信じたくなくてノアールは慎重に言葉を探すが、結局口から出てきたのは率直な確認の言葉だった。


「……それって、親が子に手を出すってこと?」

「背徳的?あたし達は元々近親者で婚姻をして子どもを成してきたから、そういう所はあんまり気にならない。それに嫌じゃなくて、寧ろレインに手解きを受けるのは喜んでたよ。気持ちよかったしね。寒ければ肌を合わせて、眠れぬ夜にはその腕に抱き締めてもらう。どうしようもない疼きや寂しさも全て、蕩けて無くなるように」


 琥珀の瞳がまたここではない遠くを見つめている。

 慕うように向けられたその目が求めているのはセシルの父であるレインなのだ。


 背中が冷えてノアールは力なく床に座り込む。

 その気配に気づいてセシルが見下ろして薄ら寒い笑みで語る。


「身体に悦びと経験が増えていくたび、それを使って大人を悦ばせる技術が伸びる。繋がらなくても相手を満足させられることを覚えればそれだけ楽になるし、自信にもなるから夢中でレインの技術を学ぼうとしたけど。あたしはまだまだ足元にも及ばない」

「セシル。もう、いいよ。辛すぎる」


 赤裸々に自分の事を話すのはノアールに嫌われたいからだ。

 拒絶され、軽蔑の目を向けられたいと思っているからだろう。

 セシルが真に執着している相手はノアールでもリディアでもない。


「ノアールもあたしと寝てみれば解る。レインの技術の素晴らしさに。そしてどれほどの人間とあたしが交わってきたのか」


 冷たい両手で頬を包まれノアールは近づいてくるセシルの唇を拒めなかった。柔らかな感触と吸い付いてくるような弾力は、デュランタの街で軽く触れただけの物とは比べ物にならない程に濃密だ。

 ただ黙ってセシルが満足するまで待とうと目を伏せた先に拭いそこねた赤い色が見えた。その赤に親指で触れると弾かれたように少女は離れ、そして瞬きをしてからノアールをまじまじと眺める。


 その隙にノアールは軽く睨んで立ち上がった。


「狡いよ。セシルは」

「狡い?」

「そうだよ。受け入れても、拒んでもセシルが喜ぶだけだ。だったら僕にできるのは無抵抗しかない」


 止めてくれと言葉にしても、突き飛ばして拒んでもそれは彼女の望みを叶えることになる。そしてその行為を受け入れて流されてしまえば、多くの人間とベッドを共にしたのだという事実を否が応でも突き付けられるだろう。。


「あたしはノアールの子どもなら産んでもいいと思ってる。その子はきっと一番美しいレインとして名を馳せることになるだろうね」

「セシル。そうはならないよ。僕はセシルとはそういう関係にならない。絶対に」

「この世に絶対は有り得ない」

「本当に執着しているのは僕でもリディアでもないだろ?」


 セシルは途端に無表情になり俯く。

 考えるのを止めたかのように視線は床を見つめ、呼吸すら忘れたのかピクリとも動かない。


「親と子が関係を結ぶのはレインの中では背徳的じゃないんだよね?じゃあ親に対する特別な感情だって倫理的に問題ないんじゃないの?」


 ノアールの中では完全に考えられないことだが、彼らの中では通用する。

 だからセシルが父親を男として求めても普通では受け入れられないが可能なのだろう。


 だがセシルは唇を歪めて「できないんだ」と呟く。


「レイン同士で子どもを作ることは、血を濃くする行為になる。つまり婚姻を結ぶことはできないし、そこに特別な感情を持つことも許されない」


 自由を謳い、背徳行為も罪では無く、倫理観も独自の物をもっているのに——どうしてそこは許されないのだ。


「レインは増えすぎてはいけないんだ。だから子どもはひとりだけって決められてる。もしなにかしらの原因で子どもが命を落とした時は後腐れの無い相手を見つけて子を作る。あたしは女だから男に種だけ貰えばいいけど、レインが男の場合は女が出産するまで傍にいなきゃいけない。しかも女から子どもを譲り受けること自体が難しいからね」

「その時は、どうするの?」

「まず穏便に済むことは無い。レインの子を腹に宿すとその子が成長していく段階から、もう夢中になるらしいんだ。実際二人の子を産んだ後でレインの子を妊娠した女が今までとは違う愛しさだっていってたっていうから」


 セシルは右足をベッドへと持ち上げ、膝に腕を乗せた。一呼吸の間、目を伏せた後でゆっくりと口を開く。


「あたしの母親はクラウディアって名前の娼婦だった。あたしが腹にいるせいで仕事ができない母親をレインが働いて養う。この時ばかりは普通の旦那のように女のいいなりになって齷齪あくせく働くんだって」


 想像しただけでも笑えると口の端を上げて形だけの笑みを浮かべる。


「ただでさえ自分の腹を痛めて産むのにレインの血を受け継いだ赤ん坊の可愛さといったらその比じゃない。ドロドロになって愛した男のレインより子どもを選んで手放すことを拒むんだ。半狂乱になって、刃傷沙汰も多いんだよ」


 淡々と語られる言葉の数々はやはりノアールが知る現実とは違い、暗く異常で激しい物だった。執着した方が負けとだというレインの法則によれば、母親が子どもに深い愛情を抱いた瞬間から女の負けは決まっていたのだろうか。


「レインはクラウディアを説得しようとしたけど、それがどんなに無意味なことなのか知ってた。母親が喜んで差し出すわけなど無いし、懇願してそれが叶うとも思ってなかった。後腐れの無い相手を選ぶのには理由があって、そういう女が殺されたところで痴情の縺れが原因だと簡単に周りの人間が判断してくれるから」


 考えたくはない結論に辿り着きノアールは目の前が暗くなった気がした。ちらりとセシルがこちらへ視線をやって答えを促すように頷く。


「もしかして、殺すの?子どもを産んでくれた女性を」


 望んだ正解を貰いセシルは微かに微笑んだ。そこには罪悪感など無く、それは正しいことであると信じて疑わない目をしていた。

 どんな理由があっても人を殺害することを正しいと言い切ることはできない。不慮の事故や襲われた際に抵抗して誤ってという事態は正当化できるとしても、母親から子を取り上げる手段として殺めるということを選択するのは行き過ぎた行為だ。


「そんなのおかしいよ」

「そう?レインが同じ場所に長く居られない理由は教えたと思うけどね。結局母親の手元に残された子どもはその血の所為で母親から過剰な愛情を受け、周囲の人を惑わし、昔話の村人たちのように自由と権利を奪われたまま人々を堕落させていく。それが解っていて捨て置く方がよっぽど酷いと思う」

「それでも殺すなんて」

「本当に穢れ無き人間だよね。ノアールは」


 失笑したセシルの琥珀の瞳に嘲りと羨望が揺らめいて、吐息のような「いい?」という確認の声が諭すように宥めるように続ける。


「人はみな愚かで欲深い生き物なんだ。力と金のある者は持たざる者から搾取するために権力を行使し、従わない者には罰を与える。利用して不要になれば斬り捨てて。下々の命なんて所詮軽く扱われる運命。だからレインは力にも金にも執着はしない。金があるならばらまいて、権力なんか無くても自分の能力だけで生きていく。綺麗ごといってるけどノアールだってそうやってラティリスで生きてきたくせに」


 確かにノアールは後継者問題で命を狙われ続けてきた。

 自分自身は手を汚すことはしなくても、兄であるフィリエスが揮う剣に襲撃者たちの命は奪われていた。護ってくれた兄に対する感謝はあっても、殺害された者達への憐れみや謝罪など考えたことも無い。結果的にセシルのいうように下々の命を軽く扱っているといえなくも無かった。


 自分は犠牲を払わず逃げ、嫌な仕事を兄に押し付けたノアールが命は尊い物なのだと口にしても白々しく聞こえるだろう。


 それこそ偽善だ。


 話せば話す程、聞けば聞くほどセシルを納得も説得もさせることなどできないのだと思い知る。自分だって穢れ無き人間とは程遠く、不完全で汚い一面も狡い所もあるのに。

 育ってきた環境が違うだけで同じ人間なのだと伝えてもきっと届かないのだ。


 それでもノアールは己を奮い立たせた。

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