第4話 似た者同士


 マーサが用意してくれた紅茶入りのクッキーと、オレンジのリキュールがたっぷり使われたマドレーヌを食べながらのお茶会はイスとテーブルを使用した堅苦しい物ではなく、リディアの部屋の暖炉の傍でふかふかのマットの上で開催されている。

 フリザード魔法学園のなんでもない話や、ノアールがこの前立て続けに五人の女の子に告白されたことを話すとリディアは懐かしそうに瞳を細めて笑った。


「大変だね。ノアールは」

「ほんとにね、どうしたら平和な毎日を送れるのか真剣に考えてる所」


 クッキーを齧りノアールが美しい眉を寄せてがっくりと肩を落とす。週末の昼下がりでノアールもバイトが無く、試験が終わったばかりなので無理に勉強する必要は無いだろうとセシルが誘うと珍しく二つ返事でついてきた。

 彼とリディアが会うのは久しぶりで、詳しく聞いてみるとフィルがキトラスへ行ってしまうと家まで駆けつけたのが最後だという。


「魔法で顔を不細工にしたら女は寄り付かなくなるよ。やってみたら?」

「そうだね。ノアールの場合はその綺麗すぎる顔が問題だから」

「変装の魔法があるけど、毎日それをかけて過ごすのってどうなのかな」


 真剣に考え込む少年の真面目さに、そんなに悩んでいるのかと呆れてセシルは手を伸ばして優秀な頭脳が詰まった額を指先で弾いた。


「冗談だから。ノアールの価値はその美しさにあるのに、それを手放してどうすんのさ」

「僕の価値は外見だけ?それはちょっと聞き捨てならないんだけど」

 

むっとした顔でクッキーを口に放り込み温かいハーブティで流し込む。そんな少年に「女は男を見た目で選ぶからさ」と微笑むとリディアに視線で同意を求めた。

 リディアも大きく頷いて「そうだよ。それにノアールには頭の良さと、育ちの良さまで加わってるんだから」と力説し、美しさだけで無いことを強調するがなぜだかノアールは納得しない。


 やはり不服そうな顔でため息を零す。


「どうしたの?」


 尋ねれば自分は男なのに強さとか、頼りがいとかそういった物が大きく欠損していると嘆いた。

 そんなものがなんなのだといった所で、悩んでいるノアールには慰めにもならない。男の虚勢程滑稽で、男だからこそ強くあらねばならぬという幻想もまた嘲笑を誘うのだが、彼もまた男の自尊心に目覚めたのかとても悔しそうだ。


「あたしはそのままのノアールが好きなんだけどね」

「セシルの好みは疑わしいから」

「なに、それ?酷くない?」

「だって変り者のリディア、魔法狂いのノアールを選ぶなんてとてもまともとはいえない」


 最近ノアールを評する生徒たちに揶揄の籠った呼び方として“魔法狂いの”と頭につけられることが多くなった。入学当時から数多の少女たちが思いを寄せ、言い寄っても決して靡かず、本と勉強にしか目に入らないノアールを魔法狂いとみなが呼ぶ。

 少女たちが振り向かないことで有名な彼に告白することで、度胸試しをしているのは周知の事実。そしてあわよくば色よい返事が聞ければと期待の気持ちがそこにあるのもまた真実で。


「まあね。あたしは変人だからお似合いの三人組だ」

「似た者同士ってこと?」


 リディアがキラキラと瞳を輝かせて確認してくるので「そうかもね」と返してやる。嬉しそうに笑って少女はぱくりとマドレーヌを頬張った。王立ウルガリス学園で淑女の所作を叩き込まれているはずなのに、未だに彼女には上品さや可憐さが身についていない。

 足を投げ出してベッドに背を預けて座る姿を見たら、王立学園の講師は目くじらを立てて責め、あまりの興奮に卒倒するかもしれない――と考えると笑える。


 リディアがウルガリス学園に通い始めて三ヶ月が経つが、変わらない姿に安堵する反面これからのことを考えると心配にもなる。


「そうだ。この前キトラスからの留学生と話したよ」

「どんな子?」


 リディアだけでなくノアールも興味津々で身を乗り出してくる。留学生本人に興味があるのではなく、キトラス神聖国が独自に編み出した魔法のことが知りたいのだろう。


 流石魔法狂い。


「う~ん。普通?信仰深い」

「カステロ教って光の神であるカステロを敬い、清く生きよって教えだよね。やっぱり清らかで、美しい感じ?」


 想像でしかキビルと会えないリディアは、キトラスの留学生を美化しすぎているようだ。苦笑してノアールが「神秘的な感じはするけど、リディアが思っているようなものとはちょっと違うかも」と訂正する。


「キトラスの国民も人間だよ。リディ。過ちも沢山するし、罪も犯す。実際犯罪が起きる量はこの王都とそう変わらないぐらいにある」


 信仰に縋ろうとする者こそ心に隙があり、疾しい気持ちを持っていることが多い。弱いからこそ強いなにかに支えてもらいたいと思うのかもしれない。


「そうなんだ」

「授業で習ったんじゃない?ウルガリスで」

「……習った気もする」


 フリザード魔法学園よりも力を入れて近隣国のことは学ぶはずなのに、突っ込まれてリディアは不味いと顔を背けて反省もせずに呟いた。

 まったくと息を吐くと、隣りでノアールが苦笑い。


「だって苦手なんだもん」


 授業がなのか、内容がなのか、教える講師がなのか。

 いずれにせよ自分が決めて入った学園で、好き嫌いをいえるほどの贅沢を許されると思っているのかと名を呼べば「だって」と口答えする。


「きっとウルガリスの先生達は教えるのが下手なんだよ。セシルから教えてもらったことは、素直に入ってくるし覚えられるのに」

「呆れた。ウルガリスはフィライト国の中で一番の講師を集めてる学園だよ。その道の専門家を下手くそ呼ばわりした挙句、あたしと比べるなんて」

「すごいというか……まあ、光栄だと思えば?」


 ノアールが乾いた笑い声を上げて慰める。

 そして当のリディアは至極真面目な顔で「家庭教師してよ」といい出す始末。


「リディには色々教えてるのに、勉強まで教えろって無茶いわないでよ。そっちはノアールの領域!」

「いや。僕も諸外国の事情については専門外だから」

「そういえば、どうしてセシルは他の国の事に詳しいの?」


 行ったことでもあるのかと問われ、半分は行ったことがあるが、残りは旅の間で交わされる大人達の会話を聞いただけだと正直に答えた。リディアが嬉しそうに微笑むので、どうしていいか解らずに頭を掻き視線を窓の外へと向ける。


「……勿忘草」


 東側の窓辺に吊るされた乾燥した勿忘草がちらちらと降る雪を背景にして物悲しく揺れていた。

 再会を望み、帰りを待つリディアのおまじない。


「リディは勿忘草を旅立つ異性に渡す意味を知ってた?」


 聞きながら視線を戻すとリディアは狼狽して赤くなり「知ってた、けど」と口籠る。意味も無くクッションを抱き寄せてその中に顔を埋めると言い訳を始めた。


「深い意味を持って渡したわけじゃないの!途中で季節外れの勿忘草を売ってる女の子がいて、キトラスに行っちゃうフィルにまた会おうねって約束のつもりで!」

「歓楽街では年中売ってるんだ。働いている女の子に渡すために買う男が多いから。でも実際見習い騎士から卒業して遠くの街へ派遣されてしまう時に恋人同士で贈りあうこともあるって聞くし」


 歓楽街で働くようになったノアールが照れもせずにそういうことをいえるようになったのは成長であり、また残念でもある。

 疑似恋愛を楽しむために男が女に渡す花。女は喜んでみせ、必ずまた会いに来てねと潤んだ瞳で見つめてみせる。そんなやり取りを愉しんでいるのだ。

 そんなことを知らないリディアは勿忘草を買い、フィルに手渡した。


 その意味は貴方をずっと待っています。

 だから必ず私の元へ帰って来てください。


 勿忘草は恋人に捧げるための花なのだ。


「可哀相に。フィリーは期待しちゃったよ。絶対」

「やだー!もうやめて!」


 髪の隙間から覗く耳が赤くなっている。今更無かった事にしたくてもそれは不可能で、どんなにリディアが現実から逃れようとしても事実は消えない。


 好きな子に渡された勿忘草は彼の慰めや希望になっただろうか。


「ちょっと、リディ動揺し過ぎ。もしかして、フィリーになにかされた?」


 勿忘草をその気が無いのに渡してしまったにしてはあまりにも取り乱し過ぎだ。思えば別れの時のことを尋ねると妙にそわそわして、下手くそな会話術で別の話に変えようとしていた。

 その様子にフィルから告白でもされたのかと思っていたがどうやら違うようだ。


「さ、ささされて」

「リディ!」

「やーだあー!もうそっとしといて。反省してるんだから、ちゃんと。誤解させてしまったこととか、隙だらけだったこととか!」

「一体なにをしたのさ。人畜無害そうな顔して、しれっとあたしのリディに手を出して」


 にじり寄りにやにやと笑いながら詮索しているのに、リディアは柔らかいクッションに顔を埋めているので気付いていない。

 怒られているのだと思っているのか「反省してるから!」と必死に追及を逃れようとしている。


「セシル……これ以上は可哀相だよ。ふざけすぎ」


 後ろから首根っこを掴まれて引き剥がされ、ノアールにため息を吐かれた。素直に両手を上げて「了解」と応じるがにやけ顔はそのままだ。


「今度、フォーサイシアに行くの」


 顔を伏せたままリディアがクッションの向こうで小さな声で告げる。

 フォーサイシアはフォルビア侯爵の領地だ。美しい馬が沢山放牧され、そして調教されている。優秀な馬の交配も盛んで、フォーサイシアの馬は脚が速く、賢いと評判がいい。

 いずれは治めることになる領地を見て、色々学ぶために行くのだろうと思っていたら「ヘレーネと一緒に」と呟きのろのろと顔を上げた。


「これから色んなことが起こると思ったら、ちょっと怖くて。不安で。自分で選んだ道なのに」


 大きな緑の瞳が不安気に揺れている。自分が踏み入れた道の行く先が解らないのならそれは当然だ。


「後悔してる?」

「……してない」

 確認するとしていないと答えるリディアの顔は毅然としていて、その瞳を覗きこまなければ恐がっていることなど微塵も感じさせない物だった。だからにこりと笑って安心させ、手を伸ばして小さな手を握り締めた。


「じゃあしばらく会えないね」

「寂しい?」

「あたしが?そうだな。からかう相手がいないのはつまらないかな」

「むー!意地悪」


 唇を尖らせて唸るリディアの頭に掌を移動させて撫でると「寂しいよ」と囁く。こんな気持ちを味わうことになるのなら近づいたりしなかったのに。


「リディア、気を付けて」


 ノアールも心配そうにディアモンドを離れる少女を気にかける。


「大丈夫。お祖父さまがクライブをつけてくれるから危険は無いと思う」

「クライブ~?あたし騎士って信用してないから。十分気を付けてよね?」


 生真面目そうな顔の下にあるのはやはり男の本性だ。規律を護り、人を助ける騎士は婦女子憧れの対象とされるがそんなものまやかしであると大声で叫びたい。

 騎士であるというだけで信頼され、無条件で慕われるなどどう考えても納得がいないが、世間一般では清く正しいとされている。


「セシルに関わるとみんな調子を崩されてしまうからな。ケインも評判の良い立派な騎士なのに」


 兄の騎士であるケインの評価が下げられてしまったことをノアールは少し根に持っている。恨みがましく見つめられてもセシルは謝ったりはしない。


「男なんてみんな一緒。考えることはただひとつ。自分の物にしたいって欲望だけ」

「ノアールも?」

「え?僕は」

「これは例外。奥手どころか、まだまだ歩き始めたばかりのお子様だから」

「ちょっと、それはいいすぎだ」


 慌てたノアールを赤ん坊扱いすると途端に目を吊り上げる。ふふふと微笑んで「怒った顔も可愛いね。お姫様は」と完全に男扱いをしなくなると諦めて横を向く。


「リディあたしが教えたことちゃんと覚えてる?」

「実践できるかは解らないけどセシルの教えてくれたことは全部頭に入ってるよ」


 さっきウルガリス学園の講師と比べられたが、リディアには勉強とは違う、上手く生きるための方法を教えている。優秀な生徒はちゃんと内容を覚えているようだ。


「よし。じゃあその中で一番守って欲しいのは“返答を求められてもその場で即答はしない”。いいね?」


 まだまだ教えることは山ほどあるが、今はその一点さえ注意すれば問題は無いだろう。下手な約束をするとリディアは不利になる。


「それから騎士に心を許さないこと!」

「えー」

「心を許した結果フィリーに隙を見せたんでしょ?反省してるんじゃなかったっけ?」

「……はぁい」


 渋々ながら頷いたことに満足してセシルは立ち上がる。


「さて。じゃあそろそろ帰るか」

「久しぶりに話せて楽しかったよ。リディア。また来るから」

「うん。下まで送る」


 別れる際に必ずリディアは元気が無くなる。一週間に一度必ず顔を出すようにしているのに、次はいつ来てくれるの?と不安そうに聞いてきた。セシルがいずれディアモンドを出て行くと感じているからだ。

 それが一体いつなのか解らないから、別れの時に気分が塞ぐ。


「いいよ。ここで。そろそろ例の騎士が迎えに来る時間だし、おとなしく部屋にいて。淑女らしく」

「下で待ってた方が早いのに」

「効率よりも貴族は体裁と世間体を重視するんだよ」


 貴族たる淑女は下位の者を待たせることはあっても待ってはいけない。リディアが部屋で迎えが来るまで待てずに玄関先で護衛騎士を待ち伏せなどはしたなすぎる行為だ。


「めんどくさーい」


 膨れっ面でクッションを投げつけてくるリディアに「その面倒臭いのを選んだのはリディだ」と釘を刺すと途端に萎れた。またしても渋々といった表情で「ばいばい。またね」と手を振る。それに笑顔で手を振って返し、ノアールと共に部屋を出た。二人で顔を見合わせて苦笑し階段を下りて玄関へ行くと、母のサーシャと使用人のマーサが笑顔で「また来てくださいね」と挨拶をする。御馳走様と御邪魔しましたと口にして玄関を閉めてまた笑う。


「リディアのお母さん、少し明るくなった気がする」

「天敵のフィリーがいないからじゃない?」

「どうかな?色々吹っ切れたからだと思うけど」


 もしそうならいい。

 一瞬の無言の間できっとノアールも同じことを思っただろう。


「しかしフィリーがリディに手を出すとは。ちょっと意外だったけど、あれでもやっぱり男なんだね」

「あれでもって失礼だよ。でも好きな子に勿忘草を渡されたら僕でも感動するかも」

「ノアールでも?」

「なんだよ!」

「別に?でもフィリーにしては上出来だったね。これでリディはフィリーのことを忘れられずに、帰って来るまで他の男に興味なんか持たないだろうし。意気地なし返上かな」

「セシルには男の繊細な気持ちが解らないのかな……」

「解る解る。解ってますよ。ほんとに些細な事でヤル気になったり、萎えたりするもんね」

「…………もういいよ」


 首を振りながらノアールは二人で出たテミラーナ家の門を閉めた。少し歩いた所で前方から胡桃色の髪に青紫の瞳をした優しげな青年がやって来るのを確認してセシルは舌打ちする。

 相手も気づいたのか柔和な笑顔を浮かべてぺこりと会釈をした。


「誰?」

「忌々しい騎士殿だよ。クライブ=シオン」


 フォルビア家に仕える護衛騎士の詰襟に紺色の騎士服で、胸に馬と剣を交えたフォルビア家の紋章が刺繍されている。クライブの腰に佩いた剣は長い物と短い物の二本あり、どちらも使い込まれているのが解った。

 大事な孫娘であり、後継者を護る騎士だ。相当な使い手であることは間違いない。


「しかも家柄も良いと来たら、侯爵がどんな意図を持ってリディにつけているか解ろうってもんだよ」

「だから毛嫌いしてるの?本当にセシルはリディアのことになると目の色が変わるね」

「あれ?妬いてんの?あたしはノアールのことも目が無いからね。だめだよ?尻の青い雌犬に靡いたりしたら嫉妬で気が狂ってなにするか解らないよ」

「留意しときます」


 身震いしてからノアールは頭を下げて擦れ違うクライブをそっと見つめた。


 彼の目に騎士はどうのように映っているのだろうか。


 さっぱりと短く切った胡桃の髪に、きりりとした眉と丸みを帯びて少し下がった目尻、容姿は優男に見えるが筋肉の付いた腕や肩、そして腹と腰から足首に掛けての乱れの無い線が曲者であると告げていた。

 見た目で騙されると後で痛い目に合う。


「成程。確かに危なそうだね」

「解るんだ?」


 驚くとノアールは得意げな顔で「バイトで鍛えられたからね」と笑うので、便利屋で働くようになったことは彼にとって良かったことなのだと理解する。


「それに目に見える物だけが真実とは限らないって教えてもらったから」


 人は成長していく。

 確実に。


 セシルは角を曲がるついでに騎士の様子を窺うと、テミラーナ家の門を潜って行く所だった。


 その口元に笑み。


「ほんと。忌々しい」


 呟いてセシルの視線に気づいていた食えない騎士にリディアを任せることが本当にいいことなのか疑問に思いながらノアールと共に学園へと向かった。

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