最終章 いい思い出
空はまだ赤かった。
だが、その“赤”はもう、かつてのような重さを持っていなかった。
降り注いでいた瓦礫の雨——
それが、音もなく静かに、逆流を始めていた。
瓦礫がひとつ、またひとつと浮かび上がり、
静かに空へと吸い込まれていく。
——まるで時間そのものが、
ゆっくりと巻き戻されていくかのようだった。
少女という、この世界の核が消えたことで、
維持されていたあらゆる構造が、
少しずつ“存在を戻して”いく。
しかし、地面だけは崩壊が止まらない。
崩れては消えていく地面が、もうすぐそこまで来ている。
赤い世界の——死。
シュンは、立ち尽くしていた。
少女の姿は、もうどこにもなかった。
隣でタケルは、まだ救えなかったことを悔やみ、
ただ両手を見つめていた。
その掌に、彼女の小さな温もりの残滓を探すように。
シュンはその姿を見て、
“喪失に立ち向かう”とはどういうことかを、
初めて完全に理解した。
そしてタケルのもとへ駆け寄り、
強く肩を掴んで言った。
「タケル!逃げるぞ!!」
「……」
「タケル!もうお前しか、あの子のことを“いい思い出”にしてやれないんだぞ!!」
その言葉に、タケルの瞳が大きく揺れた。
「……!」
シュンは、手を差し出しながら叫んだ。
「二人とも生き延びたら——海に連れてってやろう。
見せてやりたかった景色を、いい思い出と一緒に!」
タケルの肩が、震えた。
「……喜んでくれるかな……」
声は掠れていたが、その中に微かな光が宿っていた。
「……ああ。あの子は——お前が大好きだったんだ。」
タケルの胸から、堰を切ったように嗚咽が漏れる。
それは悲鳴ではなく、ようやく流れ出せた“命の音”だった。
「うう……うううぅ……!!」
大粒の涙が頬を伝い、
それを拭う手の動きが、次第に力強くなっていく。
やがてタケルは、目を拭い、静かに立ち上がった。
その瞳には、もう迷いがなかった。
赤い空が、ゆっくりと白く褪せていく。
風が静かに吹き抜け、崩れかけた大地を撫でた。
世界が、終わりの中で——再び“生まれ変わって”いく。
シュンはその光景を見つめながら、
隣に立つ若き青年の横顔を見た。
タケル。
この混沌の中で、彼は確かに“生きる意味”を見つけたのだ。
その姿があまりに眩しく、
シュンの頬に自然と微笑みが浮かぶ。
まるで、父が息子の成長を見届けたような、優しい笑みだった。
やがて二人は、ゆらめく次元の“逆再生”の流れに身を投じた。
時空が逆流し、赤い世界が収束していく。
「シュンさん! あのマンションの一室に行こう!」
走りながら、タケルは息を切らせて叫んだ。
その瞬間、胸の鼓動が高鳴った。
(……あれは……俺のマンション——。)
現実と幻の境界が溶け合い、記憶がゆっくりと蘇る。
「シュンさん?」
振り返ると、シュンは少しだけ微笑んでいた。
悲しみも、後悔も、すべて受け入れたような穏やかな笑み。
「いや……行こう。」
二人は崩れかけた空間を駆け抜け、
シュンの家のカウンターテーブルの下に身を潜めた。
外では、次元の波が轟音を立てて崩れていく。
それはまるで、世界の心臓がゆっくりと鼓動を止めていくようだった。
——この世界で、たくさんのもの人達を失った。
胸を引き裂かれるほどの痛みも、もう数えきれない。
だけど、あの子のおかげで……
もう一度、“彼女たち”に会えた。
ほんの一瞬でも——
リナの声を聞けた。
ユイの顔を見られた。
悲しみの裏にある、たしかな幸せ。
それを、もう一度——心の底から感じられた。
崩れていく空間の中で、シュンは小さく呟いた。
「……ありがとう。」
その声は、風に溶け、白い光の中に消えていった。
シュンのマンションは瓦礫とともに舞い上がり
やがて時空の亀裂に消えていった
◇ ◇ ◇
目を開けたとき、最初に見えたのは——白い天井だった。
静かな病室の中。
息を吸うたびに、現実の匂いが胸の奥へ戻ってくる。
シュンは、ゆっくりと視線を動かした。
ベッドの横で、誰かが泣いていた。
「え……シュン……さん……?」
その声に、彼は顔を向ける。
ナルミだった。
赤い雨に濡れた髪の先から、雫が落ちていた。
「あああ……! おかえり……お帰りなさい、シュンさん……!」
嗚咽がこぼれ、ナルミの手が彼の手を握る。
その温かさに、シュンの胸がふるえた。
「……ただいま。」
その一言が、世界を再び“現実”へと繋ぎとめた。
──赤い空はもう、どこにもない。
だが、記憶の奥には今も、確かに残っている。
落ち着いたら——ナルミにすべてを話そう。
向こうの世界で出会ったユイとリナのこと。
優しく、強い心を持った青年のこと。
そして、名も知らぬ、孤独な少女のこと。
思い出すたびに、胸の奥が痛む。
けれどその痛みの中に、確かにあった。
“生きようとする意思”が。
“誰かを想う気持ち”が。
それが、赤い世界のすべてだった。
シュンはゆっくりと目を閉じる。
——もう…大丈夫だ。
一瞬だけ、きらりと赤い光が揺れた。
それはまるで、
あの世界からの“最後の雨粒”のように——静かに、落ちていった。
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