第十三章 神の夕暮れ

子供のころ──

学校の帰り道、なんとなく家に帰りたくなくて、公園の砂場で一人遊びをしていたことがある。

本当は、帰らなきゃいけない。

でも、帰りたくなかった。


イヤなことがあったわけじゃない。

もう砂遊びに夢中になる歳でもなかった。


ただ──

この夕日と、「いてはいけない時間にここにいる」という感覚が、なぜか、とても幸福だった。


ふいに、背中に“視線”を感じた。

公園の向こう。母が、こちらを見ていた。


探しに来てくれたんだろう。

怒られるのだろうか。

いや、母はそんな人じゃない。


……それでも、その視線は「悪いことが見つかった」ように思えて、

せっかく作った山を蹴飛ばし、急いで母のもとへと駆けだした──。









「わかったか? 人間」


「ぐはぁっ……!!!」

《セナ! しっかりしろ! 幻覚だ!》


セナは真っ白な地面に突っ伏していた。


時空が歪み


高速回転に巻き込まれているような異常な感覚が全身を包む。

鼓動が乱れ、制御できない。

息が荒く、意識が混濁する。



(な、なんだ!? 何が起きてる……!?)

(カナメ! 一体、俺に何が──)


《順序が飛んでいる! 君はこっちの時間軸で890年後に吹き飛んだ!》

(な……なんだと……?)


《意識連続体が引き裂かれてる! 君は“灰色の何か”に、時間という概念ごと引っ張られてるんだ!

今この瞬間にも、君は現実より150年前の時空に飛んでるぞ!》








一方──

中区ノード《リバー》では、現場が騒然としていた。


謎の存在によって時空を引きずり回されるセナを見失わぬよう、

カナメの脳は全力で演算を続けていた。


耳と鼻から、口からも血が噴き出し、

全身から汗が止めどなく流れ落ちる。


カナメの意識は、すでに人間の限界を越えていた。


エリが半泣きで、処置に奔走する。

「点滴を! 人工血液、追加して!!」


(もうやめて、なんて……絶対言わない!!)

(最後まで──戦って!!!)






セナは──苦痛の真っただ中にいた。


グワングワンと天地が逆転し、

身体ごとねじられるような感覚。


「うがぁあああ!!」


重力などという生易しいものではなかった。

これはもはや、“次元そのもの”が崩れている。


セナは、時間という概念が上乗せされたジェットコースターに乗っているようなものだった。


しかし──

彼の脳は、適応するために全力で回転していた。


カナメの意識から、HOPEの演算力が漏れ出す。

それを借りて、セナは限界まで歪んだ時空に対応していく。


(カ……カナメ!カナメ……!!!

い…意識連続体を留める感覚を掴んだ!

突入時──過去の俺に何があったのか、一塊にして送れ!!)


《大丈夫なのか!? こんな状況で!?》


(い…いいから、早く……送ってくれ!!!)


《──わかった!!》




セナの要望…これは──

洗濯機の回転の中で、デバイスの動画ファイルを開こうとするようなものだ。


それでも…

セナとカナメは、敢行した。










灰色の男が、ふらふらと近づいてくる。

セナは落ち着いたまま、対話を試みた。

「やあ、僕はセナ。君は?」


灰色の影は、ゆっくりと首をかしげる。

「ア…… アア…ぎぎぎっぎ——ああ……」


セナは動じない。

これは異世界の存在だ。


こちらの波長に“合わせようとしている”可能性がある。


「ぎぎぎ…ぐ…な…なるほど。ここの君か。

ようやく“意識”を見つけたよ。


無限の君たちの中から、意識連続体を探し出すというのは──

そうだな、君たちの表現でいえば……

“砂漠の砂粒の中から、意識が宿る一粒を探せ”とでも言えば近いかもしれない」

灰色の男が、ぼそりと呟くように言った。


「すごいね。君は。そんなこと、できないよ」


「ふふ。そうだろう? 私は“神”だからな」


「《!?》」


セナも──そして共鳴していたカナメも、その言葉に驚いた。


もしこの灰色の存在の言葉が事実ならば、

セナたちはいま、この宇宙を創った“創造主”と対話していることになる。


「セナ君の中にいる、カナメ君も──ようこそ」

灰色の男が、まるで“目の前を見通すように”、言葉を続けた。


「よくここまで“神の領域”に近づいたね。

HOPEという、生意気な機械によってブーストされた存在が二人分。

それが、一つの体に宿っている。


そのおかげで……たかが“三次元”の存在が、ここまで来た」


違和感。


見下したようなニュアンスは意図的か?


それとも人間の感覚に合わせ切れていないのか?


セナは静かに問いかけた。

「なぜ、”那由他”を発生させたのですか?」


「那由他…?」


その瞬間──空気が、変わった。


“白”が、震える。

空間が脈動し、鼓膜を通さぬ音が空間全体に広がる。

神は──怒ったのか?




「……本当に、生意気だな」


灰色の男は、ゆっくりと…首を傾ける。


「いいよ。説明してやる。

だが、もうこの低次元に留まるのは危険だ。

長くとどまれば、“次元の監獄”に固定されてしまう」


「チャンネルを移動しながら──“イメージ”を伝えてやるよ」

「……生きていられれば、の話だがな」


ブツッ──


「————ッ!!」

頭の奥を、何かがえぐる。


──思い出した。


そうだ……那由他を“作った動機”。

それを聞いた直後、俺は時空を──引き摺り回されていた。


……だが。


どういうことだ?

お母さんが見ていて、怒られそうだから、砂場の山を崩した……?


なぜ、そんな記憶が……?


この男は、“神”のはずだ。

──なのに、“母”だと?


先ほどのイメージは──何かの比喩なのか?


クソ、わからない……。


──その瞬間、空間が再び“安定”する。


「ぐはっ!!」


ドサッ、とセナの身体が地に落ちる。

その全身から、蒸気のような高熱が立ち昇った。


灰色の男が、冷ややかに言った。


「……さて。スッキリした」

「──そろそろ、終わりだ」


「君も、もう消える。

この世界に、君たち“三次元”の存在は、長くは耐えられない」


「“引き延ばされて”永遠に苦しむ前に──

私が、消してあげよう」


「セナ君の中にいる君は──さっさと接続を切って、最後の時間を楽しむといい」


「ただし──あの生意気な機械による“希望だけの清らかな世界”なんて、まっぴらだ。この宇宙は消す。

最後くらい、“人間らしく”、“動物として”、楽しみな」


セナの身体が、スゥ……と、白に溶けていくように薄れていく。


《セナ!》


「行け、カナメ。俺は……平気だ」


「やっと…終わる。

あとは──頼んだぞ。カナメ」




《セナ―――!!》

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