第八章 人間同士の会話

かつて、カナメとセナには「接近禁止命令」が出されていた。

それは──“行き過ぎた知性”が、結託して人類を敵視しないかという恐れからだった。

互いの情報は厳重に遮断され、管理下に分離されていた。


だが、今は違う。

那由他の拡張により、世界の終焉が現実味を帯び、HOPEに世界が支配されたこの時代──

国家は“例外”を許容した。二人の接触が、再び正式に認められたのだ。


セナは—―人類を、嫌悪していた。

カナメと共有するまでもない。

それは彼の知性が自分と同格であると理解していたからだ。


人間は醜く、非効率で、感情に振り回され、何も生み出さない。

進化の袋小路でうごめく存在。

セナはそんな下等生物の管理下に置かれ、知識の貢献だけを求められ、

「貴重なリソースゆえに自己終末すら許可されない」──

彼にとって、この状況は、

チンパンジーの群れの中で一生を過ごすよう、強制されているに等しかった。




都市の区画から離れた自然環境保護区。


そこにあるカナメのお気に入りスポットに二人はいた。


都市を一望でき、程よい木漏れ日と風が楽しめる。


ふいにのどかな沈黙が破られる。


「カナメ」


「ん?」


セナは珍しく、“共鳴”ではなく言葉で語りかけてきた。


それだけで、カナメには意図がわかった。

──今、彼は「人として」問いかけようとしている。


「君はこの世界が、消えることを……阻止したいのか?」


カナメは少しだけ視線を外し、短く息を吐いた。


「どうだろうね。……でも、君もわかってるだろ?

人間社会はとっくに、緩やかな“集団自決”のフェーズに入ってる。

HOPEがなければ、人類はすでに絶滅していてもおかしくない。」


セナは視線を逸らさない。まばたきすらせず、じっとカナメを見つめていた。

「なら、“那由他”は運命だ。抗う必要なんてない」


「……そうかもね。でもさ──僕は見たいんだよ」

カナメは静かに言った。

「絶望に立ち向かう人類を。無様でも、醜くても、それでも前に進もうとする姿を」


「そんなこと、できるものか。」

セナの声は凍てつくように低かった。

「今の人類が何をしているか、君も知っているはずだ。

ひたすら“目”で得られる快楽を貪り、

肉体の交わりは繁殖ではなく、自己の存在を確かめるための儀式になっている。

HOPEに管理されても、闘争は消えなかった。

“希望”の弱い子供はいまだに殴られ、

泣きながら自分の罪を想像している。

──それでも君は、そんな連中を“信じたい”と言うのか?」


沈黙が落ちた。

カナメは反応を返さず、ただ視線を宙に漂わせる。

その静寂は短く、しかし痛いほど濃かった。


やがて、彼は小さく息を吐き、問いかける。

「ねえ、セナ。君は“この宇宙”を……神が創ったと思う?」


セナは即答した。

その声音には、わずかな哀しみと鉄のような確信が混ざっていた。


「神?──そんなものは、社会秩序と道徳を人類に刷り込むための“装置”だ。

恐怖から逃れるために発明された幻想。

人類は“理解できないもの”を人格化し、対話できる形に変えて安心する。

それが“神”という形式の正体だよ。」


カナメはわずかに笑った。

その笑みは静かで、どこか決意を帯びていた。


「僕は違う。この世界は“神”が創ったと思ってる。

それも──“悪い神”が。」


セナの眉がわずかに動いた。

その瞬間、空気がわずかに震える。


「だからこの世界は、醜くて、不条理で、HOPE下ですら悪がなくならない。

君がこの世界を嫌いなのも、僕はよくわかるよ。」


「だったら──なおのこと、滅びるべきだろう。」

セナの声は静かだったが、その奥に氷のような怒りが滲んでいた。

「“悪の創造物”など、残しておく理由はない。」


「……でもさ、僕の好きな神話はこう言ってる。」

カナメの声に、少し熱が宿る。

「“悪の世界だからこそ、自分の中に眠る光を信じろ”──ってね。」


セナは一瞬、視線を逸らした。

沈黙のあと、わずかに息を吐き、低くつぶやく。


「……グノーシス、か。」


その声には、理性の鎧の奥で何かが軋むような揺らぎがあった。

ほんの一瞬、セナという存在から“冷徹な演算体”ではなく、“かつて信じた誰か”の影が滲んだ。


カナメはふっと息を抜いた。

「ふふ、会話もたまにはいいね。共鳴ばかりだと、この“順序”は楽しめない」


「俺は……」

セナは少し目を伏せて、ぼそりと漏らす。

「後悔しているよ。こんな世界に“接続”したことを。

さっさと、この世を去りたい」


沈黙。


だがその静寂は、決して断絶ではなかった。


カナメは応えなかった。ただ、彼の言葉を受け止めるように、ゆっくりとまぶたを閉じた。


しばらくして、セナがふっと息を吐くように問いかける。


「……ところで、リバーはなんて答えたんだ?」


「え。会話で聞くの?」


「せっかく会話してるんだ。人間らしく感じれるか試したいだろ」


カナメは苦笑したあと、まるで誰かに読み聞かせるように、ゆっくりと語り出した。



「リバーは、こう言ってる。

──この宇宙は、終わる。

それも、“宇宙の自然死”なんかじゃない。

膨張でも、収縮でもなく……“侵食”だ。

あの“手”が現れた瞬間、この宇宙の“外側”から──何かが入ってきた。

意志を持ち、選び、届こうとしていた。

僕とエリを、“エクリプス3”の、人間の声を使って“釣ろう”としたんだ。

HOPEが未来を読めなかったのも当然。

あれは、この宇宙の論理の“外側”にある。予測なんてできない。

なぜなら、“那由他”は、夢も希望も存在しない、“異なる論理”の世界だからだ。

—―“異なる現実”。

この宇宙と、絶対に共存できないもの。

それが、この宇宙を“飲み込もうとしている”。」


沈黙の中、セナが静かに頷いた。

「……さっきの神話になぞらえるなら、神の世界かもしれないな」

「それも、面白い仮説だね」

カナメはわずかに口角を上げた。

「HOPEによって狂った人類に、神が見切りをつけた。だからこの宇宙ごと消しに来た。

……あの“手”を見た僕には──じゅうぶん、現実味のある説だよ」


少しの静寂のあと、セナが口を開く。

「じゃあ──こんな手段はどうだろう」


そこから先は、先ほどまでの感情の交差とは一転。

無駄のない論理だけが飛び交う、怪物たちの会話だった。

理性と合理性が支配する、冷ややかで美しい風景が──ふたりの周囲に、静かに広がっていく。





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