第7話 悲劇の王妃


 馬車が近づく音に気付いてリディアは窓辺へと寄る。

 セラフィス家の馬車は優美な線でできた品の良い物で、中に乗っているヘレーネに良く似合っていると思って眺めていたが馬車が停まっても誰も下りてくる気配は無い。

 御者台から降りた男が馬の元へ水を持って行くのを眺めて、その馬車に人が乗っていないのだと気づいた。


「毎年アルベルティーヌ様の元を訪れてからここへ来るの。馬と御者は一旦ここで休憩してから再び迎えにむかう」

「お祖母さま」


 フォルビア侯爵夫人であるフィアナがにこりと微笑んで隣りに立つと同じように馬車を見下ろす。


「お祖父さまからヘレーネと一緒にフォーサイシアに行きなさいっていわれたから、わたしもアルベルティーヌ様の所に行くのかと思ってた」

「アルベルティーヌ様にヘレーネ様がお会いする時は誰も共には行けない。ライカ以外はね。ここは寒いわ。こっちにいらっしゃいリディア」


 肩を押されてリディアは促されるまま暖炉の傍へと移動する。フィアナが悪戯な瞳で床に座り、その膝の前をポンと叩くのですぐ傍に腰を下ろす。

 小さな声で「むかしむかし」と囁くフィアナの顔には重大な秘密を明かそうとするかのように緊張している。


 いや。

 今から秘密の話が始めるのだ。


「後宮を出された王妃が辿り着いたのはここフォーサイシアだった。生まれ故郷は遠く、帰りたくても帰れない。離縁という形を取れども愛しい陛下の国を去るには辛く、そして陛下もそれを望んでおられなかった。傷ついた王妃を癒すにはこの豊かな自然と静かな場所が一番。過ぎ去る時だけが王妃を救うための薬になるだろうと。

 運命とは皮肉な物で、王妃の身体に異変が起きたのはフォーサイシアに来て間もなくのこと。最初は心労と疲れが原因だと思っていたけれど、良くなるどころか吐き気は酷くなりベッドから起きることも困難に。もしや命に関わることかと侍女が医者を呼べばなんと『ご懐妊です』——まさかまさかの出来事に王妃は青くなり、侍女は慌てるばかり。医者からの報告に私は屋敷を訪ね『おめでとうございます』と言祝いだ。

 後宮を出された理由が子を宿さなかったことだったから、素直に喜べないのは仕方が無かったけれど王妃はただ怯えて」


 フィアナが眉を下げて困ったように笑う。

 きっと祖母はその日のことを思い出し侍女の動揺と、アルベルティーヌの困惑と畏れを取り除こうと必死に宥めていた記憶を笑ったのだ。


「私は子どもに罪は無いのだと言い含め、直ぐに王都のオルキスに報せを送った。彼は今まで以上に多忙な中で対応を迫られた。まずは身籠った王妃を城へ戻すべきかどうか。これは直ぐに戻すべきではないと下した。戻った所で祝福はされない。落ち着かない場所での出産はまずは無理だと私も同意したわ。時が満ちる前に子が流れる可能性の方が高かったから」

「次はなにが問題だったの?」

「王に報せるべきかどうか」

「王様の子なのに?」

「普通ならばね。もし報せれば生まれた子は王妃の手から奪われてしまう。永遠に子どもの顔を、成長を見られぬままなど女にとっては命を奪われるも同義。しかも王妃を快く思わない者たちが多い中で育てられる子が、母親の庇護の無い状況で生きていかなければならないなんて。

 それがもし王子ならば第一継承権を持つ子になる。正王妃はまだ御子を産んではおられなかったから。でももし正王妃に王子が生まれれば」

「継承権は正王妃の王子へ?」

「そうなる可能性が高いわ。王は四大公爵と元老院の決定には逆らえない」

「全て王様が自由に決められるんだと思ってた……」


 セレスティア家の爵位を誰が継ぐかで揉めたよりも規模の大きな後継者争いは、王であろうとも誰に与えると決めることができないのか。

 沢山の人々で話し合われ決められる。

 そしてそれを覆すことは王にもできない。

 なんと窮屈で、ままならない。


「王が全ての権力を手にして国を治めれば、王が変わるたびに国が揺れることになる。その歯止めとなるのが公爵と元老院、そして評議会。覚えておきなさい。王ほど国の犠牲になる者はいないのだと」

「……はい」


 素直に首肯した孫の頭をそっと撫でてフィアナが再び昔話を始める。


「生まれる子の性別が解らない現状で報せるのは得策ではないとオルキスは判断し、様々な要素を考慮してコーチャーからアルガス=セラフィス夫妻を呼び寄せた。

もし生まれた子が女の子でも、王妃と共には暮らせない。その子が王の子であると解れば引き離されてしまうから。女の子であれば時折訪ねて来てくれるような信頼できる者に預けよう。そうして選ばれたのがセラフィス夫妻。

アルガス殿は銀の髪と青い瞳を持つ美しい男性で王妃の色合いと近く、夫人は蜂蜜色の髪に紫の瞳で王とよく似た色の持ち主だったわ。王妃が生んだ子を彼らの子どもだと偽ることは可能で、そしてセラフィス夫妻は深く王妃の現状に同情し協力することを約束してくれた。

 貿易商として成功しているアルガス殿は男気のある方で、口も固い。そして子を愛する心を持っているから私たちも安心してその日を迎えられた。夫人はフォーサイシアの王妃の傍で暮らし、アルガス殿はコーチャーに戻り夫人が妊娠したので実家に帰っていると周りに説明した。それを聞いた彼らの息子二人が新しい兄弟の誕生をとても喜んでいたらしいわ」


 フィオナは窓へ視線をやり、また降り始めた雪を見て小首を傾げた。まるで降る雪の音を聞こうとしているかのように。


「王妃が産気づいたのも朝から雪が降り続け、道が閉ざされた夜中のことだった。知らせを受けて私は屋敷へと向かい、雪を掻き分けて到着したのは明け方になっていたわ。王妃の寝室へと駆けつけた時には既に夫人が子どもを取り上げていて」


 なにもできなかったのよと悔いて俯く。


「生まれた子は王子だった。そのことに王妃は酷く泣いて、私と夫人で慰めたけれどそれがまた王妃を悲しませていたのね」

「王様に報せたの?」

「…………報せるしかなかったわ。そして王は非公式でここへいらっしゃった。第二王妃を見舞うという名目で数名の供しか連れずに。供の者はフォルビア家に置いて王だけが王妃の元にお越しになった」


 目の前に座るリディアの肩を抱き寄せてフィオナは大きく息を吐き出した。

 二人だけしか聞こえない声で語られる物語はあまりにも重い。


「アルベルティーヌ様はローム王にひとつお願いをなさった。この子は普通の子として育てたいのです。世継ぎが正王妃に生まれず、他に王となる素質を持った者がおらず、どうしてもこの子でなくてはならないという時のみ王子として迎えるとお約束ください。それと引き換えに私はこの子を産んだ事実を消し、セラフィス家に託しますと」

「それで納得してくれたの?」

「鬼気迫る王妃の様子に王は了承するしかなかったんだと思うわ。取り上げようとすれば母子共々死ぬ気でおられたから」


 それから王は子を腕に抱き涙したと続けた。

 そして生んでくれた王妃に感謝の言葉を述べたことも。


「王子は性別を偽り女の子としてセラフィス家で育てられた。とても美しく聡明な子に育って……そのあとのことはリディアの方が詳しいわね」


 あまりにも苦しい。

 あまりにも悲しすぎる。


 なぜやどうしてなど口にしていては物事がうまく進んで行かないのだ。

 だから全て飲み込んで伝えられた真実をそのままの形で受け入れるしかない。


 彼もまたそうだったのだろうか。

 尋ねることはできない。


 だからその心中を察して悔しくて泣いた。


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