第12話 昔々のお話


 そこは深い森の更に奥深くにある渓谷の小さな集落だった。

 村には五十人ほどの住民が暮らし、外から訪れる者も、道すらない場所。渓谷の間を流れる美しい川と、豊かな森が齎す恵みで彼らはなに不自由なく暮らしていた。


 そんな静かな生活に突然訪れた変化は、彼らの想像を超えた恐ろしい事件へと発展する。


 森の外に広がる土地には王がいて、自分の領地が他の国よりも狭いことを僻み「欲しい物は奪えばよいのだ」と他国に侵攻して行った。国が国として成り立ち始めたばかりで、どの国の王もまさか攻め入ってくるとは思っていなかったのであっという間に攻略されてしまった。


 抵抗という抵抗もできずにいる近くの国をどんどん手に入れていくと驚くほどの速さで領土を拡大し、それでも満足できずに更に侵略の手を伸ばしていく。

 いくら食べても満足できない胃袋の壊れた豚のように意地汚く、そして執拗に手を伸ばし欲しい物を手に入れていく王を誰も止めることはできなかった。


 近くの森を開墾して未開の地を我が者にせよと国民をまるで奴隷のように働かせ、バタバタと倒れても次から次へと民を送り込む。

 その間も他国への進軍は止むことなく続き若者は戦へ、戦えぬ者は開拓中の森へ。不満は積もるが王に刃向えば即、死を言い渡される。


 森の開拓を真ん中程まで進めた頃には森のこちら側にはもう侵略する土地が無くなってしまっていた。

 それでも満たされない王は森の奥の渓谷の先にある新しい土地へと目を向けて、早速準備を整え森を進んで行った。まさかその渓谷の傍に集落があるとは思っていなかった王は、そこに住む美しく怪しい村人たちを「この土地は私の物だ。今まで誰の断りを貰って住んでいたのだ」と激しく叱責した。


「これからは私の物となり誠心誠意尽くすのだ」


 そうして王はたまたま目についた女を近くの家に連れ込むと、嫌がる女を強引に組み敷いて凌辱した。

 村の男達は叫び、銛や斧を手に反抗したが戦いになれた戦士に敵うはずもない。血が流れ、そして戦士たちの相手をさせられた女の中には幼い子どもの姿もあった。彼らの子は少年も少女のように美しく、怪しげな色香があったので見境ない男達の慰み者として利用された。


 怒号と悲鳴と断末魔の声が一晩中集落に響き渡り、平和で穏やかな生活は突然終わりを告げたのだ。


 早朝の渓谷に鋭い鳥の鳴き声が木霊しても、王とその兵隊たちが動き出すことは無かった。そして太陽が昇り斬り捨てられた男達の死体を強く照りつけても集落にはすすり泣く声と、激しく喘ぐ王と兵隊の声がそこかしこから聞こえてくるばかり。一番星が輝いて月が輝きを増しても、やはり弾んだ息遣いが漏れてくるだけだった。


 死体が腐敗し蠅がたかって異臭を発しても、誰も弔おうともしない。


 いや。できなかったのだ。


 王と兵隊たちに一日中貪るように食らいつかれては、もはや抵抗も泣くことさえもできずにただ黙って耐えるしかなかったのだから。


 それは一週間続き、そして王と兵隊は新しい土地へと向かうことを忘れ彼らに溺れた。たった一時すら傍から離れることができず、縛りつけ己の言いなりにさせようと必死だった。


 領土拡大のことしか頭になかった王の中に初めて芽生えた人間に対しての独占欲。

 目の前の女がいれば領土など些細なことにしか感じられない。女の琥珀色の瞳が自分以外を映すなど考えらず、想像するだけで嫉妬し気が狂いそうになる。


「お前は私の物だ」


 言い含めるように何度も身体を重ねながら耳元で囁き、時には激しく命じ、胸に口づけながら懇願した。

 女は一度もその想いに応えることは無かったが、王はそれでもいいと抱き締めては譫言のように「私の物だ」と繰り返す。


「お前が私を誘惑するからいけないのだ」


 ある日王がそういって瞳を覗き込んだ。女が自分は誘惑などしていないと激しく拒絶したが、その目が誘っているのだと断言した。そしてお前の匂いが、お前の身体が誘うのだからお前が悪いのだと責め立てた。


 女は知らなかった。


 彼らはずっと閉ざされた集落の中で外からの血を入れずに暮らしてきた。

 五十人ほどの住民はみな親戚というよりも家族程に血が濃く、みな同じような容姿をしている。何度も重ねられた濃い血の影響か、美しく怪しげな魅力を持つ者として特化してしまっていたのだ。

 彼らは自分達が他者を強く惹きつける力が備わっているのを知らなかった。住民全てが同じ能力を持っているのだから疑問を抱くことも無い。


 そして彼らが初めて外の世界から来た者達と出会ったのが王と兵隊。

 王と兵隊たちはその色香に酔い、そして惑い狂った。甘い樹液に誘われた虫のようにその蜜を啜り、囚われて本来の目的を忘れたのだ。


「そろそろ私の国へ戻らねばならぬ」


 ようやく解放されると喜んだ女を王は強引に渓谷から連れ出し、森の外へと攫った。そして兵隊たちも自分の女や少年少女を連れて国へと帰る。戦利品とばかりに人々の目に晒されて、初めて見る広い世界と多くの人々の絡みつくような視線はどれも好色な物ばかりで、体も心も痛めつけられていた彼らには辛くまるで拷問のようだった。


「新しき民の誕生を言祝げ!」


 高らかな宣誓に殆どの国民は喜びとは違う目と声で応え、王はそのまま女を自分の寝室へと閉じ込めて政務などそっちのけで楽しんだ。


 そして兵隊たちも己を鍛えることを忘れ肉欲に没頭した。


 国民たちは凱旋時に見た新しき民の姿が忘れられず、貪欲な目をして兵隊たちの力が衰える頃を待ち、そして寝首をかいて奪い取った。次々と兵隊たちは倒されたが女と少年少女はまた新たな支配者に押え込まれ、逃げ場のない日々を送る。


その中で飽くなき欲望を受け止めきれずに命を落とす者や、終わりなき人々の快楽に押し潰されて命を絶った者、奪われるぐらいならばと殺害された者などで、彼らはぐっと人口を減らした。


 元々多くは無かった彼らは五年も経たぬうちに八人ほどになっていた。

 その中のひとりは王の元に連れて行かれた女だった。


 政を疎かにし、国民を顧みず、他国に興味を失った王の力はまたたく間に衰えて、その座と女を狙う諸侯たちが虎視眈々と打ち倒す為の隙を窺っていたのにも気づいていない。


「周囲をよくご覧ください」


 女は王を諭したが聞く耳持たず、その日はやってきた。


 王は倒されまた新たな王が立ち、女はまたその男の所有物へとなる。

 やはり新たな王も女に夢中になり、また倒され玉座に新しい王が座り女を手に入れ堕落する。


 何度も何度も同じことが繰り返された。

 そして気づいた時には渓谷で静かに暮らしていた村人たちは女を残して全員命を落としていた。


「なんということ」


 女の胸に残ったのは怒りでも恨みでも悲しみでもなく、虚しさだった。このままでは自分もいずれ死んでしまう。


 女はこのまま滅びるか、それとも死んでいった彼らの分まで生き延びるか——選ばなければならない。


 隣で眠る男の顔を見下して女は決意する。


「愚かな人間の物で在り続ける必要は無い。私は所有物では無く、自由な人生を選ぶ」


 無防備な姿で眠る男の胸に刃を振り降ろし、女は返り血を浴びながら解放感で胸をときめかせた。まるで鹿を射殺した時のような爽快感と、銛で魚を一突きしたかのような達成感で、人を殺したことに対する恐怖も後悔も無かった。


 女は髪を血まみれの短刀で短く切ると男の服を着て、そっと部屋を抜け出した。困難だと思っていた城を出ることも、街を去ることも呆気ないほど簡単にできて、こんなことなら速く逃げ出せばよかったとまで思う。


 国は疲弊し、人々は飢え疲れ、夜中に国を出る女に気付くこともできなかった。


 女は懐かしい集落へ辿り着いても足を止めず、朝日を受けて渓谷を登り、山を越えて新たな土地を臨んだ。


 もう二度と誰かの物にはならない。


 自分が人を惹きつけるのならばそれを利用して生きて行こう。あの城の中で学んだ男の愚かさや、喜ばせ方、国の滅ぼし方に人を堕落させる方法全て活かして。


 もっともっと色んなことを覚え、知識を増やして二度と利用されることの無いように。


「なににも縛られない生き方を、自由を私は手に入れる。そして永遠に失われたあの渓谷の故郷レ=インを忘れないように、その名を護ろう」


 女は新たな人生を歩き始めた。


 裏切られるよりも裏切って、男を誑かして金を奪い、決して心の底から愛する者など作らぬように。


 いつしか生まれた子に全てを教え、また新たなレインを作り出す。


 執着は不幸を生む。

 そしてレインの血は波乱を生む。


 いつしか人々の中でレインの名は嫌悪と羨望の意味を持って語られるようになる。

 人はみな異質であるからこそ惹かれ、手に入らないからこそ強く独占欲を燃え上がらせるのだ。


 血は交わらず、決して薄まることは無い。


 一つ所に留まれぬその血のためにレインは放浪し深い知識と技術が磨かれ、それは次のレインへと受け継がれていく。


 最初のレインの覚悟と決意を支えに、人々と駆け引きを繰り返しながら自由の道を貫き通して。


 そして今もまたレインは善き人の優しさと思いやりを糧に命を繋ぐのだ。

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