第十三章 神の夕暮れ
子供のころ──
学校の帰り道、なんとなく家に帰りたくなくて、公園の砂場で一人遊びをしていたことがある。
本当は、帰らなきゃいけない。
でも、帰りたくなかった。
イヤなことがあったわけじゃない。
もう砂遊びに夢中になる歳でもなかった。
ただ──
この夕日と、「いてはいけない時間にここにいる」という感覚が、なぜか、とても幸福だった。
ふいに、背中に“視線”を感じた。
公園の向こう。母が、こちらを見ていた。
探しに来てくれたんだろう。
怒られるのだろうか。
いや、母はそんな人じゃない。
……それでも、その視線は「悪いことが見つかった」ように思えて、
せっかく作った山を蹴飛ばし、急いで母のもとへと駆けだした──。
◇
「わかったか? 人間」
「ぐはぁっ……!!!」
《セナ! しっかりしろ! 幻覚だ!》
セナは真っ白な地面に突っ伏していた。
時空が歪み
高速回転に巻き込まれているような異常な感覚が全身を包む。
鼓動が乱れ、制御できない。
息が荒く、意識が混濁する。
(な、なんだ!? 何が起きてる……!?)
(カナメ! 一体、俺に何が──)
《順序が飛んでいる! 君はこっちの時間軸で890年後に吹き飛んだ!》
(な……なんだと……?)
《意識連続体が引き裂かれてる! 君は“灰色の何か”に、時間という概念ごと引っ張られてるんだ!
今この瞬間にも、君は現実より150年前の時空に飛んでるぞ!》
一方──
中区ノード《リバー》では、現場が騒然としていた。
謎の存在によって時空を引きずり回されるセナを見失わぬよう、
カナメの脳は全力で演算を続けていた。
耳と鼻から、口からも血が噴き出し、
全身から汗が止めどなく流れ落ちる。
カナメの意識は、すでに人間の限界を越えていた。
エリが半泣きで、処置に奔走する。
「点滴を! 人工血液、追加して!!」
(もうやめて、なんて……絶対言わない!!)
(最後まで──戦って!!!)
セナは──苦痛の真っただ中にいた。
グワングワンと天地が逆転し、
身体ごとねじられるような感覚。
「うがぁあああ!!」
重力などという生易しいものではなかった。
これはもはや、“次元そのもの”が崩れている。
セナは、時間という概念が上乗せされたジェットコースターに乗っているようなものだった。
しかし──
彼の脳は、適応するために全力で回転していた。
カナメの意識から、HOPEの演算力が漏れ出す。
それを借りて、セナは限界まで歪んだ時空に対応していく。
(カ……カナメ!カナメ……!!!
い…意識連続体を留める感覚を掴んだ!
突入時──過去の俺に何があったのか、一塊にして送れ!!)
《大丈夫なのか!? こんな状況で!?》
(い…いいから、早く……送ってくれ!!!)
《──わかった!!》
セナの要望…これは──
洗濯機の回転の中で、デバイスの動画ファイルを開こうとするようなものだ。
それでも…
セナとカナメは、敢行した。
◇
灰色の男が、ふらふらと近づいてくる。
セナは落ち着いたまま、対話を試みた。
「やあ、僕はセナ。君は?」
灰色の影は、ゆっくりと首をかしげる。
「ア…… アア…ぎぎぎっぎ——ああ……」
セナは動じない。
これは異世界の存在だ。
こちらの波長に“合わせようとしている”可能性がある。
「ぎぎぎ…ぐ…な…なるほど。ここの君か。
ようやく“意識”を見つけたよ。
無限の君たちの中から、意識連続体を探し出すというのは──
そうだな、君たちの表現でいえば……
“砂漠の砂粒の中から、意識が宿る一粒を探せ”とでも言えば近いかもしれない」
灰色の男が、ぼそりと呟くように言った。
「すごいね。君は。そんなこと、できないよ」
「ふふ。そうだろう? 私は“神”だからな」
「《!?》」
セナも──そして共鳴していたカナメも、その言葉に驚いた。
もしこの灰色の存在の言葉が事実ならば、
セナたちはいま、この宇宙を創った“創造主”と対話していることになる。
「セナ君の中にいる、カナメ君も──ようこそ」
灰色の男が、まるで“目の前を見通すように”、言葉を続けた。
「よくここまで“神の領域”に近づいたね。
HOPEという、生意気な機械によってブーストされた存在が二人分。
それが、一つの体に宿っている。
そのおかげで……たかが“三次元”の存在が、ここまで来た」
違和感。
見下したようなニュアンスは意図的か?
それとも人間の感覚に合わせ切れていないのか?
セナは静かに問いかけた。
「なぜ、”那由他”を発生させたのですか?」
「那由他…?」
その瞬間──空気が、変わった。
“白”が、震える。
空間が脈動し、鼓膜を通さぬ音が空間全体に広がる。
神は──怒ったのか?
「……本当に、生意気だな」
灰色の男は、ゆっくりと…首を傾ける。
「いいよ。説明してやる。
だが、もうこの低次元に留まるのは危険だ。
長くとどまれば、“次元の監獄”に固定されてしまう」
「チャンネルを移動しながら──“イメージ”を伝えてやるよ」
「……生きていられれば、の話だがな」
ブツッ──
「————ッ!!」
頭の奥を、何かがえぐる。
──思い出した。
そうだ……那由他を“作った動機”。
それを聞いた直後、俺は時空を──引き摺り回されていた。
……だが。
どういうことだ?
お母さんが見ていて、怒られそうだから、砂場の山を崩した……?
なぜ、そんな記憶が……?
この男は、“神”のはずだ。
──なのに、“母”だと?
先ほどのイメージは──何かの比喩なのか?
クソ、わからない……。
──その瞬間、空間が再び“安定”する。
「ぐはっ!!」
ドサッ、とセナの身体が地に落ちる。
その全身から、蒸気のような高熱が立ち昇った。
灰色の男が、冷ややかに言った。
「……さて。スッキリした」
「──そろそろ、終わりだ」
「君も、もう消える。
この世界に、君たち“三次元”の存在は、長くは耐えられない」
「“引き延ばされて”永遠に苦しむ前に──
私が、消してあげよう」
「セナ君の中にいる君は──さっさと接続を切って、最後の時間を楽しむといい」
「ただし──あの生意気な機械による“希望だけの清らかな世界”なんて、まっぴらだ。この宇宙は消す。
最後くらい、“人間らしく”、“動物として”、楽しみな」
セナの身体が、スゥ……と、白に溶けていくように薄れていく。
《セナ!》
「行け、カナメ。俺は……平気だ」
「やっと…終わる。
あとは──頼んだぞ。カナメ」
《セナ―――!!》
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