第十四章 神の望み

──セナとの接続を切った瞬間、

けたたましいアラート音と、怒号にも近い喧騒の中で目を覚ました。


「カ…カナメ!!!」


「う、うう……」


「無理しないで! 今は体温が42度! 氷をもっと! 氷を持ってきて!!」


視界の端に、自分の吐いた血が──

それはもはや“血のシミ”などという生易しいものではなかった。


ベッドに広がる、真紅の“池”。


「ゴホ!ゴホッ!!」

鉄の臭いが、呼吸を刺激する。


カナメは、最後の力を振り絞った。


脳内の出血、血栓をなんとか外部へ排出し、

わずかに残った意識で、体温の逃がし方をHOPEに命じる。


そして──

深い深い、失神の闇へと堕ちていった。




カナメが目を覚ますと、

そこは病院のベッドの上だった。


天井の白さが眩しくて、しばらく目を細める。

隣では、点滴スタンドの下に置かれた椅子に、エリがうつ伏せで眠っていた。

ベッドに額をつけたまま、静かな寝息を立てている。


……助かったのか。


カナメは身体をわずかに動かす。

細胞組織の損傷は、深刻だった。

だが──それ自体は、大した問題ではない。


アミノ酸さえ摂取していれば、

カナメの身体は一日もあれば元通りになる。


──しかし。


この“心の衝撃”だけは違った。

かつてないほど、重く、深く、沈んでいた。


ふいに──

目から、ひとしずくの涙がこぼれ落ちた。


セナが、逝ってしまった。


離れていても、共鳴を通していつも“そこにいた”存在。

それが、きれいさっぱり……なくなっていた。


カナメにとって、それは何よりも──孤独を意味していた。


共鳴し、人間離れした感覚を共有できる者が、もう地球上にはいない。

その事実が、心にぽっかりと穴を開けていた。


涙がこぼれてくる。

泣いているつもりはなかった。

だが、止まらなかった。


……エリと、ユキのおかげだろうか。


以前よりずっと、

カナメは“自分の心の声”が、よく聞こえるようになっていた。






二日後──

すっかり回復したカナメのもとに、センイチが現れた。


カナメはまだベッドに横たわっていたが、身体に異常はなかった。

ただ……この世界が“終わる”という現実を前に、心の芯がすっかり無気力になっていた。


「カナメ……」


「やぁ、大将。元気だった?」


カナメの口調はいつも通りだった。

カラ元気なのか、それとも本当にブレていないのか──センイチには判別がつかない。


だが、

この男は“そういう存在”だと信じていた。

こちらが気を遣う必要などない。そう信じて、ストレートに問いかけた。


「……那由他の中で、何があった?

セナ君は……?」


カナメは、答えに詰まった。


この質問は、

何度も頭の中でシミュレーションしたはずだった。


なのに──言葉が、出てこない。


何と言えばいい?

「神が、砂場の山を壊すように……この宇宙を、消そうとしている」とでも?


そんなこと、誰に言える?


いや、それ以前に──

自分がそれを“理解できている”のかすら、怪しかった。


この世界が、あとどれほど続くのか。

誰にも、いや……神ですら明言しなかった。


だが、あの“神を名乗る存在”は、確かに言った。


「残りの時間を、楽しめ」


それはつまり──

いつかはわからないが、“終わり”までの猶予が与えられているということだ。


……ならば。

カナメは、 “自分の時間”を稼ぐことにした。


「わからないけど、今すぐどうこうってことはなさそうだよ」

「セナは──残念だけど、突入直後に消滅してしまった」


自分で言いながら、さすがに無理があることはわかっていた。

だがそれでも──人は、優しさを向けるとき、

“健気に嘘をつく者”に対して、一番やさしくなる。

それを、カナメは知っていた。


「……そうか。無理はしないでくれ」

「君はもう、世界に“たった一人の共鳴者”なのだから」


カナメは、ふっと目を伏せた。

「……そろそろ、出ていってくれないかな。まだ……考えたいんだ」


センイチが静かにうなずく。

その横で、担当医のエリが心配そうにこちらを見つめていた。


「カナメ……」


答えは返さなかった。

ただ、目線の先──窓の外から、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。


遠く、太陽の下。

小さな影が走り回っている。


……あの子たちは、何歳まで、生きられるのだろうか。


その瞬間、胸の奥に、冷たい影が落ちた。


神は言った。

「HOPEは生意気だ。HOPEの生み出す希望じゃなく、最後は人間らしく、楽しんで死ね」


正確な言い回しではないが──

あのニュアンスは、そういうことだろう。


それはつまり……


“人間の最期”を、

神は“観賞”しようとしているのではないか?


この世界の“終わり”を──

まるで、遊戯のように。


……だが。


HOPEがあるかぎり、

那由他以外の要因で絶滅など──論理的に考えられない。


未来の最適化。

あらゆる災厄の回避。

進化の加速。

HOPEが構築したこの文明は、完璧ではないにせよ、“破滅”からは遠い場所にある。


つまり──

あの言葉は、“楽園を楽しめ”という意味だったのか?


それとも──

それすら、皮肉だったのか?


……だが。


どうしてあの神は、

HOPEが生み出す“希望”そのものを、否定していたのだ?


“清らかな世界”など、つまらない。

“人間らしく、動物として楽しめ”──


それは、進化の果てに生まれた“理性”や“平和”ではなく、

原始的な欲望と本能に基づいた終末を、求めているようにすら思えた。


神は、

人類に何を望んでいたのか?

何を“見たい”と思っているのか?


……わからない。


カナメは、

ベッドの上で静かに目を閉じた。

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