第二十三章 愛

墓は自然保護区の西側──

整理墓地十一号にあるようだ。


川からそれほど離れていないということで、三人はそのまま向かうことにした。


けれど、この混乱の中だ。

どんな危険が潜んでいるかわからない。

カナメは安全のため、黙って同行を決めていた。


マコは先頭を歩いていた。

小さな足で、はやるように土の道を進む。


振り返るたびに、その顔はどこか嬉しそうで、どこか誇らしげだった。


ユウナがカナメの隣に並ぶと、ふっと息をつくように口を開いた。


「あの子の父親は……あの子が生まれてから変わったの」


カナメは視線を落とし、黙って耳を傾ける。


「マコを抱いて、いつも言ってたわ。

“人間の無垢さって、何と美しいんだろう”って」


ユウナは苦笑した。

思い出すたびに、胸の奥が少し痛むように。


「正直……私には、意味がわからなかったの。

過剰なくらい愛してくれて……“マコから学ぶことがあるんだ”って。

……私は、怖かったはずなのよ。

でも──HOPEのせいかしらね……正直、どうでもよかったの。

愛してくれているのなら、それでいいって」


「……」


カナメは何も言わなかった。

けれど、胸の奥に、奇妙な共鳴があった。


(きっと……本当に、美しかったんだ)


子供が持つ、無条件の愛情。

見返りも、対価もない。

ただそこにいて、誰かを無垢に愛すること。


HOPEの恩恵を極力避け、自然とともに生きることを選んだ人々は──

きっと、そういうものを知っていたのだろう。


快適さが、幸せに直結するわけじゃない。

それを知っているからこそ、文明に背を向けた。


だが、それでもHOPEの影から逃れることはできなかった。

どれだけ誠実に生きようとしても──

希望は、かなってしまう。


(……きっと彼は、疑ってしまったんだ)


“これは、本当に、俺の望みか?”


自分の心の奥底に問いを落として、

その重さに、押し潰されたのかもしれない。


だからこそ。

だからこそ──


(……わかるよ)


胸が、ひどく痛んだ。


マコは振り返り、小さく手を振った。

それに応えるように、カナメはそっと片手を上げた。


「……正直、僕も、自己終末を望む人の気持ちは……ずっとわからなかったよ」


少しだけ、視線を落とす。


「でも……HOPEが止まって、全部が剥がれて……やっと、少しだけ、わかる気がするんだ。」


川の音が遠くで響く。


「人は、苦しみの中に希望を見つける。

……じゃあ、きっと、快適の中に絶望を見つけてしまう人もいるんだろうなって」


そこで言葉を切る。

それ以上、無神経に語ることはしたくなかった。





墓地は、驚くほど整備されていた。


名前だけは知っていたが、訪れるのは初めてだった。

なだらかな斜面に、同じ形の白い墓標が整然と並んでいる。

快晴のおかげで、都市が一望できた。

ここは高さもあり、見晴らしは絶景と言っていい。


ただし──

いたるところから黒い煙が上がり、遠くで小さなサイレンが途切れ途切れに鳴っていることを除けば。


ユウナは一歩、二歩と墓の前に進んだ。

手を合わせ、絞り出すように声をかける。


「あなた……遅くなってごめんね。見て……マコだよ。大きくなったでしょう」


振り返って、マコの背をそっと押す。


「ほら、マコ……パパだよ。挨拶、してあげて」


マコは俯いたまま、小さな手を胸の前でぎゅっと握りしめた。


「え……と……えっとね……」


震える声が、風にさらわれる。

ポロリ、ポロリと涙が頬を伝い、土の上に落ちた。


ユウナもつられるように目を潤ませ、やがて声を震わせた。


「……ごめんなさい……!

どうして…ここに来ようとすら思わなかったのか……どうして、あなたが去るのをもっと止めなかったんだろう……!

もっと……あなたといたかった……!」


言葉を絞り出すたびに、声は掠れ、泣き声に変わっていく。


その姿に、マコもついに堪えきれなくなった。


「……う……うぁああああん!!」


小さな嗚咽が、空に溶けていく。


ユウナは震える腕で、マコをしっかりと抱きしめた。

二人の影が重なり、まるで一つになったように見えた。


カナメは、崩壊した都市を背景にして、

父親を想って泣く母娘の姿を見ていた。




それが、どうしようもなく美しいと思えた。




他人の家庭のことだ。

共鳴していたら、きっと茶番のように思えたかもしれない。

見せかけの感情だと、冷めた目で切り捨てていたかもしれない。


でも──

なのに。


気づくと、視界が揺れていた。


カナメは、ただ立ち尽くし、

声も出せないまま──泣いていた。




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