第二十五章 都市の崩壊

村へ戻る道すがら、センイチは一度もカナメの目を見なかった。

ひどく疲れた声で、言葉を吐き出すように話し始めた。


「……本部に集まったデモ隊は、最初は罵声を上げていただけだった。」


重い足音だけが、しばらくその言葉に続いた。


「だが……数が集まり、興奮が伝染して……ほんのひとりが石を投げた瞬間に、全部壊れた。

その一つの暴力をきっかけに、“正義”の旗を掲げた群衆は、何をしても許される気になった」


淡々とした声の奥に、沈みきった怒りと嘆きがあった。


「老人も、女も、子供もいた。

けど、顔を隠し、腕に布を巻いてデモ隊に“私たちも仲間だ”と叫んでいた、

やがて燃やせ、返せ、死ねと……それだけを繰り返してた」


カナメは何も言えずに、ただ聞いていた。


「罵声を録音して拡声器で流してきてな……『お前らが特権を握ってる』『HOPEを止めたのは軍だ』と……

全員で責任をなすりつけ、正当化して、最後にはもう何をしてるのかもわからなくなっていた」


センイチは唇を噛んだ。

遠くに、黒い煙が上がっていた。


「おかしいだろう。

おかしいのに……一度でも“殺せ”って言葉を吐いた人間は、もう後戻りできなくなる。

仲間の顔色をうかがって、逃げられなくなる。

……そこにいた全員が、最初から殺人者だったわけじゃない。

でも、気づけば“殺さなきゃならない空気”に飲まれてた」


カナメは拳を握った。


「軍は住民を守るためにある。

だが、こちらも何人かが投石で負傷され、火炎瓶によって殺された。

人が焼かれて、泣きながら助けてくれって手を伸ばしてきた……

私は……何もできなかった」


声が震えた。


「結局、最終通告を出した。

『撤退しなければ、重火器で制圧する』と」


沈黙が落ちる。


「……火に油だった。」


遠くでサイレンが細く鳴った。

風に吹かれて、消えた。


「最後の我々は、もう……


あれは虐殺だ。軍じゃない。ただの、武装集団だ。そして命令を下したのは…私だ。」


センイチはゆっくりと顔を上げた。


「気付いたら、やつらと同じことを叫んでいたよ」


センイチは小さく目を閉じた。


「くたばれ——と」



目の下に深い影が落ちていた。


「……人間は、こんなにも簡単に化け物になる。

俺も、お前も、あいつらも。

たった一つのきっかけで、全部、壊れる」


その言葉に、誰も何も返せなかった。


ただ、足元に積もる土の上に、静かに灰が降っていた。




「あんたは間違ってないよ。

僕なら、もっと早く……“堕ちてた”。

大将は僕より、ずっと、人でいたかったんだ。」


センイチの目に、わずかに涙が浮かんだ。

けれど彼は相変わらず気丈だった。

目頭をひとつ押さえただけで、もうその瞳は次の問題を解決するための色に変わっていた。


実際──

センイチの判断は、神がかっていたと言っていい。


住民を虐殺したことは、倫理的に決して許されることではない。

だが、あのまま怒声と憎悪を受け止めて耐え続けていれば、いずれ暴徒に押し切られ、未曽有の被害が起きていただろう。


そして、軍を率いて本部を放棄したこと。


あのまま残っていれば、新たな報復戦が始まっていた。

人が、また無意味に死んでいく未来が見えていた。


センイチは逃げたのではない。

これ以上、人間を“殺さなくて済むように”──

自らの軍を都市から離脱させたのだ。


共鳴していた頃は、全く分からなかった。

この男の芯の強さを。


HOPE無き今、知能がいくら高くても……自分にこれほどの「決断」ができただろうか。


「カナメ」


ふいに、エリが声をかける。


「怪我してるみたいだけど……大丈夫だったの?」


「ああ……これは……」


言葉を探す間に、

エリの手がそっと、腫れた頬に触れた。


(……冷たい)


なのに…こんなにも心が温まる。




「大丈夫。私がいる。

あなたを……守るから」


かつて、自分が言った言葉。



今は、自分に向けられている。


(まいったな…)


カナメは今この目に映っている光景を




目に焼付けようと決意した。

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