第24話 賢者の魔法学講座
今日はいつもと違う金曜日になる。午前中から昼過ぎにかけては王宮でクロムに魔法学の講座を開き、夜はサルビア侯爵邸で夜会が行われる。シアンが夜会に出ることはないが、夜会が終わるまでブルーと奥の部屋で待機しなければならない。ふたりとも社交界デビューをしていないし、何よりシアンはあまり人前に出たくない。できるだけ人目に触れないようにしたい。シアンがそれを望んでいるのだ。
王宮に出向くための身支度中、マゼンタはいつもの落ち着いた色ではなく浅葱色のジャケットを選択した。普段はなるべく目立たないようにと地味で無難な色を選ぶため、少々特別な服装のように感じられる。
「今日はいつもと違う色なんだね」
「はい。クロム殿下はシアン様の特性を気にされているご様子はありませんので、シアン様の髪色と合わせると映える色にしてみました」
シアンの真っ白な髪はただでさえ目立つ。普段ならそれをなるべく抑える服装をするため、こういった色のジャケットがシアンのクローゼットにあることすら知らなかった。
「そしてなんと言ってもお洒落ですから! シアン様に絶対にお似合いになると思いましたので、こっそりご用意しておりました。私の目に狂いはなかったようです」
「そう……。いつもと違うとなんだか落ち着かないね」
「よくお似合いですよ」
姿見で見ると、確かによく似合っている。シアンの心は楽しげで、このジャケットを気に入ったようだった。
(ふむ……何を着ても似合いそうじゃの。お洒落を楽しむのも、悪くなさそうじゃ。わしは無頓着じゃからのう)
最後に髪を整えて、身支度は完了する。エントランスに行くと、セレストはすでに準備を終えて待っていた。
「あら、素敵」セレストは顔を綻ばせる。「よく似合ってるわ」
「ありがとうございます」
セレストの賞賛に、マゼンタが誇らしげに微笑んでいた。
王宮へは馬車で向かう。先日のような緊張はなく、シアンも落ち着いていることができた。シャルトルーズ王妃やクロム王太子がシリルの特性に偏見の目を向けないと確信を持ったからかもしれない。そもそもそういった類いの人々であれば、セレストが連れて行くことはしないだろうが。
「今日は失礼にならないように、なんて考える必要はないわ。クロム殿下は王位継承権をお持ちだから、相応しい能力を身につけなければならない。そのために惜しみなく知識を分けて差し上げて。それがひいてはこの国のためになるのよ」
「はい。僕の知識でお役に立てるかわかりませんが……」
シアンは、叩き込めるだけの知識を頭に叩き込んで来た。クロムがどれくらいの知識を求めているかはまだ判然としないが、どんなことを問われても答えられるはずだ。
「あなたの能力は、あなたの思っている以上よ」セレストは微笑む。「それは必ず誰かの役に立つわ」
「はい。そうなれるよう尽力します」
賢者の知恵は役立たせてこそ本領を発揮する。知識は頭の中に叩き込ませるだけでは意味がない。知識は利用するもの。身につけるだけでは必要性がなくなるものだ。
王宮では、女官のスプルースがふたりを待っていた。簡素な挨拶のあと、スプルースは宮廷内のリビングのような一室にふたりを案内する。すでにシャルトルーズ王妃とクロム王太子がシアンとセレストの到着を待っていた。
「ふたりとも、よく来てくれましたね」
リビングにいる女官はスプルースだけであるため、シャルトルーズの挨拶は親しみを込めたものだった。シアンとセレストも堅苦しくすることはなく、簡素な辞儀で招待の礼を言う。クロムは相変わらず仏頂面だった。
「シアンちゃん、また会えて嬉しいわ」シャルトルーズが微笑む。「ごめんなさいね、クロムがわがままを言って」
「いえ、僕を選んでいただけて光栄です。どこまでお力になれるかわかりませんが……」
「よろしくお願いしますね。私とセレストはお茶をしているから、どうぞ気にしないでちょうだいね」
「はい」
どれくらい必要になるかわからなかったため、シアンは収納魔法に詰め込めるだけの参考書と資料を詰め込んで来た。クロムがどんな知識を欲しても対応できるはずだ。
セレストとシャルトルーズは窓際のソファに腰掛け、スプルースがお茶を配膳する。シアンとクロムは反対側のテーブルに着いた。シアンは体が小さくソファからテーブルに手を伸ばすのは辛いため、いつものようにソファを背もたれにするようにカーペットに腰を下ろす。
「さあ、どこから始めましょうか」
「張り切っているな」
人に物を教えるのはシアンになってから初めてだ。知識の披露とまでは言わないが、人の役に立てるなら本望だ。
「どこまで詳しくご教授しましょうか」
「基礎から頼む。何も知らないからな」
「かしこまりました」
シアンは収納魔法から魔法学の初歩の参考書を取り出し、基礎中の基礎のページをテーブルに開いた。
「魔法は、大気に含まれる物質『マナ』と人間の有する『魔力』で成り立っています」
「マナというのは?」
「この世界のどこかに存在すると言われるマナの大木『世界樹』から、大地に張り巡らされた根を通して供給するとされる、すべての生命の源と言われる物質です」
マナという成分は確かに存在しているが、世界樹についてはただの伝承と言う者もいる。どこから流れて来る物質なのか、何によって構成されているエネルギーなのか、どちらも解析されていないからだ。現在の人間の知識と技能では、解析するのは不可能だとされている。謎に包まれた物質だ。
「随分と曖昧な物なんだな」
「この大地が生まれて数千年、その正体を掴めた者はいません。それでも、空気中に含まれ、魔法を使用する際に消費されることだけは確かです」
クロムは不思議そうにしているが、シアンも説明できるのはここまでだ。魔法学研究員が命を賭しても解明できなかったものを、研究設備を持たなかった賢者が解き明かすことはできない。マナの解析は魔法学の永久の課題なのだ。
(それにしても、良い目じゃ。ベルディグリ家の魔法の血筋を引いておるし、方法を知れば自力でも対処法を見つけ出せそうじゃの。わくわくする伸び代じゃ)
シアンは次に、魔法の仕組みが書かれたページを開く。
「先日も申し上げた通り、魔法の種類は『マナ』『空間』『能力』『攻撃』『防御』の五種類に分類されます」
「それ以外の魔法はないと考えてもいいのか?」
「はい。大まかな分類ではありますが、どんな魔法でも、必ずこの五つのうちのどれかに当てはまります」
「なるほどな」
細分化させるとその五種類の中でもいくつかの種類に分けることができるが、五種類の対処法を把握しておけばどんな魔法にも対応できると賢者は考えている。
「まず『マナ』は大気のエネルギーを消費して使用する魔法です。『空間』は収納魔法などの空間に干渉する魔法です。能力は『鑑定』『耐性付与』『耐性無効化』など能力値に関する魔法。『攻撃』は攻撃魔法、『防御』は防御魔法です」
五つの魔法の仕組みを頭に入れておけば、万能型のスキルを身につけることで対処は可能だ。いまここで細分化させた部分まで詳細に説明する必要はないだろう。
「剣術で対応するには」と、クロム。「魔法を上回るスキルを身につけるしかないということだよな」
「はい。そういったスキルを使用すれば、魔法の発動を防ぐことも、打ち破ることも充分に可能です。スキルを極めれば、魔法と同等の効果を得ることも期待できますよ」
そのスキルを身につけるには高い熟練度が求められるが、それはクロムも承知していることだろう。シアンはクロムにはそれが可能であると確信し、それはクロムも同じはずだ。
「宮廷魔法使いと演習をされるといいと思います。スキルは天啓と言われていますし、模擬戦で習得できるものもあるかもしれません。最も手っ取り早いのが実戦ですから」
「それなら、ついでと言ってはなんだが、お前に頼みたい」
それはシアンにとって意外な提案だった。きょとんと目を丸くするシアンに、クロムは小さく息をつく。
「宮廷魔法使いたちは俺に対して遠慮する。そのせいで魔法をちゃんと使わないんだ」
(下手なことをして怪我させるわけにはいかんからのう……)
クロムは魔法に対処する方法を知らない。そんな相手に本気で魔法を使えば、対応できず負傷する可能性が高い。宮廷魔法使いたちはそれを恐れ、本気を出すことができないのだ。
「僕でよろしければ、ぜひ。ご許可がいただけるのでしたら」
そう言ってシアンが微笑むと、クロムは安堵したように頷く。きっと許可はなんとしてももぎ取って来るのだろう。
「では、ひとつずつご説明しますね。まずはマナの魔法です。マナの魔法は、外部から取り込むマナと自身の有する魔力を掛け合わせて発動させる魔法です。マナと魔力を組み合わせれば、どんな魔法だって使えるようになります」
「その分だけ種類が増えるということか」
「はい。それを破るには、術者からマナを遮断する必要があります。マナの魔法は、使用する際に術者を取り巻くマナが微かに変動します。それを察知するために『マナ感知』のスキルを身につけるとよろしいかと。一瞬の感知が勝敗を決めることになりますね」
対魔法戦で『マナ感知』は重要なスキルである。しかし身につけるのは比較的に簡単だ。このスキルを使用することで剣術だとしても有利に戦うことも可能になるだろう。
「マナ感知を身につければ」と、クロム。「マナがどういうエネルギーか判別できなくても打ち破ることができるのか?」
「スキルを身につけるにはマナを判別できるようになる必要がありますが、習得するための演習で判別できるようになるはずです。マナ感知は肌に触れる感覚と言いますし」
「なるほどな」
マナを感知することができる者であれば、肌に触れるマナの微かな変動を敏感に察知することができる。マナと魔力では「感触」が違う。まずはそれを感じ取る練習が必要だ。
「お手を貸していただけますか?」
シアンが手を差し出すと、クロムは右手をシアンに預ける。シアンはクロムの手に左手をかざし、微量の魔法を発動した。クロムを傷付けないために、回復魔法を注ぎ込む。
「これがマナを取り込んだ回復魔法です。それと……」
シアンはまた別の方法で同じ魔法を発動する。シアンにとってその調整は難しいことではなく、大した労力ではない。
「いまのが魔力のみの回復魔法です」
クロムはその判別ができなかったようで、怪訝に眉をひそめた。マナの魔法は攻撃系の魔法のほうが判別しやすいが、まさか攻撃魔法をかけるわけにはいかない。さらに「マナ感知」はほんの僅かな違いを察知する必要がある。回復魔法だとしても判別できるようになる必要があるだろう。
「この微かな違いを感知することができれば、マナの魔法はどんな魔法でも対処することができるようになります。ただし、マナを感知した瞬間に攻撃に転ずる必要がありますので、感知して終わりではありません」
「なるほどな。もう一度かけてくれ。まったくわからない」
シアンは先ほどと同じように、マナの回復魔法と魔力の回復魔法を順番にかける。クロムは手のひらに意識を集中していたが、観念するように首を振った。研磨されていない感覚では、まだ判別するのは難しいことだろう。
(感心、感心。実に見事な意欲じゃ)
何度か繰り返してもクロムが判別することはできず、まだ時間がかかりそうだからと次へ進むことにした。
「空間魔法は戦闘に使用することはありませんので、特に対処法はありません」
「空間に干渉して攻撃を直接に届かせることはないのか?」
「空間魔法と攻撃魔法を同時に使うことはできません。使おうとすればどんな熟練の魔法使いでも倒れてしまいます」
九十八のじじい賢者であっても、空間魔法と攻撃魔法の併用は至難の業だ。できないことはないが、そんな高度な技術に頼るくらいなら魔法攻撃の範囲を広げるほうが現実的だ。
「能力系は、実戦においては『耐性無効化』だけ意識していれば充分です。極めれば『耐性無効化無効』というスキルを身につけることができますよ」
「対魔法戦で必須になりそうなスキルだな」
「はい。魔法を弾くためのものですから相当な鍛錬が必要なスキルになりますが、積極的に取得したいですね」
その鍛錬に耐えることのできない者なら教える必要のない知識だ。クロムならこなせると確信しているため授けるのだ。
「次に、攻撃魔法は術者の魔力のみで発動する魔法です。魔法発動の瞬間にマナが動かなければ魔力のみの魔法です」
「それも『マナ感知』か」
「はい。それさえ察知してしまえば、剣術でも充分に弾くことが可能です。いくつかの技術を身につければ、どんな攻撃魔法でも対応することができるようになります」
世の中には、対魔法戦において魔法使いの能力をはるかに凌駕する騎士がいるのは確かだ。戦いは能力値で決まる。いくら優秀な作戦でも敗北する可能性はいくらでもあるのだ。
「防御魔法は術者の魔力のみで発動する魔法で、魔力が内に向くのでわかりやすいです。ただ、防御魔法は発動を阻害する隙はないと思っていても差し支えありません」
「自分に向けて発動するから、外部へ放出するより発動が早いということか」
「はい。ですので、発動後に破壊する必要があります。それもスキルで対応できますし、そのためのスキルはいくつかあります。どれかひとつでも身につければ充分に対処できるでしょう。ただ、防御魔法の破壊は戦闘中での優先度は低いと考えても問題ありません」
「防御を上回る攻撃をすればいいんだな」
「その通りです。ただ、スキルを取得できるならしておいても損はありませんし、破壊できる隙を突くことができるならそれに越したことはありません」
「その辺りも戦術に関わってくるということだな」
「はい。スキルを身につけた分だけ戦術を増やせます。取得できるだけ取得しましょう」
魔法使いが魔法を破る方法を伝授するのもなんだか奇妙な話だ、と賢者は今更になって思った。とは言え、クロムと戦闘を交わすことは万がいちにもないだろうから、シアンの使える魔法を全公開したとしても問題はないだろう。
「解説してしまえば魔法も単純なものだな」
「はい。ただ、魔法使いも対処法は把握していますから、対処法への対処法も身につけているはずです」
「どれだけ早く相手の能力を見抜くかにかかっているんだな。あとは騙し合いか?」
「その通りです。鍛錬すれば鍛錬するだけ能力は伸びます。鍛錬することは知ること。知識を増やすことです。あとは演習を繰り返せばコツを掴めるはずです」
弟子の演習にも何度も付き合ったが、中には「鬼!」と言って半べそをかいていた者もいる。賢者がそれだけの魔法を身につけていたのだから仕方ない。それが鍛錬というものだ。
「熟練の魔法使いは自分で編み出したの魔法を使う可能性もありますが、感知能力が高ければ対応できます」
「剣術も同じように考えると、感覚をいかに高く研ぎ澄ませるかという勝負になりそうだな」
「はい。その通りです」
他に教えるものはあるだろうか、と収納魔法に入れた本を頭の中で並べる。対魔法戦の基本は余すところなく伝えたため、今後に必要なのは模擬戦に近い演習だろう。
「失礼いたします」
凛とした声に、シアンとクロムは顔を上げる。視線が集まるまで辞儀をして、女官のスプルースが言った。
「昼食のご用意ができました。ダイニングへお越しください」
もうそんな時間か、とシアンは時計を見遣る。得意分野となるとつい熱がこもってしまったが、クロムは満足げな表情に見えた。充分に知識を伝授できたようだ。
「昼食後もまだいるんだろ? できれば演習に付き合ってくれないか」
「はい。僕でよろしければ」
許可が下りるかはわからないが、クロムの熱意は賞賛に値する。次期国王という地位への気概は充分で、賢者にはその成長が楽しみだった。
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