第4話 占えない占い師

週末の午後、『とまりぎ』の店内はいつもと同じ穏やかな空気に包まれていた。

カウンターに座る内川は、今日も一息つくためにコーヒーを待っていた。


その時、店のドアが静かに開き、見慣れない女性が入ってきた。

四十代後半ほどで、落ち着いた雰囲気を漂わせながらも、どこか不器用さの残る笑顔。

手にはノートと占い道具を抱えている。


徳田はいつものように「いらっしゃいませ。空いているカウンター席へどうぞ」と、

笑みを絶やさず、優しく声を掛けた。


入ってきたのは倉敷 佳世(くらしき かよ)、四十八歳。

二十代の頃に出会った占い師の結果に驚き、その的中ぶりに魅せられたことが転機となり、

OLから占い師へ転身した。

占いは独学で学びながら、西洋占星術を中心に勉強していた。


佳世はマスターにオリジナルブレンドを頼んだ。

マスターである徳田は「かしこまりました。少々お待ちください」

というとカウンターの奥へコーヒーを淹れに行った。


一つ空いた席に座っていた内川に佳世が何の前触れもなく、

「今日は占いの練習をさせていただきたいんです」

佳世は切羽詰まった様子ので言った。

内川はその勢いに少しおののきながらも、心の中で—どれどれ、

どんな占いかな—と興味を惹かれた。

占ってもらったが、どれも外れていた。

内川は苦笑いしながら、

「当たっていそうで、当たっていないかもしれないですね」

言葉を濁して相手に伝える。

佳世はがっくり肩を落とす。


コーヒーのホッとする香りが佳世を慰めているかのようだ。

徳田はカウンターに「おまたせしました。ブレンドコーヒーです」

と、いつもに増して丁寧に佳世の前に置く。

佳世はそのコーヒーに砂糖を一個入れると、自分の頭の中のように

グルグルとかき混ぜ、ゴクリと一口飲んだ。


ほろ苦いコーヒーにほんのりと甘い砂糖の風味が

言葉に出来ないほどの美味しさを醸し出していた。

これほど美味しいコーヒーを飲んだのはいつぶりだろうか。

コーヒーの美味しさに浸るように、占いについても考えを巡らせていた。


内川の言うように、彼女の占いは結果が外れることばかり。

評判も最低ランクに近く、生活は不安定で、占いの報酬だけでは家計を支えきれず、

短期間のアルバイトを掛け持ちして日々をしのいでいた。

二十年占いをやってきたが、喜んでくださるお客様と不満げに帰るお客様が半々で、

名前も売れず、生活も毎日がその日暮らし同然だった。


「…はぁ。どうしたらよいのかわからないわ…」

そう呟き佳世はコーヒーを飲み終える。


鋭い観察眼で徳田は佳世の苦悩をその表情から読み取ると

「お客様、申し遅れましたがわたくしここでマスターをしております。徳田と申します。

見るにお客様は何かお困りでいらっしゃいますね」


佳世は狐につままれたような顔をして、それでも藁にもすがる思いで、

「ええ、そうですね。長年、問題を抱えておりまして。私は倉敷 佳世と申します。

先ほど、内川さんとのやりとりで、ご存知と思いますが占い師をやっております」


徳田はいつもの優しい微笑みを見せながら佳世に尋ねる。

「そのようですね。占いとはどこかで勉強されたのですか」

佳世は少し恐縮しながらも

「基本的に独学で学びました。昔憧れた占い師の方がいたのです。

その方のようになりたくて。でも人生うまくいないものですね。」

佳世はカップを両手でもちコーヒーを啜る。


そんな佳世の様子を観察しながら徳田は

「占いのことはわかりませんが、人の人生、どこかに何かが転がっているか

誰にもわかりませんよ。佳世さん、老婆心ですが、お客様を一人一人

じっくり観察してみるのもヒントが隠されているかもしれないですよ」

微笑みかけながらそう伝える。


「…占いの教本の内容を伝えることにばかり気がとられて

お客様と向き合うということが、自分にたりていなかった気がする。

でもどうやって観察したらいいのかしら…なにか勉強が必要かもしれない」

佳世はまだ疑問を抱えていたが、その瞳には希望の光がうっすら見える。


コーヒーを飲み終えた佳世は、内川と徳田にお礼を伝え

マスターにもお礼をして会計を終えて、足早にお店を後にする。



そんなある日、アルバイト先である本屋の棚卸しの作業中に

『公認心理師』と『心理カウンセラー』の本を見つける。

中をそっと覗くと、心理状態の観察や助言、教育・情報提供といった内容が記されていた。

「…これって占いに役立つ情報ばかりじゃないの」

そう思った佳世は、さっそく公認心理師の資格取得を目標に定めた。


昼はアルバイト、夜は占い、さらに勉強も続ける日々。

疲労と生活の不安を抱えながらも、心理学の知識を占いに取り入れ、

一人ひとりに寄り添うように言葉を選んで進言するように変化していった。


* * * *


数か月が過ぎ、少しずつ佳世の生活にも変化が現れた。

占いの仕事も少しずつ顧客が増え、予約が途切れない日も出てきた。

夜遅くまでアルバイトを掛け持ちする日が減り、勉強の時間を確保できるようになった。


小さなアパートのキッチンには、少しだけ新しい調理器具が並び、

お気に入りの食材で自炊する余裕も生まれた。

生活の隅々に、努力の成果が反映されている——そんな手応えを感じていた。


そしてある週末——

内川が再び『とまりぎ』を訪れた。

待ってましたとばかりに佳世は内川に占いを申し入れる。


内川は優しく微笑んで

「どうぞ、お願いします」

と軽く頭をさげた。


占いを一通り終えると

「佳世さん、最近の占い、ずいぶん具体的になりましたね」

内川は笑顔で言った。


佳世は少し緊張しながら、今日の相談内容に沿って占いを続ける。

結果を聞いた内川は深く頷いた。

「なるほど。これなら納得できます。合格点ですよ」


佳世の胸に、自信と確かな手応えが芽生える。


佳世の資格試験の日当日。

これまで培ってきた占いでの自信を勉強の成果に結びつける時だ。

と大きく深呼吸をして、ゆっくりと息を吐く。


試験が終わると、これまで張りつめていた糸がぷつりと切れたように、

佳世の体から一気に疲れがあふれ出した。

その足で向かったのは、いつもの『とまりぎ』。

少し贅沢をして、上等なエチオピアブレンドを注文し、砂糖を二つ。


芳しい香りを胸いっぱいに吸い込み、ひと口ふくむ。

甘いコーヒーが、じんわりと体と心に染みわたっていく。


「佳世さん、試験お疲れさまでした」

カウンターの向こうから、徳田が優しい声をかけた。

「こちら、当店からのサービスです」

そう言って、ホイップクリームを添えたプリンを差し出す。

アイスのないシンプルなア・ラ・モードのようだが、

疲れた脳にはこの上ないご褒美だった。


「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」

佳世は満面の笑みを浮かべ、たっぷりのクリームをすくって口に運ぶ。

「う~ん、幸せ。頭を使ったあとは、やっぱり甘いものが欲しくなるのよね」


その言葉に、徳田は静かにうなずき、満足そうな笑みを浮かべた。


* * * *


合格発表の日がやってきた。

この頃には、佳世の占いの収入も安定し、

夜は自己啓発書を読むくらいの余裕もできていた。


緊張の面持ちでパソコンの画面を見つめる。

受験番号を一つひとつ追っていくうちに――


「あった…! あったー!!」

思わず声を上げる。

佳世は、ついに合格を手にしていた。


これまでの努力が報われた瞬間だった。

胸の奥から、ゆっくりと温かいものがこみ上げてくる。


「明日からも、お客さま一人ひとりに真摯に向き合おう」

そう心に誓う。


それからの生活は、驚くほど充実していった。

予約の取れない人気占い師となり、

自身のWebサイトでは、無料占いやオンライン鑑定、

予約システムも導入していた。


数週間もすると、口コミが口コミを呼び、

信じられないほど多くの依頼が舞い込むようになる。


佳世は仕事時間を一日八時間と決め、

学びと休息、そして趣味の時間をきちんと確保していた。


けれど、そんな日々の中で、ふと『とまりぎ』の空気が恋しくなる。

あの店の静かな時間と、マスターの穏やかな笑顔。


「次の休みは、絶対『とまりぎ』に行こう。

 今度はマスターを占わせてもらおう」


そう心に決め、仕事道具を手にアパートを出た。

外は、春の気配を含んだような温かい風。

佳世は希望に満ちた笑顔で、新しい一歩を踏み出した。



その頃、『とまりぎ』の扉が静かに開いた。

肩を落とし、どこか長い一日を終えたような男性が入ってくる。


― カラン、コロン。

新しい物語のはじまりを告げる、小さなベルの音が店内に響いた。

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その珈琲店はこころを軽くする あっくる @Akkuru01

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