第9章 健康へのお見舞い

シュンは、コウタの病室を訪れていた。


静まり返った病棟。



病院の独特の匂い。


看護士に様子を聞くが、相変わらず、コウタはベッドから起き上がらないらしい。



「目は開いているのに、そこに“今”が映っていないんです」


看護士はそういった。




コウタのベッドの隣には、女性がひとり座っていた。

やつれた顔に、それでも凛とした気品がある。




「あら……コウタのお友達ですか?」


柔らかい声だった。

シュンは慌てて頭を下げる。




「私は…コウタさんの同僚の、シュンと申します。」


「同僚の方でしたか…。この度はお騒がせして申し訳ありません。」


「いえ…そんなこと言わないでください。」




促されるように、シュンは用意された椅子に腰を下ろす。

近くで見ると、コウタの頬には薄い髭の跡が見えた。

時間だけが、確かに流れている。




「…様子は、どうですか。」


「だめですね……。何を話しかけても反応してくれません。

 たまに声を出すんですけど…ずっと、亡くなったソウタと話してるみたいで。」


「ソウタ…」


「はい。ソウタは、亡くなったコウタの弟です。」


「やっぱり…そうでしたか。」




短い沈黙。

窓の外では、雨が降っていた。

赤くはない——ただの雨だ。




(こんな残酷なことがあるか……)




思い出に囚われたまま、帰ってこられない。

それでも、現実では誰かが“待っている”。




もし、このままコウタが目を開けなければ——

この母親は、生涯で二度、息子を喪うことになる。




——そう思った瞬間、

シュンの脳裏に、ユイとリナの顔が浮かんだ。




彼女たちのためなら、世界を敵に回しても構わないと思っている。

もし、そんな存在がいなくなったら——

自分は耐えられるのか。

いや、きっと無理だ。

こんなふうに、凛として会話などできるはずがない。




母親は、静かに言葉を続けた。


「コウタは……ずっと、後悔の中を生きてきたんです。」


「……」


「あの時、トラックの存在に気づけたら、ソウタを助けられた。

 もっと判断が早ければ……って。」


彼女の手が、そっとコウタの腕に触れる。

まるでまだ、そこに血の温もりを確かめるように。




「死んでしまったものは、もう帰らない。

 でも——もし、あの“赤い空間”が、死んだ人に引き合わせてくれるものだとしたら……」


一拍の沈黙。

その声は、涙でも祈りでもなく、ただ真実のように落ちた。




「……それは、私でも、耐えられないかもしれません。」




その言葉が、病室の空気を凍らせた。

心拍計の電子音が、まるで鐘の音のように響く。


シュンは何も言えず、ただ立ち尽くした。




シュンたちが救出した男と、コウタの訃報が届いたのはそれから3日後の事だった。

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