第5話 選ばれし者
ディアモンドを朝早くに出発し一路リストを目指す。
曇ってはいるが雪は止んでいて、吹き付ける風の中に湿った匂いが無いので天気は持ちそうだった。
フォルビア侯爵が用意した馬に騎乗し、ライカとヘレーネ、リディアそして護衛騎士のクライブの四人で街道を進む。
楽しそうに喋るヘレーネとリディアの後ろについて前方を見ながら、意識は四方へと向けておく。
クライブも余計な口を叩かずに黙って馬に揺られていた。
「まどわしの森に妖精が住んでるって本当だと思う?」
左手側の遠くに広がる豊かな森を眺めてリディアが退屈しのぎの会話として質問する。それに「そうね。いたらいいなとは思うけど」と無難にヘレーネが答えた。
“まどわしの森”には妖精が住んでいて、迂闊に足を踏み入れると道を迷わせ永遠に外へ出られないようにしてしまうのだと寝物語に子どもの枕もとで親たちが語って聞かせる。“まどわしの森”は木々が多く広大で、王都の傍にありながら整備されておらず危険な場所なので安易に子どもたちが近づかないようにするための物。
誰も本当に妖精がいるなどと思ってはいない。
「紅蓮はあそこにいたのかな?」
ぽつりと呟かれた言葉にヘレーネも森へと視線を向ける。紅蓮が戻らなかった時にリストと王都の途中にあるこの“まどわしの森”に迷い込んだ可能性があると捜索隊が中へと入った。
だが街道沿いから森へ向かって入って行く足跡も、森の中の柔らかな土の上にも紅蓮が森へ侵入した形跡は全く無く捜査は早々に切り上げられた。
紅蓮の姿は街道を歩いていて忽然と消え、そして人気の多い昼間の出来事なのに目撃者は誰ひとりいなかったのだ。
「なにがあったのか解らないけど、無事に帰ってこられて本当に良かったわね」
「うん。だからきっと、今度も帰ってくるよ」
遠い故郷へと帰ってしまった紅蓮を思いながら二人は微笑んで、また取り留めのない話を続ける。それをぼんやりと聞き流しながら大街道を行く。擦れ違うのは歩いて王都まで向かう者や、家畜に荷車を曳かせている農家の者、そして時々乗合馬車。人通りは少なくないが、多くも無い。
気を張りながらの道中は苦痛ではないが勿論疲れる。
ヘレーネの横顔をちらりと見てライカは眉を寄せた。
久しぶりに侯爵に会った後からヘレーネは意気消沈しており、大和屋の客室に閉じ籠って飯も碌に食べようともしなかった。学園も休み、ただじっと籠城して日々を過ごしていた。
ようやく出てきたのは出発の二刻前。
その時にはもう今まで通りの服を着て身支度を済ませ、少しやつれた顔に笑顔を乗せていた。「なにか食べる物を頂戴」とねだるのでフルに用意させた握り飯を食べさせたのだ。
聞かなくても侯爵となにを話したのか想像はついた。
だからなにも聞かずに部屋に籠ったヘレーネの気持ちが治まるまで待った。こういう時は黙って待つしか方法は無い。
友人はずっとこうやって気持ちを切り替えて、自分を無理矢理押し殺してして生きてきたのだ。
ライカはそれを見てきた。
いつも傍で。
「……笑ってやがる」
とても笑えるような心情ではない癖に退屈な会話を交わし、笑顔で相槌を打ち、たまには冗談をいって。
リディアも必要以上に喋っているように見えた。緊張しているのが乗っている馬にも伝わりそわそわと落ち着かない。心配事があるのか、これから起こることを感じて不安がっているのか。
両方か。
学園を辞めてから一週間に一度は必ずセシルはリディアと会っている。こそこそとヘレーネのことを嗅ぎまわっている様子から警告をしたが、どこまで知っているのかまでは解らない。王子と断言したので真実に近づいているのは確かだが、ここで口封じをするには根拠が薄く、そしてそれをヘレーネが望んでいない。
リディアを引き込んだように、またセシルをも手の内にしようと考えているようだが、果たしてレインがそれを受け入れかつ御せるかどうか——かなり難しいだろう。
少ない情報から真実を見出す能力は鋭い嗅覚と感性、そして素質が物をいう。鍛えてどうにかなる物ならばいいが、その力は天性の物と経験が必要だ。片方だけではどうにもならない。
そんな希少な能力をセシルは持っている。
そして咄嗟の判断力と会話術、反射神経と物怖じしない性格。ラティリスでは遠回りしたはずのセシルの方が先にセレスティア家に辿り着いていたという事実から、かなりの健脚であることも窺えた。
底なしの体力と旅慣れた肉体の成せる業。
しかも持っている知識が広く、それはフィライト国についてだけではない。
セシルを味方にできれば、ヘレーネのこれからの仕事が楽になるのは間違いない。
解ってはいるが危険を冒してまでレインを抱え込む必要があるのかと疑問に思う。あれは人の善意を食い物にして生きる人種だ。人を誑し込む技術に長けた、魔性の人間。目をつけられれば骨の髄までしゃぶられるという噂はきっと真実。
ライカは舌打ちをして見えてきたリストの街を睨みつけ、神経を研ぎ澄ます。今日はリストの宿屋に宿泊し、明日の朝早くに出発する予定だ。東へ抜ける大街道を更に三刻ほど下ると分かれ道になり、そこから北上したところにフォーサイシアがある。リディアの目的地はフォーサイシアなのでそこで別れ、ライカとヘレーネは東へと進みチキという小さな町を通り抜けて貿易都市コーチャーへと向かう。準備が整い次第フォーサイシアを訪れることになっていた。
街道を行くのと違い四方からの音や気配が多く、一瞬の隙が命取りになる可能性がある。街の住民が旅人に視線を向けるのは普通で、それが無意識からなのか、意図があって向けられているのかの判断も難しい。
「ライカ。お腹でも痛いの?」
いつの間にか隣にリディアが馬をつけてチラリと緑の瞳を向けてくる。直ぐに視線は前方へと戻しリストの露店の商品を眺めているが、ライカの返答を待っているのだろう——馬を先に進めるように促さない。
「んなわけないだろうが」
「じゃあ少し深呼吸して。顔が恐くなってる」
顔が恐いのは生まれつきだ。
目つきが悪いのも、口が悪いのも。
「あんまりピリピリしてると周りが気付くよ」
「おい」
それだけいうとリディアは足を速めて馬を進ませる。護衛騎士のクライブに声をかけて先に宿屋に行っているから露店で売っている甘い物を買って来て欲しいと頼んだ。傍を離れることになるので少し逡巡したが、危険は無いだろうと判断したのか了承して去って行く。
「少しは落ち着いた?」
「どういうつもりだ」
「クライブがいるからいつも以上にピリピリしてるのかなって思って」
人通りの多い露店が並ぶ通りを出て宿屋への道に入るとリディアが笑ってライカが神経を尖らせている理由を自分なりに上げてみせる。
見当違いの理由に「違う」と否定すると、少女は「ふうん」と呟いて頷く。
「心配してくれてるの?リディア」
ヘレーネが苦笑して今更ライカの無愛想を心配しても治りはしないのだからと気にしないでもいいと続ける。
「普通にしてないとなにかあるのかもしれないって勘付かれるよ。ライカのピリピリはちょっと異常だから」
馬を誘導してリディアはヘレーネとライカの前を塞ぐようにするので慌てて手綱を引いて馬を止め睨む。
「二人は先に進んで。リストにはわたしたちだけ泊まるから。その方がいいでしょ?」
「でも」
「どうせフォーサイシアに来た時にまた会えるし。それにその方がわたしも楽かな」
色々考えるのも疲れるし、と肩を竦めてさっさと宿の方へと馬を歩かせる。ヘレーネは決断できずに迷っていたので「そうした方が急いで進めるぞ」と助言したら、ため息を吐いて同意した。
「リディア!またフォーサイシアで」
温かな上着で着ぶくれたリディアが笑顔で振り返って手を振る。それにヘレーネも応えると吹っ切れたのか「進むしか無いからね」と己に言い聞かせるように呟くと馬の頭を返して東へと向かった。
四人での旅より二人での旅の方が気兼ねなく先へと進める。冷たい風を切って馬を走らせ、暗くなっても構わずに急ぐ。途中で馬を休ませて自分達も携帯食料で食事を済ませ、言葉も交わさずに馬に跨ると次の町で宿を取る。
次の日は昼少し前に出発し夕方にチキへと着き、夜通し馬を駆り港街コーチャーへと辿り着いた。
「帰ってきた」
真夜中とはいえ貿易都市は港で働く人たちの静かな熱気がある。
朝一番に出る船に積み荷を運ぶ男達と、それを指示し監督する男達が働いているからだ。沢山並ぶ貿易船の帆は畳まれているが、船乗りたちは出航に向けての準備をしている。
港は皓々と明かりが灯り、まるで昼間のように活気があった。
ヘレーネが八歳まで過ごしていたセラフィス家は貿易商をしており、その家は港の傍にある。倉庫が立ち並ぶ一角に屋敷を立て、隣りの倉庫に事務所を構えていた。持っている船は四艘でいずれも大きく、常に稼働し利益を生み出している。
アルガス=セラフィスの名を知らぬ者などこの街にはいない。
この貿易都市として名高いコーチャーで一番の貿易商といえばアルガス=セラフィスであり、彼が運営しているペルラ貿易が高い信頼と実績で自国他国共に名が通っている。
この貿易都市一帯を治めているのはガルシア=ベロニカで四大公爵のひとりだが、有能な腹心の部下に任せきりで本人はディアモンドから西の大街道へ一日ほど進んだ海を臨む場所に建てられている賢者の塔に閉じ籠っている変人だ。
節度を守れれば好きなことはなんでもすればいいといって憚らないからか、コーチャーの貿易は盛んで、それに伴い商業も派手である。そして保守的で伝統的な服装を好むディアモンドとは違い、外国から齎される色使いや布などから作られる独特な服やドレスは先進的だと人気もあった。
「ただいま」
屋敷では無く事務所へとヘレーネが顔を出すと、机にかじりついて伝票を見ていた二男のカシムが気付いて「お帰り!ヘレーネ」と飛び出してきた。
蜂蜜色の柔らかそうな髪に目尻の下った優しそうな顔のカシムはぎゅっとヘレーネを抱き締めて再会を喜んだ。
「こんなに美人なのに、まだ素敵な旦那さんは現れないのか?」
「カシム兄さんこそ結婚はまだなの?」
お互いに相手がいないことを突っ込み合い笑み崩れる姿を一歩離れて眺めながら、ライカは事務所内の気配を探る。従業員は全て積み荷を運ぶ仕事に出ているのか、事務所にいるのは船の船長と航海士が二人。そして長男のロータスが日程を細かく指示していた。
カシムは地顔が笑っているので人当たりが良いのに比べ、ロータスは無駄なことは口にしない性格で常に眉間に皺を刻んでいる。
正反対の兄弟だがヘレーネに甘いと言う部分では共通していた。
「兄さん!ヘレーネだってば」
口元に手を添えて大声で仕事中の兄を呼ぶカシムを「忙しいんだから」とヘレーネが袖を引くが「ロータスにーさん!!」と更に声を張り上げる。本当は仕事を放り出してでも歓迎したいロータスをおちょくって面白がっているようだ。
家族の久しぶりの再会に水を差すのは仕事ではないので、気付かれないように外へと出ると表に繋いでいた馬を引き屋敷の方へと向かった。
「……また降ってきやがった」
空を見上げるとチラチラと白い物がゆっくりと下りてくる。
空気が湿って少し気温が上がったように感じた。屋敷の門の脇から裏手に回り厩舎に二頭の馬を入れて鞍を外し、汗を拭ってやると疲れたように鼻を鳴らす。
水と飼葉を用意して柵に掛けると待ちかねたように頭を突っ込むのでライカは首を撫でてから櫛をかけてやった。
侯爵から借りた馬を粗末に扱っては後々なんといわれるか。
考えるだけで渋面になってしまう。
「ご苦労だったな。ライカ」
「……ご無沙汰しております」
突然厩舎に現れたアルガス=セラフィスにライカは目礼をして挨拶する。銀の髪はヘレーネの物とは違って鈍い色で青の瞳も淡すぎた。それでも秀麗な顔立ちはヘレーネと親子であると思わせるには十分で、今まで誰にも疑われずに済んでいる。貿易商を営んでいるというよりも、気品ある貴族の男にしか見えない。
だがその手腕は確かで新しい商品を開拓する好奇心と、それを売り買いする判断力と感性は他の誰にも真似できないといわれている。
「ヘレーネは事務所の方か」
「はい。まだお二方には素性をご説明しておられないのですね」
「正式に王位を継ぐその時まで黙っているつもりだ」
アルガスは視線を事務所の方へと向けて苦笑する。ディアモンドで暮らす妹が久しぶりに帰ってきたことを喜んでいる兄の姿を想像しているのだ。
「一年程だと聞いています」
「そうか……」
その瞳に過った悲しみと不安をアルガスが隠すことは無かった。
深いため息と長い沈黙にライカは身を凍らせる程の寒気を感じた。
我が子ではない子を預かり、育てることは容易ではない。
しかもその子が王家の血を継いでいるともなれば尚更だ。
「ヘレーネは嫁に行ったのだと言い聞かせるしかあるまい」
それは息子にではなく自分にという意味だ。ヘレーネをディアモンドへと出したのは娘を貴族の家に嫁がせるための教育を受けさせたいと、懇意にしているフォルビア侯爵へと預けたというのを名目としている。
カールレッド王子が健康ならばよかったのに。
そうすればこの家族が悲しい別れをすることは無かっただろう。
「これが最後だと」
「承知した。アルベルティーヌ様への贈り物の用意は全て整っている。予定通り明日の朝出発する」
アルガスはヘレーネを我が子と同様に愛し育てた。
それは兄達が可愛がる姿を見れば解る。分け隔てなく注がれる愛情と両親からの庇護を感じながら普通の子どもとして育った時間はヘレーネにとって宝物だ。
そしてそれはセラフィス夫妻にとっても同じだろう。
最後の訪問になると告げたにもかかわらず、ヘレーネと過ごす時間を伸ばそうとせず予定通りに決行するというその決断にライカの胸が暗く沈む。
「ヘレーネを腕に抱いたその日から覚悟はしていた。気に病むな」
微苦笑してアルガスはライカの肩を叩いてから厩舎を出て行く。
足掻いてもどうにもならない運命が憎くて仕方が無い。
運命は選んだのだ。
カールレッドでは無くヘレーネを。
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